今はすっかり落ち着いたが、軍政下であることに変わりはない。
タイの軍部が政権を取る。
近年では、1991年2月の反チャーチャイ・クーデター、
2006年9月のタクシン追い出しクーデター以来である。
「戦後のタイの軍政の歴史を振り返る 2014-10-15」
http://uccih.exblog.jp/21209283/
91年のクーデターは、元陸軍大将チャーチャイの自派の引きに
対する他の軍派閥の反発が引き金になっている。
2006年のクーデターは、軍・王党派を追いやるタクシンへの
反発からだった。
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90年代初め、チャーチャイ政権を引き摺り下ろしたスチンダー政権は、
その軍政の失敗から長く持たず、その後90年代のタイでは、
軍を排除した軍の“非政治化”の時代が続いた。
しかし、2000年代に入ると、実業政治家タクシンの台頭から、
タイの政策は、再び“政治化”してしまい、
軍が再び乗り出してくるようになってしまった。
もっとも、2006年のクーデターでタクシンを追い出した後も、
軍は、政治の主導権を取りきれず、選挙でタクシン派に
負けてばかりきている。
選挙結果の政権に勝てるのは、司法の決定かクーデターである。
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タイ軍政の主導権は、タイ軍部内部での激しい権力争いの
後からやってくる。
今回の、2014年9月末で退任を控えていたプラユット陸軍司令官の
クーデター後の政権奪取でも、背景となる軍の現状が浮かび上がってくる。
2006年のクーデターに第1管区副司令官として加担した
プラユットは、その後の軍政がうまく行かなかったことを見ており、
今回の軍政にその失敗を生かそうとしている。
「動き出したプラユット政権のロードマップ 2014-6-20」
http://uccih.exblog.jp/20827173/
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今回の軍政は、近年その勢力を伸ばしてきた
陸軍第1管区内の第2歩兵師団、俗に“タイガー・ソルジャー、虎将”と
呼ばれる連中から生まれている。
タイ王国の陸軍は、4つの地域に管区(リージョン)が分けられているが、
第1管区は、バンコクに司令部を置く、中部管轄のリージョンである。
その他には、東北部を管轄する第2管区(司令部コラート)、
北部を管轄する第3管区(司令部ピサヌローク)、南部を管轄する
第4管区(司令部ナコンシタマラート)がある。
なお、北の都チェンマイには、管区に入らない、第2作戦特殊師団がある。
タイの心臓部、首都バンコク及び近郊を管轄する第1管区(リージョン)には、
第1歩兵師団ほか7つの師団が存在する。
師団(ディビジョン)とは、軍の戦略集団で、通常1万人以上の実戦部隊をもつ。
この中で、第2歩兵師団は、バンコクの東部プラチンブリに基地をおく
王妃護衛の師団である(第1歩兵師団が国王護衛の師団)。
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90年代に2期にわたり文民政権をしいた
チュアン民主党政権は、軍に対しても文民コントロールを敷いた。
彼自身が防衛大臣になった。
そして、政権第2期(97年11月~2001年2月)の98年には、
スラユット大将を陸軍トップの陸軍司令官に抜擢し、
軍の‘専業化’に努めさせた。
しかし、2001年2月のタクシン政権の成立で、
この軍の「専業化」も元に戻ってしまう。
それは、軍の将官を軍警予科学校時代の同級生(予科10期生、軍では
陸士21期生となる)に多く持つタクシンが、
軍の幹部を彼の仲間で固めようとしたからだ。
2002年には、任期終了1年前のスラユット(彼は、実力者プレム枢密院議長の
側近でもあった)を更迭した。
2003年には、いとこであるチャイシット大将を陸軍司令官に着けている。
このタクシンの軍内部のかき回しが、軍内部での変化、対立を招き、
結局2006年のクーデターにつながったと見られる。
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タクシン以前の、軍の‘政治化’の主力は、第1管区内で
バンコクに基地を持ち、国王を警護する第1歩兵師団だった。
しかしタクシン以後、軍のトップである陸軍司令官に着いた大将は、
ほとんどが、第2歩兵師団出である。
2004~5年のプラウィット大将、
2007~10年のアヌポン大将、
そして2010~14年のプラユット大将(現首相)。
またプラユットが後任の陸軍司令官に指名したウドムデイ大将も、
第2歩兵師団出である。
この“東方の虎”と呼ばれる第2歩兵師団は、
第2、第12、第21の連隊(レジメント)を抱える。
連隊(レジメント)は軍のひとつの管理単位で、3000人ほどの
兵営となることが多い。
第2歩兵師団は、王妃を護衛する軍隊なので、
タイのシリキット王妃の誕生日8月12日(母の日でもある)に
ちなんで、2,12,21の連隊名の数字が採用されているという。
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タイの「東方の虎」部隊の力が有名になったのは、
70年代ベトナムが隣国カンボジアからクメール・ルージュを
駆逐して、カンボジア領内に入り、さらにタイ国境を伺い、
タイが共産化の危機に震えたときだと言われる。
このとき、東方の虎、第2歩兵連隊がタイをベトナムの侵攻から
守ったと言われる。
1982年の戦闘では、プラユット(現首相)は、歩兵中隊(カンパニー)長と
して、第21連隊の第2大隊(バタリオン、1000人ほどの部隊)長を救い、
勲章をもらっている。
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第2歩兵師団・第21連隊出のプラウィット(陸士17期生)は、勇敢な将であった。
そして、その後第21連隊、“東の虎”の指導者的存在となっていく。
今は、プラユット政権の副首相兼防衛大臣として重用されている。
プラウィットは、プラユット政権の陰の実力者である。
プラユットの先輩となるアヌポン大将(タクシンと同期の陸士21期生)も、
同じく第2歩兵師団・第21連隊出身だ。
彼は、タクシン政権下ではプラウィットの引きで第1管区司令官になるなど
生き抜き、タクシン追い出しクーデターでは、ソンティ司令官の二の腕となった。
当時のアヌポン第1管区司令官は、首都に近く、実質的なクーデターの指導者だった。
またアヌポンは、2008年12月に、選挙で選ばれたタクシン派サマック政権に引導を渡し、
民主党アピシット政権を立てた、影のクーデターの主役でもあった。
アヌポンは、現プラユット政権では、内務大臣におさまっている。
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そして、現首相プラユット(陸士第23期生)は、彼らの後輩になる。
現在のところ、この69歳、65歳、60歳の3人の虎による固い結束と、
内閣の主要ポストの独占は、現政権を磐石にしているように見える。
プラウィット⇔アヌポン⇔プラユットのラインである。
この軍事政権は、どこまで続くのだろうか?
現政権についての簡潔明瞭な御解説たいへんよろしゅうございました
スラユットさんの即席支持者としては知らないこと多々で、今回の記事ありがとうございました
私事ですが私どもの家庭大変仲よろしいのですが、一点現政権への好悪は対立しており馬鹿の壁は堅しでございます
御記事最後のセンテンスなかなか決まっておいでです
御健康お祈りいたしまして
結局は後ろで操る既得権益層のいいなりですね。
タイ軍事政府がタイ人の仕事を守るため、取締役会の過半数を外国人が占めるのを禁止、株所有比率に応じた投票権にし、外国人参入禁止業種を増やすなど、外国人を規制する法案を通過させようとしており、外国人商工会が懸念を表明 http://bit.ly/1tOdG0M