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タイを戦勝国側に導いた「自由タイ運動」の成果と悲劇
タイは対外関係に巧みな国である。
戦前においても、隣国諸国のように植民地化されなかった。
第2次大戦においては、日本と軍事同盟を結び枢軸側につき、
英米に対し宣戦布告したのに、戦争が終わると同盟国、
戦勝側にいる。

別に、こうもりのごとく、
獣と鳥の間を動き回ったわけではない。

1941年12月8日の朝、
真珠湾攻撃より数時間後、日本軍に入ってこられた
タイランドは、数時間の応戦の末、昼には、停戦。
日本軍に駐留、基地の使用を許すことになる。
そして、時のピブン内閣は翌年1月には米英に対して宣戦布告している。
この結果、戦争中、タイはバンコクやチェンマイに米軍の
空爆を受けることになるが・・。

時のタイの首相である元帥ピブンは、
1932年に絶対王政を変えたメンバーのひとりである。
かつて自らをナショナル・ヒーローと名乗った、ナショナリストだ。
日本と手を携えた国粋主義者は、タイの歴史上、王族を追放した
一番の人だろう。

タイを戦勝国側に導いた「自由タイ運動」の成果と悲劇_d0159325_16543267.jpg

しかし、ピブン政府の意思とは別に、日本軍に対抗しようというタイ人もいた。
駐英大使は、ピブン政府の宣戦布告を忠実に英国に伝えたが、
駐米大使で王族のセニは、これを握りつぶし、米国に抵抗運動の組織を作った。
セニは、タイにおいてピブンと並ぶ立憲君主制の立役者だった
ライバルのプリディを「自由タイ運動」(セリ・タイ)のリーダーとした。

タイの国内には、プリディの仲間で友人のティエンなどが
タイ東北部、ウドンタニのさらに東のラオス国境近くの
サコン・ナコン県のノン・ルアンの村に訓練所を作るなど
して、戦いに備えた。

だが、日本の降伏で終戦を迎え、抵抗運動は
ほとんど戦闘なしに終えることが出来た。

タイを戦勝国側に導いた「自由タイ運動」の成果と悲劇_d0159325_16581511.gif

戦後、タイが連合国側と認められたのは、
これらの人々の努力があったからだと言われる。
英国は、宣戦布告を受けていたので、賠償金として米300万トンの供出と、
タイの英国への併合を求めた。
しかしこれも、自由タイ運動家らの米国への働きかけで、
タイは併合を免れ、独立を保ち、抵抗運動の犠牲も少なく、
戦勝国に名を連ねることが出来た。

今、サコン・ナコンのノン・ルアン村が、戦いの英雄たちの土地として、
あらためて脚光を浴びようとしている。

戦後、1946年3月にプリディ内閣が成立する。
プリディは、戦犯容疑のかかるピブンを、大衆の支持もあり、許してやる。
また、この年6月に若い先王アナンダ王の怪死(殺人)事件が起こる。

タイを戦勝国側に導いた「自由タイ運動」の成果と悲劇_d0159325_16595769.jpg

そこから、タイらしい権力争いが再び起こる。
プリディが辞職後、47年11月軍のクーデターが起こり、
ピブンが48年10月に再び首相に復活する。
プリディは追っ手を逃れ、隠れ、国外に逃げた。
ピブン政権は、共にクーデターを支えたパオ警察長官の下で、
国王の殺人事件で無罪と認定されていた
王の秘書ら3人を新たに裁かせ、死刑に処した。

自由タイ運動の主要メンバーは、
戦後内閣の主要メンバーに就いたものの、
このピブンの復活で多くが犠牲になった。
パオ警察長官の下、多くのプリディ派の議員が
警察に捕まり、連行途中、殺されたりしている。

サコン・ナコン出身議員となっていた先のティエンも、
1952年12月仲間4人と共に捕まり、後日
絞殺され、カンチャナブリの林の中に埋められていたのが
見つかった。

もちろん、その後タイ中央銀行の総裁になったプエイや
空軍司令官として登りつめ、プレムの下で外務大臣を
やったシディーなどの生き残った自由タイ運動メンバーもいた。

ピブンは、その後、プリディ派の企てた48,49年の
2度のクーデターから逃れ、1958年10月まで2期、首相を務めた。
米国が非難していた‘ファシスト’も、冷戦の高まりとともに、
その反共姿勢が米国の支援を得るようになっていった。

プリディは49年のクーデター失敗で中国、フランスに逃げた。
ピブンは、58年の部下のクーデターで日本に逃れ、
ふたりともその後、タイへ戻ることはなかった。

タイ国内の政争の歴史は何とも不思議な展開になるが、
対外的には、二つの敵(かつての西からの英国と東からの仏国)
を相けん制させたり、この大戦時のように、表面的な政府と
内部の連合国派の、双頭の蛇ならぬ、二つの顔を持って、
内部の声を戦時中から訴え続け国を守ったなど・・・
これもやはり摩訶不思議だなあ、タイランド!
by ucci-h | 2011-06-13 17:02 | タイの政治・経済・金融・為替 | Comments(1)
Commented by くんたれ at 2011-06-15 17:12 x
逆から云えば、まとまりの無い国がタイなのでしょう。それが弱みであり、強みです。
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北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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