タイの旧正月(4月)とタイの陰暦(バンコク暦)の暦は
月の進み方が合わない!?
どういうことだろう?
タイの旧正月(4月半ば)を起点に月を数えてゆくと、
タイの陰暦の月日の進み方と合致しない。
タイの万仏節も、5月頃の仏誕節も、7月頃の3宝節も、
そして10月頃のオークパンサー(出安居)も、11月頃のロイ・クラトーン(灯篭流し)も、
いずれもタイ陰暦の満月の月より、新暦ではひと月ちょっと先に来る。
例えば、今年の仏誕節は5月10日だが、
旧正月のほぼ一か月後だから旧暦2月というわけではなく、
旧暦6月の満月の日となる。
現在でもタイにおいて仏教の行事等でよく使われるタイの陰暦は、
1889年(明治22年)に近代化を図ったチュラローンコーン大王(ラーマ5世)が
新暦を公式に導入するまでは、公的な暦として唯一使われた(太陰太陽暦)。
新暦の当初の年初めは4月1日だった(これが謎解きのヒントになるか)が、
1940年、時のプビン首相により、翌年から1月1日となった。
仏暦(ポー・ソー)と呼ぶのは、年号の数え方が、釈迦の入滅年を起源としているので、
そう呼ばれる。旧暦ではない。新暦である。
仏暦は、西暦年号+543(暦と覚える)で求められる。
今年は、2017+543で、2560年である。
ちなみに、日本の人気番組「笑点」もあと数ヶ月で2560回となる(関係ないか)。
タイの陰暦は、仏教行事関係だけでなく、タイ人の日常の中に
生きている。たとえば、出生届を出すと、誕生年の陰暦も記され
(ほぼ1か月先の月になる)。誕生日も、西暦に加え、陰暦の上弦10日
生まれなどと書かれる。
タイの旧暦(陰暦)は太陰太陽暦だから、29日の月と30日の月がほぼ半分ずつ入り
(月の満ち欠けの周期はほぼ29.5日だから、小の月と大の月を交互に入れる)、
365日に届かない(年354~355日)分は、3年に一度ほど「閏月」が
挿入される。
またひと月は、出生届で触れたように、上弦15日プラス下弦14~15日から成り、
16日以降の日付はない。
タイの暦の陰暦から新暦への推移を見ていたら、
旧正月と陰暦の月の進み方が合わない理由が少し見えた気がした。
つまり、年初=1月というジョーシキが間違っていたようである。
タイの年初はかつては、4月だったのである(年度初めではなく暦年の
はじめである)。
1940年までは、4月が年初めだったので、
ソンクラーンの月が年初め、正月だったのである。
なので、1940年は、西暦で言えば、4月~12月
(タイの当時の新暦で1~9月になる)の9ヶ月で終え、
翌1941年から西暦と一緒にした。
ソンクラーンの旧正月と、旧暦(陰暦)は別物ではないだろうか・・・と、
最初は考えたが、かつては、4月から1の月、2の月と
数えていたのである。
それが、仏暦(新暦)でJanuaryをタイではモッカラーコムと
呼ぶようになってから、陰暦(旧暦)でも、3か月ほど年初めが
さかのぼったのだろうか?
しかし、これでも、賢明な読者はご察知のように、ズレが残る。
旧暦正月も3か月ほどさかのぼったとしても、旧暦の新年は、
新暦1月頃からスタートすることになる。
でも、現在実際の仏教行事や祝祭日で使われている陰暦
(バンコク暦)の陰暦年初めは、今年の新月の日で見れば、
1月28日(春節と一致)ではなく、また新暦に近い昨年12月29日
でもなく、昨年11月30日が、陰暦1月のスタート日だったのである。
さて、3か月のさかのぼりでは、解消できないこのタイ陰暦の
正月の疑問は、いったいどう考えたら解けるのだろうか?
(というわけで、最終回は次回に延期)