クーデターで全権を掌握したと発表した。
戒厳令が20日に敷かれてから、対立する反政府派と
政府派の仲裁に入ったが、その2日と14時間後である。
政府と反政府派への仲介がデッドロックに入った後である。
(写真はバンコク・ポスト紙より)
「タイ陸軍がついに戒厳令を敷いたが・・・ 2014-5-20」
http://uccih.exblog.jp/20725294/
タイは、クーデターなど超法規的な措置による
政変がよく起こる国だが、
前回2006年9月のタクシン追い出しのクーデターまで、
戦後、軍部により試みられたクーデターは、
数え方によるが、ほほ17回。
うち10回が成功、7回ほどが失敗ないし
未遂となっている。
ほぼ3年半に1回の頻度だ。
もっとも、今回はほぼ8年ぶりになる。
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成功というのは、これにより時の政権が崩壊したり、
憲法が改定されたりしたものである。
青年将校団や一部の軍人による試みは失敗するものが
多かったが、軍のトップが主導して時の政権に
対抗したものには成功例が多い
(2006年反タクシン、91年2月反チャーチャイ、
77年10月反タニンなど)。
今回は、3軍のトップが、いわば満を持して、
反政府派と政府派の対立の仲裁にはいった後の
クーデターだから、成功率は高いと見てよいだろう。
軍は、海外からの批判もあり、なかなか武力行使の
クーデターに打って出なくなったが、今回は、
やむをえず出てきたという形になっている。
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クーデターと言うと、国の合法的な政府を、武力で
ひっくり返すイメージだが、軍や王室の権力は、
政府の政治権力とは別にあるとタイでは見られている。
従って、タイでのクーデターは、
政府の権力のやり方がうまく行かないとき
(腐敗や失政や政治のデッドロック)、別の頂点にある
軍が、その権力を使って、政府を立て直そうという行動と映る。
「立憲君主制80年のタイの民主主義の状況は? 2012-10-2」
http://uccih.exblog.jp/16920985/
実際、1932年の立憲王政発足後のタイの過去32人の
首相のうち、半分以上の17人は軍の出身でもある。
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今回のクーデターは、今までとちょっと違う。
過去は、時の政府を武力を背景に覆す形が多かったが、
今回は、政治対立のいわば最後の局面で、仲裁者として
出てきている。
92年5月の市民団体によるスチンダ首相退陣要求の
流血事件の後、形は違うが、プミポン国王が両者を呼び、
仲裁させた場面が思い出される。
軍は、従来の“転覆型クーデター”の悪評から学び、
“仲裁型クーデター”の形を取ることにより、
内外の支持を得ようとしているようだ。
軍が敷いた戒厳令は、タイの財界からも支持された。
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2006年9月のタクシン追い出しクーデターの時は、
筆者はタイに長期滞在する前年で、クーデター時の体験はない。
今回は、首都バンコクから離れたチェンマイにも緊張感はある。
タクシン家が、ここチェンマイ・サンカンペーンの出身のこともあろう。
初日の夜、街角には兵士が立っていると、チェンマイ市内の勤めから
帰った人は言っていた。
夜10時から朝5時までの外出禁止令が出たが、守られるようだ。
早めの時間から帰宅の途につく人の車が多い。
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こちらのテレビは、軍のメッセージが各局で流されている。
衛星放送のCNNや娯楽番組、スポーツ局も今は
軍のメッセージ一色になった。
さらに、インターネットが閉じられるとの噂もある。
そうなると、外国のニュースも見えなくなり、ブログも送れなくなる。
噂だけだと思われるが、そうなると困る。早めの正常化を祈りたい。
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これからどうなるか?
タクシン派政権は退くことになりそうだ。
タイの軍トップは、多くが反タクシンのはずである。
ただ中立の形で入ってきた以上、民主党側にも責任を問う
形も出てくるかもしれない。
喧嘩両成敗の形を取った上で、出てくる政権は
タクシン追い出し時と同様、軍人政権になるのか、
それとも、1946年に出来たタイの一番古い党で、
かつ19回の選挙に一度も勝ったことがない
民主党(首相は4人出している)が次ぐのだろうか?
「クーデターが起こったら、我々は街頭に出てくる」と言っていた
タクシン派に近いジャトゥポーン率いる赤シャツ隊はどう動くのだろうか?
このクーデターを転機に、沈み込んでいるタイ経済は
立ち直るきっかけをつかめるのだろうか・・・?
一番大きな変化はシナでしょうが。
愛読者より