イスラム法の厳しい掟がニュースになる
世界のイスラム人口は16億人近く。
世界の人口の4人に一人近くはイスラム教徒になる。
それも、中東・北アフリカではなく、アジアに半分以上の8億人の
イスラム教徒が暮らしている。

インドネシア2億人、パキスタン1億7千万人、ヒンドゥー教徒が多い
インドにも1億6千万人、バングラデッシュ1億4千万人、
この4カ国だけで6億7千万人だ。
中国、マレーシアにもそれぞれ2千万人前後いる。

すべてが、戒律の厳しいイスラム法(シャリア法)の元で
暮らしているわけではないだろうが、世界のニュースを見ていると、
そこまでやるかというニュースが目に付く。
ニュースの発信元が、多くキリスト教徒関係だからというわけでもあるまい。

それだけ、今の西洋文化から見ると時代がずれているというか、
過酷な面が多いからだ。
ここ数日も、アメリカで作られた映画が、イスラムを冒涜していると
反米デモが各地で広がっているという。リビアのアメリカ大使ら4人が
砲撃で殺害された。

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最近のニュースでも、イスラム圏のそれは過激に見える。

政府がイスラム法に順じていることを特に示したいモルディブの首都
マレでは、このほど、29歳の男性と婚外交渉を行なったと告白した
16歳の女性が逮捕され、公開杖打ちの刑になると報道された。

16歳の未成年だから法違反だというのではなく、
婚前交渉や婚外交渉がシャリフ法ではご法度のようだ
(江戸時代の日本にも同じような決まりがあったが)。
男のほうには、10年の牢屋行きが言い渡された。

公開杖打ちの刑は人権蹂躙だと人権団体は声を上げている。
しかし、モルディブのイスラム教徒にとっては、杖打ちは、一種の贖罪行為だと
平気のようだ。16歳での杖打ちがいやなら、8ヶ月の自宅監禁で許してやる。
杖打ちは、18歳になってから行なってやるということになるそうだ。

イスラム法を厳しく守っているということで点を稼ぎたい為政者は、
一層過酷なデモンストレーションをすることになる。
宗教は政治に多く利用されやすい。

もうひとつは、パキスタンの首都イスラマバード郊外の貧しい村での話。
14歳のキリスト教徒の少女が、コーランの詩の載っているペーパーを
燃やし、イスラム法冒涜の罪で捕まった話。
拘留されて20日以上になるという。

しかも、この少女はダウン症か何かで精神年齢が未熟と言われる。
何かで間違って燃やしてしまっても罪となるなら、コーランは
遠ざけておいたほうがいいことになるが。

この話は、ミステリーじみていて、後日談がある。
この証拠となるコーランの詩のかかれた文書は、
その地のモスクの導師である聖職者が、あとから燃えカスに
忍び込ませたものだと、部下から司法官に訴えられ、目隠し手錠姿で
逮捕された。

導師は、「キリスト教徒を追放するには、こういう方法しかない」と言ったとか。
つかまった導師は、「これはでっち上げだ」と言っている。
どこまで、何が本当か分からないが、導師は、14歳の少女と同じ留置所に
入れられたという。

つかまった罪状は、同じくコーランを燃やした冒涜の罪。
少女を陥れた罪とは伝えられていない。

コーランの詩の書かれた文書を燃やしたりすることが
罪になるとすると、これは人を陥れるのに使われやすい。

世界の多くのイスラム教徒はおだやかに暮らしているはずなのに、
アルカイダやイスラム原理主義、そしてこういったニュースが目立つと、
イスラム教徒への世界の眼が厳しくなる。

イスラムの法の中に、狂信につながりやすい要素があると疑うのは
偏見だろうか。
仏教にも戒律があるが、殺人や窃盗を除いて、
生き物を殺したり、うそをついたり、酒を飲んだりしたから
刑に処せられたという話はほとんど聞かないが・・・。

{追記}
パキスタンの14歳の少女は、8月16日に捕まり、3週間後に
釈放された。しかし、彼女の家族には、「火をつけて殺すぞ」との
脅しが寄せられ、身を隠しているという。

リビア、エジプトで起きている反米デモ、暴動は、
政権がひっくり返ったかの地では、主権争いが激しく、
激しい反米闘争で民心をつかもうとするイスラム原理主義のサラフィの
扇動が大きいようです。

コーラン冒涜→反米闘争は、これを糧に主権を得ようという運動に
なっているようです。
さらに、動乱の地では、昔のように宗教組織もしっかりしておらず、
ネットの時代、跳ね返りが抑えられず、頭をもたげるようです。

国が不安定なときは、外敵を槍玉に挙げ、
国内での支持を集めようとする傾向は、どこにでも見られますね。
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by ucci-h | 2012-09-15 12:32 | アジア的な生活 | Comments(4)
Commented by muga at 2012-09-15 15:35 x
「戒律」は分解すれば、「戒」と「律」になるのですが、後者は「法律」に代表されるように、それを破った時には厳しく罰せられる概念のことです。
片や「戒」とは、自分自身で守るべき規範であって、それを守れなかったとしてもお咎めなしの概念だと聞いた覚えがあります。
普通の宗教では「罰」は付き物というか、「脅すことで従わせる」方法が目につきます。(地獄に行くぞ等)
もちろん仏教でも、「律を犯すと追放」という厳しい処置はあったようですが、どちらかというか基本「戒」の方を重視していたようです。
つまり、自分で規範を決めなさいと、それを守り通しなさいと、それが人間としての尊厳ですよと教えたのです。
事実、親鸞以降の日本仏教では肉食妻帯マイペンライとなっています。
キリスト教社会でも、マルチンルター以降は時代に合致した改革が行われてるようですが、イスラムではそのような合理性が働かずに現代まで来てしまったのでしょうか。
ムハマンドの時代のアラブ地方では、「自主性に任せる」なんて緩い事は言えないくらいに、厳しい処置が必要だったのかもしれませんね。
Commented by ucci-h at 2012-09-15 17:43
おっしゃるとおり、どこの宗教も、神との契約をたてに、上から押さえつける傾向が強いですね。その点、仏教は、宗教というには生ぬるいというか、人それぞれの自主性にまかせる知恵集ですね。

中東の動きの背景については、少し追記しておきました。
Commented by unknown at 2012-09-15 22:55 x
親鸞の師匠インテリ法然は、厳格な修行僧でなくても一般庶民が救われる術はないものかと中国の仏典を片端から調べ、その中にあったキリスト教(景況)の教典を仏教典と勘違いして採用しました。
親鸞の歎異抄の有名な「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」はヨハネ福音書12章に該当し、阿弥陀如来(梵名アミターバ)は無量光、即ち”世の光キリスト”を指すと言われてます。
参考:特別講義「仏教とキリスト教」
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/2009-0314-sp.htm
またイスラム教ではイエスはムハンマドと同じ預言者の一人として扱われ、キリスト教も非暴力主義なので本来は両者に争いは起きない筈、争っているのは両者の皮を被ったニセモノと言うことになります。
Commented by ucci-h at 2012-09-16 10:37
なるほど。宗教そのものは非暴力のはずですが、俗世や政治で利用されると暴力や戦争の道具にもなりますね。イスラム原理主義に暴力的なものが出てくるのはニセモノですかね。

北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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