もちろん一直線で進むものではなく、ゆり戻しや、回り道も
多くあるだろう。
政治犯の釈放、少数民族との停戦協定と、欧米の経済制裁を
取り除くための2つの条件が順調に進んでいるように見えるが、
報じられているほど順調な動きでもないようだ。
ミャンマー政府は、ミャンマーの反政府組織としては最大級の
「カレン民族同盟」(KNU)と1月12日(木)に停戦協定を
結んだと伝えられた。
しかし、この停戦協定の報道は、経済制裁を早く取り払ってもらいたい
ミャンマー政府の宣伝色が強く、実際は、「2月末に再び会う」という
約束だったと、その後カレン族からは伝わってきている。
「1月の政府代表との会合には、署名できる人間を送っていない」と
カレン族は言っている。
カレン族には、なおミャンマー政府が、自分たちを抹殺しようとしている
との恐怖心が絶えない。「カレンはいずれ図書館の絵にしか残らないだろう」
と懸念している人間が多い。
カレン族とミャンマー政府軍との衝突は確かに小康状態のようだが、
速い展開に戸惑うカレンの人も多く、ペースダウンが予想される。
カレン族以上に、交渉が進まないのは、中国と接する最北のカチン族との関係だ。
「カチン独立組織」(KIO)との交渉は決裂した。
そして2月上旬、1万人とも言われる多くのカチン難民が、
隣国の中国のノンダオやラインに戦火を逃れ、水や食糧の十分ない仮りのテント村に
住んでいると言われる。その多くが女性、子供、年寄りだそうだ。
困惑する中国は、その存在を認めていないが・・。
半年ほど前に、ミャンマーにおける開放派のテイン・セイン大統領と、
守旧派のティン・アウン・ミン・ウー副大統領派との対立を紹介したが、
最近の改革の進展は、開放派が守旧派に勝ったからではない。
なお、内幕では対立と駆け引きが繰り広げられているようだ。
「ビルマの改革を引きとどめる副大統領派 2011-7-8」
http://uccih.exblog.jp/14025772/
最近では、政治犯の釈放を巡って対立が続いた。
改革派の即時釈放路線に対して、守旧派が待ったをかけた。
ことに88年学生デモのリーダー、ミン・コー・ナインの釈放が
4月の選挙前に行なわれると、彼らが党を結成して、政権に
揺さぶりをかけてくると怖れられた。
しかし、結局は、1月12日KNUと停戦協定が結ばれたとの一報を
受けて、4時間後に、大統領は主要囚人の釈放に踏み切ったようだ。
少数民族との和解の進展が、大統領派を強気にさせた
(なお多くの政治犯が獄につながれているが)。
だが、その後カチン族との協定締結が失敗し、さらにカレン族との協定も
停戦協定ではなかったことが判明してくると、守旧派の勢いは盛り返してくる。
閣僚の20%が自由派で、20%が守旧派で、残る60%が日和見派だと
言われるテイン・セイン政権。大統領は、まさにタイトロープの上を歩いているようだ。
少数民族との和解が不調との報道が広がると、守旧派が力を取り戻し、
ミャンマーの改革は後ずさりする可能性が出てくる。
開放派政権のリーダーシップと民族和解の微妙な関係。
60年以上続いてきた民族対立の和解には時間がかかるかもしれない。
原因と結果が相互に絡み合ったミャンマーの開放路線の進展は
一筋縄ではいかない。