原発事故により、東電の体質が明らかになったと言っていい。
電力会社は、各地区の殿様だったのだ。
その秘密体質、各業界への影響度の高さ、
突然の‘計画停電’のやり方、高い電気代・・・
いろいろな問題が、今回あぶりだされてきた。
といって、東電を悪者にするだけでは、おそらくなにものも
変わらないだろう。東電の姿勢の問題ではなく、日本の
経済構造の問題なのだから・・。
その中で、「日本の電気代はなぜ高いのだろう?」という
疑問の一部も解けてきた。
「どうにも理解できない日タイ電気代の違い」
http://uccih.exblog.jp/13640934/
最近、経済産業省の官僚で、物申し、首の皮でつながっている
古賀氏が外国特派員クラブでしゃべっている。
つまり、電力会社は、各地域で君臨する殿様企業だと。
http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20110622/Itmedia_makoto_20110622039.html?_p=4
電力料金は、コストを積み上げ、適正利潤を乗せて決められる。
地域独占だから競争がない。発電・送電事業の分離もない。
コストを下げようという意欲は起こらない。
むしろコストを高くするほど、それに比例した利益は取りやすい。
電力会社は、地域の殿様商売だ。
なるべく高く、民間企業から資材を買ってやる(表面は、もちろん
競争入札のごとく装う)。
民間企業にとっては、ありがたいお客様だ。
だから接待に励むも、電力会社の批判はしない。
今回の経団連の対応に見られたように、異常に、かばってやる。
楽天は嫌気が差して、経団連を脱退した。
民間企業だけではない。
独占利潤があるから、マスメディアや学会も、いい
スポンサーには甘い。
こうして、極めて日本的な城下町構造ができている。
「スポンサーを大事にしましょう。たてつかないようにしましょう」となる。
‘多くの国民から少しずつむしりとって、これを少数の受益者で
分け持つ’という日本の経済構造の1頂点にあるのが電力会社だ。
この構造をどうやって変えていくか?
原子力の安全管理もそうだが、馴れ合いの集団に任せるのではなく、
国民が声を上げて、切り離した査定・監査機関で電気料金も
管理していくしかない。
というと、「日本の文化にそういった第3者構造ってありますかね?」と
言われ、堂々巡りになり、ちっとも変わらない。
国民の政治が変革すべきチャンスなのだが・・。
日本では一部に発電の自由化をやれなどという声がありますが、日本をカリフォルニアや一部の西欧諸国のような停電頻発経済にしたければ、さらにエンロンのようなバクチ企業を作りたいならば、どうぞご勝手に、と言いたいですね。
彼らは日本はカリフォルニアのようにはならないと言い張るでしょうし、孫さんのような人が菅さんを使って日本版エンロンを作ろうとするかもしれないとは露ほどにも考えていないでしょう。