ーー中国、フランス、アメリカと戦ってーー
4日目の朝は、ハロン湾ホンガイの街から
快適なバンで3時間ほどで、ハノイの街へ帰れた。
大劇場前で降り、昼の腹ごしらえ。
ちょうど横の公園際のカフェ風の店
「ダイハイ」がおいしそう。
食べているのを見ると、フォーのほかに
鍋物がある。
この牛肉の入った鍋物を頼んだ。
熱くて量が多いが、うまい。
鍋の名は聞きそこなったが、
台湾の火鍋や、タイのタイスキに比べても
スープの味の良さで劣らない。昼から食べ過ぎた。
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午後、3つの博物館を巡ることにした。
①大劇場裏の「歴史博物館」
②その隣の「革命博物館」
そして、タクシーに乗って「ホアロー収容所」だ。
いずれも、戦争に絡んでいるのがベトナムの歴史だ。
歴史博物館は、面白かった。
ことに13世紀の蒙古襲来など、この国が
近代の西欧からの侵攻だけでなく、古くから
常に中国からの侵攻、支配にさらされてきた
歴史が感じられた。
なにせ、10世紀に独立王朝ができるまで、1000年の
長きにわたって、中国の支配下にあった国だ。
13世紀の蒙古来襲では、ビルマのパガン王朝は攻め込まれ
衰亡につながったのに対し、ベトナムの場合は、
時の陳朝は、これを撃退している。
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しかし、その後は王朝が移り行く中で、
南北に長いベトナムの統一は難しかったようだ。
最後は、19世紀初めからの阮(グエン)朝(首都フエ)だが、
日本の終戦まで150年近く続いた。
しかしこれも、ペリーの日本来航の5年後(1858年)に、
フランス・スペイン連合艦隊のサイゴン攻略により、
その後80年間に及ぶフランスの植民地とされてしまった。
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革命博物館は、元税務署だった建物の部屋ごとに展示されて
いるが、ドキュメント中心で、あまり面白くなかった。
フランスが政治犯などの収容に使い、また
ベトナム戦争では、アメリカ軍パイロットを収容したという
ホアロー収容所。
フランス語で「メゾン・セントラル」(中央の家)と書かれている。
またアメリカ軍からは、「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれたとか。
ギロチンで、宗主国フランスが反乱分子を処刑した
首の写真とか展示されているが、薄暗い監獄だ。
もっとも戦争の残酷さについては、ホーチミン市の
戦争証跡博物館の方が、ベトナム戦争のひどさをより訴える。
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ベトナムを回ると、いたるところ戦争の跡が表れる。
しかし、この国は、中国、フランス、アメリカという大国に
攻め込まれるも、結局は退けてきた。
大した国である。
しかし、残念なのは、そのせいもあり
近代の発展が遅れてしまったことだ。
儒教や社会主義の影響はどうだったのだろうか。
しかし、人口も若い。今後が楽しみな国である。
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最後に、ベトナムの文字について一言。
今回もハノイの古い寺社など回って思ったこと。
漢字文化圏のベトナムだが、現在のアルファベット表記
(クオック・グーと呼ぶそうだが)はずいぶん得だと思った。
一応読めるのだ
(ついでに、通りの名と番地が順番に店に明記されているのもいい)。
ベトナム語の7割が漢字語と言われる。
お土産に買った「忍」の短冊。ベトナム語でNianである。
ベトナムでも、13世紀の陳朝で「チュノム」と呼ばれる、
漢字の偏や旁から作ったベトナム文字が発明されていた
(13世紀にできたタイ文字、15世紀にできたハングルに比べられる)。
しかし、17世紀にフランスの宣教師によって考案された
アルファベットを用いたクオック・グー(国語?)
が利便で効率的なことから普及、戦後正式に採用された。
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夕方は、ハノイのイタリアンをおいしく食べた。
翌朝には、バンコク経由チェンマイ行きの便に乗った。
(終わり)