前回、黄道12宮と十二支は同じ根っこを持つのか
と疑問に思った。
インド占星術由来のタイの旧正月と、
十二支をベースにした中国の旧正月
どこかでつながっているのだろうか?
結論から言えば、12宮と十二支のつながりは不明だろう。
でも、12宮と十二支は共通点が多い。
そもそも、12宮が、太陽の通る黄道を
12分割して星座毎で表したのに対し、
十二支は、天の赤道を12分割し子丑寅と名付けたもの。
黄道は、天の赤道に対し、地軸の傾きにより
23度ほど傾いているだけだ。
いずれにしろ、同じようなアイデアだから、
十二支は、古代バビロニア発の12宮が
中国に渡ってきたものと推測してもおかしくはないが、
証拠などはあるはずはないだろう。
タイの旧正月は、インド占星術の黄道12宮の白羊宮入りを
ベースに定められたものだといったが、
さて、もし12宮第1の白羊宮入りを新年としなければ、
順位10番目のカプリコーンで知られる磨羯宮(やぎ座)の
方が、大昔で見れば新暦の年末年初の頃に当たったから
ちょうど良い気もする。
もっとも、まだ寒い時期で、メソポタミアの民には選ばれなかったのだろうが。
磨羯宮入りは、今の時代にずらしてみると(歳差)、
これが1月中旬~2月中旬になる。
ちょうど中国の旧正月「春節」の時期に当たる。
ちなみに、前回触れたように、中国の陰暦は、
十二支で寅の月(冬至を含む子の月の2か月後)
を正月(春節)としたが、中国旧正月も、冬至明けよりは
立春の頃である。その方が冬至明けより新春にふさわしかったのだろう。
いずれも、冬至過ぎよりも、2~3か月過ぎ、
陽ざしが増した頃が新春とされたところが面白い。
今でも、世界には10月~4月ころまで(半年にわたる!)
旧暦の新年を祝う国々が存在するが、
新暦の正月以降の国々の方が多いのではないだろうか。
タイの旧正月が白羊宮(アリエス)入りの日で、中国の旧正月が
磨羯宮(カプリコーン)入りというのは面白いことだ。
もちろん、中国の暦は、12宮ではなく、十二支だから、
旧正月の寅の月が磨羯宮と時期が符合しているというだけだ
(中国戦国時代の天文学の「12辰」だと、寅の月は磨羯宮の
ひとつ前の人馬宮だというが、これは新暦の正月にあたる時期だ)。
12宮と十二支のつながりの話はこれくらいにして、
次回は、タイでの4月の旧正月と陰暦の時間のズレの疑問に
取り組んでみよう。
(次回で終わる予定)