タイではなぜ暑い盛りの4月半ばを旧正月としたのだろう?
前回、タイの旧正月は、なぜ暑い盛りにスタートするのだろうか
という疑問を投げかけた。
さらにまた、賢明な読者ならお気づきだろうが、
この4月の旧正月は、タイの旧暦と合致せず、
旧暦の暦と4ヶ月ほどの差が開いてしまう。
どうしてなのだろう?
4月半ばを旧正月として数え始めると、
新暦11月半ばころのロイ・クラトーンは、旧12月でなくて、
旧8月となってしまうだろう・・・。でも、そうは数えない。
ロイ・クラトーンは、タイの陰暦12月の満月の日といわれる。
これはいったい何なのだろう?
この二つの疑問、つまり①なぜ旧正月は暑い4月に?と
②旧正月と旧暦が合わないのは何故か?が、
タイの旧暦の進行を見ていると、湧いてくる疑問だ。
今回は、暑い盛りの旧正月成立の謎を追ってみよう。
もともと、タイの旧正月ソンクラーンは、天文学で太陽のめぐる
黄道が、白羊宮(牡羊座)に来る時期として定められたようだ。
白羊宮が「黄道12宮」の第一とされているからだ。
なぜ12宮のうち白羊宮が第1なのか?
西洋占星術の「黄道12宮」が定まったと言われる古代バビロニアのむかし、
春分のときに太陽の黄道が通過する星座が白羊宮だったからだ。
ここで季節性が顔を出す。
つまり、古代バビロニアの昔から、昼が夜より長くなり始める
春分の頃が年明けとして重要視されたのだろう。
それでは、タイの旧正月は、なぜ春分の日の頃に
ならなかったのだろう?
この背景は、細かい話になるが、
西洋占星術からインド占星術にわたる間での時間のズレにあるようだ。
タイは、インドからの影響が強い。
黄道が白羊宮に入る時期は、春分点をベースにした西洋占星術では、
今見たように3月21日ごろからだが、長い時間がたつと春分点と
星座の位置がずれてくる。
星座の位置をベースにするインド占星術の
「サイデリカル方式」によると、白羊宮入りは、今では新暦の4月なかばからの
一か月と、春分の時期より、ひと月近く遅くなるのだ。
このずれは、実際の黄道上の星座の位置は、長い年月、
すこしずつずれてきたからである。これを「歳差」と呼ぶようだ
(「歳の差なんて!」という男女の年齢差ではない・・・蛇足)。
つまり、太陽が白羊宮へ入ってくるのは、12宮の西洋占星術が
定まった紀元前の時代には、ちょうど春分の時期だったが、
今では、1か月近くずれて、4月半ばになっているというわけだ。
春分点は、星座に対して72年にほぼ一日分
ずれるというから、古代ギリシャ(前2世紀)の頃から見ても、
30日近くずれている計算になる。
なので、12宮の暦がインドからタイに入ってきたときは、
旧正月は、春分の日近くより、暑い盛りの4月半ば近くになったわけだ。
タイ正月は暑い盛り!
でも、暑さは、関係ないというか、無視されたのだろう。
ちなみに、近年でも、大学の学期を国際化するために、
タイでは、今までの5月~翌年3月の学期を、8月~翌年5月に
変えてきている。3~5月と一番暑い時期が夏休みだったのが、
国際化とは言え、この時期に学期が残ってしまって平気なのだろうか。
勉強に集中できるのか、余計な心配をしてしまう。
4月の一番暑い時期が年の始まり(旧正月)。
やや北の国々なら、大昔、春分過ぎの時期で、
「春が来た!春が来た!」で良かったのだろうが、
この常夏の国に来たときは、暑さの盛りになってしまった。
これを逆手にとってというか、
一番暑い時期の旧正月をソンクラーンの水掛け祭りとして、
無礼講で水を掛け合うお祭りにしてしまったところが、
災い転じて福となすといったタイ人の知恵なのだろうか。
もっとも、タイでは、春分の日(今の3月21日ころ)と
言っても、すでに暑い季節に入っているが・・・。
ここでまた疑問が湧いてくる。
前回見た立春の頃の中国の旧正月(春節)と、
この4月のタイの旧正月の関係はあるのだろうか?
かたや十二支に基づいて陰暦の月が決められ、
かたやインド占星術の12宮をベースに暦が定められた。
はて?
西洋起源の12宮と東洋の十二支はどこかで
つながっているのだろうか?
なぞは広まってゆく。
(もう少し続く)