私は今、‘林住期’を北タイで過ごしている。
古来インドには、人生を4つの時期
(学生期、家住期、林住期、遊行期)に分ける
考え方があると、6年ほど前に出された五木寛之の著書
「林住期」でも紹介されている。
今や人生の長寿化が進み、人生100年に迫っているのだから、
この4期を25年ずつに分けて考えてもいいだろうと彼は言っている。
最初の25年の学生(がくしょう)期は、親や世間、学校や先輩に
いろいろ世話になり、主に教えてもらう時期。
次の家住期は働き手となって、家族や子供を養い、
世の中に貢献する時期。
そして、林住期にいたれば、もはや社会や他者への貢献から
開放され、貴重な生を受けた自分の人生を自分のために生きる時期と
五木氏も言っている。
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チェンマイに6-7年前から暮らしを始めたのも、リタイヤして自分を
見つめて生きる「林住期」での暮らしをしたいからと自分でも思っている。
しかし、この林住期、言葉の割には、具体性にいまひとつ乏しく、
試行錯誤でここ5年ほど過ごしてきたといったところだ。
イメージ的にはある。
世間のつきあいからやや失礼し、鳥や花や虫や動物に囲まれて
暮らすのが、林住期のイメージだ。
まるで仙人生活のようだが、車の増えたチェンマイの街に住んでいるので、
これは少し現実離れしたイメージだ。
イメージだけにとらわれて、‘林住期’生活をおくってきたが、
5年たって、林住期の生き方について、なにか少し目覚めてきたような気がする。
林住期だけをイメージするのではなくて、学生期、家住期との
比較で、人生全体の中での位置づけが欠けていた。
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先進諸国、ことに日本、は高齢社会に入った。
歴史上今までになかったことだから、いろいろ無理解や
軋轢も世代間で生じるはずだ。
戦後の日本の高成長に寄与したはずの団塊の世代は
今や高齢化団塊となっているから、若い世代からは
時にうっとうしく「おじん、おばん団塊」と見られるだろう。
人生は、働き盛りである「家住期」が黄金時代に見える。
仕事で重要なポストにつき、肩書きを持ち、収入も多い。
そして、仕事柄、人とのつながりも多く、体力もなお壮年期だ。
これに対して、「林住期」となると、まず体力が落ち、
収入も減り、人脈も細り、人生の“たそがれ時”と映る。
林住期はネガティブな面が表面に出やすい。
しかし、家住期が人生のピークで、林住期は下り坂なのか?と
五木寛之は疑問を呈する。
「林住期こそ人生の黄金時代ではないか!」と彼は見る。
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家住期がいいか、林住期がいいか比較してみてもしかたない。
物事には、プラス面とマイナス面がある。
林住期のネガティブな面は上に書いたようなことだが、
家住期にだって、客観的に見れば、マイナス面も目立つ。
「いつも時間に追われている」、「体調が少し悪くても、朝勤めに
出なければならない」、「職場で気の合わない人間とも付き合わねば
ならない」、「仕事の先行きにリスクがつきまとう」、
「家を顧みないと家族から疎まれる」・・・等々、家住期には苦労がつきまとう。
どちらが黄金期かを競い合う議論ではない。
ネガティブな面ばかり見ていたら、家住期も林住期もミゼラブルな人生だ。
ポジティブな面をありがたく思えば、どちらも黄金期となる。
学生期、家住期と比較すると、
林住期が浮かび上がってくる。
年代によって、生き方は変わって行って良いようだ。
いや、変わるべきかもしれない。
(次回へ続く)