に関して、東京にいる友人のSさんから興味深いコメントをいただいた。
それは、この報告書によると、当時の菅首相の対応を全体では評価していないものの、
彼が先頭に立って、東電の現場からの作業員撤退要求を退けたことが、結果として
原発被害の首都圏への拡大を防いだ。
あのまま放置すれば、原発の汚染は、首都圏にも及んだ可能性が高かったようです。
批判ばかりされた菅さんだが、
首都圏を守った功績は認めて上げるべきではないか、というものである。
筆者は、この報告書を読んでいないし、また独立の調査報告書と言っても
どの程度政府にバイアスがかかっているものかは知らない。
しかし、この報告書の知見が客観的なものだとすると、
「日本のリーダーは育たないなあ、ご苦労様だな」と思ってしまう。
この報告書が出た後のS新聞のコメントがひどい。
はなから、首相をダメ男に決め付けている。
「周りがやめた方がいいというのに、自らでしゃばって細かいことまで
口を出した。権限委譲が出来ない。報告書で改めて浮き彫りになった」
と言った調子だ。決定の是非を問うものではなく、印象で評価している。
政府を叩くことで、マスメディアは、自分たち‘第4権力’がその上に立っている
優越感を持っているようにも見える。
未曾有の震災に、自ら率先して動かないトップがどこの国にいようか?
仮に、権限委譲など多くしていたら、今度は、「自ら先頭に立たない。
後ろに陣取って、現場を知らずにあれこれ言っている」と言われるのが落ちだろう。
マスメディアは、国民の行き場のない怒りを、為政者などにぶつけることによって、
国民の精神浄化を助けることを仕事としている。
自分だったらどうするか立場に立って考えずに、ただ為政者をけなすのに
心地よく応じる人間の心の根っこは、他者依存、自己責任の不在という
この国の習慣から来ているところが大きいのだろう。
戦後、マッカーサーが、マスメディアに対して、国民の木鐸として、
時の政府を監視、批判するように導いたことにも原因があるのだろうか。
ともかくマスメディアは、為政者や当事者を批判、さらにけなしこそすれ、
評価などほとんどしない。
評価などしようものなら、例えそれが適正なものでも、
‘政府の御用新聞’とレッテルを貼られ、読者の欲求不満の捌け口を
提供できず、読者も離れていってしまうのかもしれない。
この国の国民も、自虐意識が強いのか、自分たちの政府はダメだダメだの
合唱が好きなようだ。
その政治家を選んだのは誰だと言いたくなる。
国難の時こそ、政府も国民も小異大同で一致団結して、政府を盛り上げなければ
いけないのに、相変わらずだ。
ダメな大統領でも、選んだからには盛り立てるアメリカに、この点は学ぶべきだろう。
この国民の悲観性、自虐性は時にはバイタリティーとして
働くのだろうが、時には自暴自棄にスイッチが入るので怖い。
経済予測でもそう。楽観的な見通しは、‘あほ’に見られ、
悲観的な予測ほど、何か賢く映る。このメンタリティーは天候に左右される
稲作の歴史からきているのか?
Sさんは、最後に言っている。
「私は、菅首相始め、政府を批判すれば、メディアの仕事になるとか、
与党を批判すれば、野党の仕事になるとか考える風潮が多いですが、
真実を語り、大局的に、共有する施策は、一緒に協力するような
日本にならないと、閉塞感から抜け出せないように感じています。」
マスコミ、メディアのなんと幼稚な国と思っています。
国民もそれには多くの人が気づいているのでしょう。
自分が正義だという欺瞞に包まれたマスコミ、メディアには辟易しています。最近はなんでも反対の自民党のトップ連中の顔を見るのも嫌ですね。
梅の花もちらほら咲き始め、甘い匂いを胸いっぱい吸い込みながらのウォーキングは極上の時間でした。
昨日チェンマイに戻ると半日で喉がやられました。ゴホ!ゴホ!
>批判、さらにけなしこそすれ、評価などほとんどしない。
欧米のマスコミは比較的公平な報道を心掛けていると聞いてます。
対して日本のマスコミは、批判で部数を伸ばすことだけ考えているかの印象もあります。
「批判で売れる=国民の要求がその程度」となりましょうか。
民主主義は衆愚制になりやすいといいますから要注意ですね。