カテゴリ:ミャンマー・ラオス・カンボジア( 102 )
「妊娠させたら結婚しなければ犯罪」・・・ミャンマーで立法中!?

昨年末、隣国ミャンマーで、「女性を妊娠させた男は、
その女性と結婚しなければならない」という法律を
策定中だとのニュースが伝わってきた。



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女性の地位がなお低く、いわば‘明治維新’のような
時期にあるミャンマーだが、女性の地位向上を図ろうとしている。


妊娠させて結婚しない男には、最長7年の刑が科される。
このほかにも、DV(家庭内暴力)も犯罪とされ、集団レイプには
死刑が適用される予定だという。



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もっとも、まだまだ女性蔑視の慣習は強いようで、
女性の下半身を覆った衣類はけがれているから、
男性の衣類と別に洗わなければならないとか・・・。


前年にも、仏教徒強硬派の後押しで、仏教徒の女性は、
この多民族国家において、他の宗教の男性との結婚が
制限されたそうだ。



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妊娠させたら結婚しなければならない法律が、
タイや日本で通ったらどうなるだろうか?


種付けしたら、養育費も払わず、飛び立ってしまう男が多い
タイでは、まず考えられない立法だが、
仮にできたら、いっそう少子化が進むのだろうか!?
それとも、結婚世帯が増えるのだろうか?


日本では?
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by ucci-h | 2017-01-16 20:12 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
ミャンマーへの外国人入国者は、開放後2年でどれだけ増えたか?
ミャンマーへの外国人旅行客が増えている。

2011年の開放路線への転換以来、
「ホテルが少ない、高い」、「インフラが整備されていない」と
多くの問題点も出てきたミャンマーだが、
ここにきてホテルの供給も増え、価格も適正化されてきて、
いっそう行きやすくなってきた
(ただし、まだ入国ビザを取らなければならないが・・・)。

ヤンゴンの街は、古いポンコツ車どころか、
日本ブランドの新車で溢れている。
時代の変化は一挙にやってくる。

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 「ヤンゴン周辺見て歩る記(1) ヤンゴンの交通事情 2013-10-16」
  http://uccih.exblog.jp/19827148/


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ミャンマーへの外国人観光客数は、
2011年の100万人に達しない82万人から
2年後の昨2013年には204万人へと、
2年間で2.5倍に急増している。
今2014年は300万人を超えるかと見られる。


2013年の204万人は、観光大国タイランドの
年間2,670万人には比ぶべくもないが、
成長するミャンマー経済にとっても、
観光は一大成長セクターになってきている。
56%が陸路国境越え、4割が商都ヤンゴンからの空路入国だ。

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ホテル・観光省の数字によれば、
2013年には、外国人旅行客は、計9億2,600万ドル(935億円)を
落としてくれているという。
2年前の2011年から2年間で2.9倍となっている。


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ミャンマーの国内が開けてくれば(格安航空の国内各地への
乗り入れなどにもっと柔軟になれば)、
タイ人が好む仏教遺跡だけでなく、
北の雪を冠った山々(タイにはない)から、南のアンダマン海の
青い海まで、豊かな大自然が、外国人をいっそう招くことになるだろう。

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by ucci-h | 2014-04-23 12:37 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(2)
‘眠れる首都’ビエンチャンに高層オフィスが建ち始める

国土の8割近くが山で、人口が650万人しかいない

小国ラオス。

タイなどへの水力発電による売電と、非鉄の採掘などで

主に外貨を稼いでいる。

工業化は遅れている。



しかし、過去5年の経済成長力は年平均8%とアセアンの

中でもトップクラスだ。

ベトナム、中国、タイ中心に、外貨が流入している。

1年前の2013年2月には、WTO(世界貿易機構)にも加入した。


 「成長するラオス 2012-1-30」

  http://uccih.exblog.jp/15350704/



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工業化の芽生えは、首都ビエンチャンの開発を促している。

‘眠れる首都’ビエンチャンでは、2009年頃までは

オフィスビルも少なく、増えなかったと言う。

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2010年韓国資本によるコラオ・キャピタル・タワーの着工に

よって様相が変わってくる。

2010~12年には、それまでのオフィス・スペースの3倍以上が

この3年間に追加され、いまビエンチャンの

オフィス・スペースは50,000㎡ほどに増加したと言われる。



それだけ事業を営むためのオフィスのニーズが増えたと言うことだ。

稼働率も82%と高いから、今後もビエンチャンのオフィスは増えるのだろう。



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そして現在は、高層ビルの建設へと移りつつある。

ビエンチャンの街の中心、ラーンサン通りの凱旋門の7階に登って

街を見下ろしても、まだ高い建物はない。

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ところが、凱旋門の南1.5kmに

「ワールド・トレード・センター」と「ニュー・ワールド・ビルディング」の

建設現場がある。

商業・住宅も含むコンプレックス・ビルディングだが、

ワールド・トレード・センターは150mの高さになると言う。

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出来上がれば(いつだろう?)、ビエンチャンのシンボル的なランドマークに

なるのだろう。

ラオスの工業化とビエンチャンのオフィス・スペースの増加は

手を携えて進んで行く事だろう。





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by ucci-h | 2014-02-19 12:35 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(2)
タイ・カンボジア国境紛争は今回で解決したのか?
2013年11月11日(月曜日)、ちょうど第1次大戦の終戦日である
「ベテランズ・デー」に、カンボジアとタイの国境紛争である
「プレア・ビヒア寺院」地域の所属に関し、オランダ・ハーグにある
国際紛争を裁く国連の機関である「ICJ」(国際司法裁判所)で
裁定が下った。

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裁定は、1962年にICJがプレア・ビヒア寺院はカンボジアに所属すると
裁定したが、その周辺の土地は不問にし、国境線を裁定したものでは
ないので、今回もカンボジアからの訴えにより、その周辺の土地の帰属、
どこまでがカンボジアの領地なのかのICJの“解釈”を問うものであった。


日本での報道は、「プレア・ビヒア一帯の土地はカンボジア領との判決が出た」
と報じるものが多いが、実際の裁定と少しずれているので、
こちらタイでの受け止め方を含め、今回の裁定のポイントをまとめておこう。


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こちらでの第一報は、「ウイン・ウインの結果だった」と言うものだ
(11月12日付バンコク・ポスト紙)。
また、カンボジア側も、「部分的勝利」と伝えている(プノンペン・ポスト紙)。


ICJは以前の裁定を覆すことはない。
1962年の裁定の解釈とは、62年に定めなかったことを、時間を経て、
新たに付け加えるものとなる。


半世紀前の裁定では、プレア・ビヒア寺院はカンボジアに帰属するとしたが、
その山の上のタイへ向かう北参道などは定めなかった。

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プレア・ビヒア寺院は、9世紀にクメール人が建てた
ヒンドゥー寺院である。アンコール・ワットと時を同じくし、
その頃栄えたクメールの王朝は、北方120kmの
シャムの山の方にまで寺院を建立したのだ。

 「シェムリアップの近況 2013-7-3」
  http://uccih.exblog.jp/19151866/


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今回の裁定では、あらためてプレア・ビヒアのある高台部分は
カンボジア領と認めたが、
寺院の北方に広がる4.6kmの土地は、
カンボジアの主張する領土とは認めなかった。


これには、半世紀前に持ち出された20万分の1の地図
(1904年の植民地時代にフランスの測量士が作ったもの)は、
その精度に欠け、主張の根拠として採用できないとの
判断があったからのようだ。


以前述べたように、戦前フランスによって作られた地図は、
プレア・ビヒアの部分が不自然にタイ領に食い込んでいる。

 「タイ・カンボジア国境紛争異聞 2011-2-11」
  http://uccih.exblog.jp/12854204/


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かといって、プレア・ビヒア寺院の西北西4kmにある
「プノム・トラップ」(またはプーマクア)の丘などは
タイ領である、と言っているわけでもないようだ。


プノム・トラップの丘を登り始めるふもとの谷までが
プレア・ビヒアの周辺、すなわちカンボジア領だと言っているに
過ぎない。

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カンボジア側は、プレア・ビヒアの高台の領有が確認されたが、
北側の土地も含む4.6kmの領有は認められなかった。
タイ側は、プレア・ビヒア寺院はカンボジア領と確定されたが、
北方の土地は取られなかった。


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今回のICJの裁定は、なお含みを残すものである。
北方の土地のタイ領が確定していない。
ICJは、両国で友好裡に話し合って、この土地の開発を
進めるよう要請している。

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しかし、なお領有の行方が定まらないプー・マクア(マクアの丘)などは、
2011年2月の国境紛争で両国軍が対峙した所でもある。
はたして、今後両国の話し合いで、ほんとうにウイン・ウインの
関係が築かれるだろうか。
再び数十年後にICJの裁定を仰ぐことにならないだろうか。


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国境紛争で、一番困惑するのは地元の人々である。
避難を余儀なくされ、観光収入どころではなくなる。
両国の話し合いで、観光開発が前進することを願いたい。
いまだ現在でも、タイ側からは、プレア・ビヒア寺院だけでなく、
近くのワット・ゲーオ(ここはプレア・ビヒア高台に入るようだ)にも
入れないようだ。

カンボジア側からは、「タイ人の観光客は大歓迎だ。
ぜひアンコール・ワットにおいでください(そこからついでに
120km先のプレア・ビヒアにもどうぞ)」となるようだ。


もっとも、今回のICJ裁定で、地元民はとりあえずの
紛争の落ち着きを喜んでいる。
地元のシサケット県知事はじめタイ外務省に代表団を
訪れ、お礼の言葉を述べている。
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by ucci-h | 2013-12-02 23:31 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
一筋縄ではいかない(?)ミャンマーの国際合弁事業
開放ミャンマーでは、1年前の2012年11月に
「外国人投資法」ができ、2013年2月から運用と
なっている。

 「ミャンマーの新しい外国人投資法出る 2012-11-11」
  http://uccih.exblog.jp/17150457/


必要な外国資本(及び技術)に門戸を開いた形だが、
過去の軍政下での既得権のしがらみもあり、
一筋縄でスムーズに展開するとはいかないようだ。


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人口6千万人をかかえ、ビールの一人当たり消費量が
なお低いミャンマーは、ビール会社にとって垂涎の
マーケットだ。


現時点でも、トップの「ミャンマー・ビール」社は
独自の財務諸表は公開していないが、ミャンマー最大の
納税企業だ。

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ミャンマーにおけるビール消費量は、年間一人当たり
わずか4リッターと言われる。
大瓶わずか6本強だ。赤ん坊から年寄りまで入れた一人当たりでである。
日本のざっと10分の一だ。


ミャンマーのビール消費水準が低いのは、
タイに似ている(それでもタイはミャンマーより6.6倍高いが)。
高いビールより、安い国産蒸留酒が好まれるからだ。
しかし、ミャンマーのビール消費は、経済開放にあわせ、
今後大きく増えていきそうだ。


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このミャンマー・ビール社は、以前お伝えしたように、
シンガポールの「フレーザー・ニーブ」が55%、
ミャンマーの軍の経済組織である「UMEHL」(または単にMEHL)が
45%を持つ国際合弁会社となっている。

 「外国企業に門戸を開いたミャンマーのビール業界 2013-5-22」
  http://uccih.exblog.jp/18823538/


ミャンマーへの外資進出は、資本の過半数を超えてもいいが、
ミャンマーの企業との合弁が条件となっているものが多い。


UMEHLは「MEC」と並ぶ、軍の2大企業組織である。
ヒスイやルビー、サファイアの鉱山も持っている。
MECの方は、第2位のダゴン・ビールを持っている。
またこちらは、セメント、鉄鋼事業も持った同じくコングロである。


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この合弁会社ミャンマービールを巡って係争が起きている。
フレーザー・ニーブは、2012年9月から2013年初めにかけて
タイ・ベバレッジ社(タイの富豪、チャーン・ビールでタイでのトップシェアに
のし上げたチャルーンが創業)が、子会社化している。

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2013年8月末にUMEHLからクレームが来た。
合弁を営んでいるフレーザー・ニーブが、UMEHLの事前承認なしに
自社株をタイ・ベバレッジに売り渡したのは、合弁契約の規約違反で、
UMEHLの方に株式獲得の優先権がある。
契約違反だから、合弁会社ミャンマー・ビールの株式も
引き渡せということになる。


係争の結末は未定だが、
UMEHLがミャンマービールを100%子会社にしたい
(ビール製造の技術はそう要らないだろうから)との
思惑からクレームをつけたのだとしたら、
その他の外資との合弁事業にも不安を与えかねないと見られる。


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UMEHLは、中国の国営「Norinco」(北方工業)の子会社とも
合弁で、中部サガインで銅山開発を行なっているが、
土地収用費未払いとの地元民の抗議から、開発が
一時ストップしたりしている。


また、ヤンゴン市の北部の住宅地で
ベトナムの資本による商業コンプレックスの建設が
この6月にスタートしたが、うわさによれば、
政府(担当は観光省)は、この建設に10月待ったをかけた
と伝えられる。


ミャンマーの外資開放路線も、
既存権益グループの抵抗などもあり
ストレートには進まないようである。
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by ucci-h | 2013-11-21 22:47 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
ヤンゴン周辺見て歩る記(4/終) ヤンゴン市内を巡ってみると・・・
開放された国なら、列車に乗るには、
駅へ早めに行って切符を買えばいい。
ところがここはミャンマーである。


ヤンゴンへ帰る列車の時間を確かめにバゴー駅へ
行ったら、15時58分発のヤンゴン行き
急行列車があるという。
そして、「1時間前に駅に来て切符を買うよう」告げられた。

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街の観光を終えて、午後3時ごろ駅へ行く。
駅前は水溜りで、お世辞にもミャンマーの主要駅には見えない。
外国人が切符を買うには、奥の係員のいる部屋まで行き、
パスポートを見せて買う仕組みとなっていた。
なお外国人の行動はチェックされるお国柄である。
アッパークラスを1枚取った。
ヤンゴンまで2時間、4ドル(400円)である。

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列車が来たら、駅員は親切にも車両へ案内してくれた。
列車もエアコンこそないが、横1席+2席=3席でゆったりしている。
窓から眺めるすすきと田んぼの景色が気持ちいい。

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ヤンゴン駅に着いたのは夕方6時。
現地通貨チャットでの支払いが思ったより多かったので、
チャットが足りなくなっていた。
ガイドブックによれば、駅の近くのトレーダーズ・ホテルの隣の
「セントラル・ホテル」で夕方でも両替できるという。助かった。


カンボジアはほとんどドル支払いだが、
今のミャンマーは、ドル払いとチャット払いが入場料などでも
混在している。
これは何か?


2012年に現実的な為替レートでスタートしたチャットは、
今年4月頃は1ドル=885チャットほどだったのが、
その後米連銀の金融緩和措置縮小の思惑で下落、
7月には980チャットまで下落、1ドル=1000チャットに迫った。
その後1ドル=970チャットくらいまで持ち直している。
開放ミャンマーへの外資流入もあり、必ずしもドル選好ではないようだ。

 「通貨チャットの変動相場入り 2012-3-23」
  http://uccih.exblog.jp/15616022/

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夕食は、近くのサクラ・タワー20階にあるスカイ・ビストロで
ミャンマー・ビールとあわせ洋食セットをとった。
ヤンゴンの街が一望できるが、なお光の量は他の国の商都に
比べ少ない。


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翌日のヤンゴン市内一日観光は、朝まず、かつての名門
ヤンゴン大学に行ってみようと決めていた。
かつての東南アジア随一の大学も、軍事政権下で縮小され、
今は、学部はなく、修士課程のみだという。

 「教育空白の半世紀 ヤンゴン大学 2013-4-17」
  http://uccih.exblog.jp/18567917/

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北方郊外のインヤー湖公園南西角に大学はある。
手前には大きな新しいアメリカ大使館の建物が見えた。


大学の入口にタクシーで着いたが、外国人は許可証が
ないと構内に入れないと守衛は言う。
構内をタクシーで回ってみるだけだと言うが埒が明かない。
あとで運転手は、「後部座席に伏せていれば入れたよ」と
言ったが、そうもいかないだろう。
ミャンマー政府の外国人排斥の伝統を朝から見せてもらった。


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しかたないので、ヤンゴンで一番人が集まるという
シンボリックなシュエダゴン・パヤー(パゴダ)へ行った。
建立は紀元前にさかのぼると伝えられる。

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ここでも外国人は入場料をとられる。
外国人観光客が増えてきたせいか、10月1日から入場料は
5ドルから8ドルに60%値上げされていた。
入場料を増すなら、境内の英語の説明札ぐらい増やして欲しい。
外国人観光客の増加は、ミャンマー政府、政府関係者を
潤すように見える。


ミャンマーへの観光客数は、以前は年間30万人ほどだったのが、
開放により2012年には100万人に乗せた。
といっても、人口でほぼ同規模のタイの年間2000万人超とは桁違い。
仏教遺跡も豊富なことから、今後さらなる増加が望めそうだ。

 「伸びるアジアへの観光客 2011-9-7」
  http://uccih.exblog.jp/14512736/


境内はビルマ人の善男善女の参拝客でにぎわっていた。
日本人、韓国人など外国人の姿も目立つ。
仏塔を囲む八曜仏には英語の札がついていた。
自分の誕生曜日の水曜日夜(水曜だけは、タイもそうだが、
昼と夜に分かれ、八曜となる)を探したが、Wednesday morningが
ダブっていて、見つからなかった。


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お寺を出て日差しが暑くなったので、隣の「人民公園」で
休もうかと思った。そしたら、素っ気無い公園なのに
外国人ビジターは入場料5ドルときた。
外国人となると政府からお金を取られる国だ。
木々も少なそうな公園に入るのはやめ、
タクシーをつかまえ、涼しい国立博物館へ向かった。


朝から面白くもないヤンゴン観光となったが、
南のダウンタウン西にあるこの大規模な国立博物館だけは別だった。
1階から5階まで王の玉座、各地の寺院のミニチュアの展示、
古墳時代のミャンマー、ミャンマーの伝統工芸品、ミャンマーの絵画、
さらにミャンマーの各地の民族の紹介など、広く多彩に陳列されている。


全フロアー5階分を見てさすがに足は疲れたが、
5ドルの入場料は安く、充分興味深く鑑賞できた。


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昼メシは、近くのダウンタウンの狭苦しい路地を入った
ミャンマー・カレーの有名店「ダヌピュー」へ。
混んでいた。自分で好きなカレーを選ぶが、評判どおり、
ポーク、マトン・カレーはうまかった。

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昼食後、歩いて、駅のそばの衣料品などおみやげ物を売る
1926年設立の「ボージョー・アウンサン市場」へ。
途中路上で、桜の枝の前で傘をさすアウンサン・スーチーの
来年のカレンダーが売られていた。日本人かと思った。
2階建てのマーケットでミャンマー製のシャツを3枚ほど買う。
ここは、地元のマーケットというより、おみやげ市場だ。

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夕方は、夕食前に、ホテルから近い、カンドージ湖にある
ミャンマー・マッサージの店に行ってみる。
90分7000チャット(700円)とチェンマイ並みに安い。

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いい雰囲気の店だったが、出てきたのは、何と若い女の子。
年を聞いたら、18歳だという。
そういえば、北タイのメーサイのビルマ人・マッサージ嬢も
若かったなあ。
ミャンマーは平均年齢が若い国だからだろうか(!?)。
話をしながら、まじめにマッサージをしてくれた(ほんとに)。
女子大生にやってもらった気分だ。


ーーーーー


ちなみに、アジア16カ国の平均年齢(中位数)は、
CIAの2013年推定によれば、以下のようになっている。


若い国ベスト5:

1.ラオス 21.6歳
2.パキスタン 22.2歳
3.フィリピン 23.3歳
4.カンボジア 23.7歳
5.バングラデッシュ 23.9歳

アセアンでは、ラオス、フィリピン、カンボジアが圧倒的に若い。


それに続く若い国5カ国:

6.インド 26.7歳
7.マレーシア 27.4歳
8.ミャンマー 27.6歳
9.ベトナム 28.7歳
10.インドネシア 28.9歳

ミャンマーはほどほどに若い国となる(世界平均は29.4歳)。


アジアの高齢国(世界の平均以上)を並べると
以下のような6カ国となる:

11.シンガポール 33.6歳
12.タイ 35.1歳
13.中国 36.3歳
(アメリカ 37.2歳)
14.台湾 38.7歳
15.韓国 39.7歳
16.日本 45.8歳

日本の46歳はダントツだが、タイはシンガポール、中国と並んで
はや‘中年国’となっている。


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あすはチェンマイに帰る。
ヤンゴン周辺を見て回った印象をまとめると;


1.ホテル代が上がり、ホテルの数が少ないと言われるが、
探せば、それなりのホテルは見つかる。

2.宿泊施設より、道路、交通などインフラの整備を
して欲しい。携帯電話や電気、テレビなども足りない。

3.サービス業の人々の訓練をして欲しいが、
それ以上に、外国人にもっと門戸を広げて欲しい。


2013年10月のヤンゴン周辺を回った印象である。

(終わり)
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by ucci-h | 2013-10-23 22:35 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(2)
ヤンゴン周辺見て歩る記(3) タイと因縁深い古都バゴーはどうなっている?
ミャンマー2日目のゴールデン・ロックのふもとのホテルは
新しく、部屋も広々していたが、夜中に大音響で起こされた。


時計を見たら夜中の3時!
隣の部屋の酔っ払いが、夜中にテレビを大音響で
点けたかと最初思ったが、よく聞くとホテルの外の広場から聞こえる。
スピーカーの音楽に女性の歌も交じっている。


フロントに電話して、夜中に何だ?と聞いたら、
お寺のお布施への呼びかけだという。
そう言えば、チャイティヨーへの道すがらも
大きなスピーカーでやっていた。寄進プロモート週間らしい。


しかし、夜中の3時にやることはないだろう。
幸い10分ほどで終わったが・・。

持ってきた耳栓が効果を発揮した。


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翌朝。ゴールデン・ロックからヤンゴンへの帰路は、
バスで中間地のバゴーへ。


バゴー(旧名ペグー)は、13~16世紀にモン族の
王朝が栄えた街で、タイになじみが深いので行ってみたかった所だ。

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モン族は東南アジアに南下してきた民族の中でも古い民族と言われ、
古くは紀元前にはタイのスパンブリーに興ったといわれる
「スワンナプーム王国」(バンコクの空港の名になっている。黄金の地の意)を
建国したと言われる。


また、7~8世紀に、チェンマイの南ランプーンに「ハリプンチャイ王国」を
建てたのもモン族と言われる。


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そして何よりも、13世紀末(1287年)、モンゴルの襲来により
ビルマ族最初の王朝で450年続いたバガン王朝が崩壊すると、
モン族は、ここバゴーに「ペグー王朝」を独立建国し、その後250年間
下ビルマを支配した。


しかし、16世紀半ば(1539年)、勢いを盛り返したビルマ族の
「タウングー王朝」(1510-1752)にペグーは併合される。
タウングー王朝は、ここペグーを基地として、タイに攻め込むことになる。


タイの3大大王の一人、アユタヤ王朝を再興したナレスワン大王が
幼少の頃1560年代にアユタヤは陥落し、ビルマに人質に取られ、
いろいろ学んだ地がここペグーであった。
ビルまで学んだナレスワンは、のちにビルマからの独立を果たし、
16世紀末には逆にビルマに攻め込むことになる。

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 「ハリウッドを凌ぐナレスワン大王3部作 2008-6-9」
  http://uccih.exblog.jp/11117992/


映画「ナレスワン大王」を見ると、ここペグーの別称である
“ハンサワディー”(ヤンゴンの新空港の名になる予定)がよく出てくる。
バゴーに寄って、ハンサワディーの王宮の発掘を見たいと思った。


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ゴールデン・ロックのふもと、キンブンを9時に出た長距離バスは
なかなかバゴーに着かない。
行きのバスとルートが少し違うようだ。
また途中の街で何回も停車する。
その度に、隣の席のミャンマーのおばあさんにバゴーでないことを確かめる。


結局、キンブンから3時間半ほどかかって、バゴーにたどり着いた。
英語のできるバイク・タクシーに乗って、3時間バゴーの街を見ることにする。


ヤンゴンもそうだが、観光も政府の大きな収入源。
バゴーのお寺など見るのに、10ドルの入場券が必要となる。


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この街の2大アトラクションのひとつは、9世紀に建てられた金色に輝く
「シュエモード・パヤー」だ。
パヤーはビルマ語で仏塔(パゴダ、チェディ)のこと。
825年に最初の建立というから、日本の平安初期の頃だ。
モン族の王によって建てられたものらしい。

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その後地震で崩れたり、建て増しがされ、今では114mの高さ。
ヤンゴンの街のシンボルであるシュエダゴン・パヤーの99m
(こちらは紀元前の建立だと言われるが)をしのぎ、
ミャンマー一の高さを誇る仏塔だ。
ぐるっと塔の周りを一周するとその大きさがわかる。


@@@@@


バゴーのもうひとつのアトラクションは、「シュエターリャウン寝仏」。
994年にモン族の王ミガディパ王によって建立されたという。
屋内に横たわるが、全長55mの寝仏はさすがに大きい。

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タイのバンコクにあるワット・ポーの寝仏の46mを上回る。
アユタヤにあるワット・ロカヤスタの寝仏は28mだというから
これの倍の長さだ。
なお、ヤンゴンの新しいチャウタジー・パヤー内の寝仏は
全長65mで、シュエターリャウン寝仏より長くなっている。


釈迦の臨終時の説法の姿を描いたと言われる
寝仏(涅槃仏)は、タイでもミャンマーでも頭は北枕で
心臓を上にした西向きで横たわっている。


@@@@@


バゴーでの目的のハンサワディー王宮遺跡は、
掘り出されたチーク材の大きな柱が展示されている
王宮謁見の間を再建した建物があったが、
見ものに乏しかった。
敷地に入るのに別に5000チャット(500円)とられた。

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あのタイのナレスワン大王が幼少時暮らしていた
ハンサワディー王宮の壮大な姿は、
残念ながら思い浮かべなかった。

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バゴーからヤンゴンへは、
列車に乗って帰ってみることにした。

(次回最終回へ)
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by ucci-h | 2013-10-21 13:42 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
ヤンゴン周辺見て歩る記(2)奇岩ゴールデン・ロックへは辿り着けるのか?
旅行には、特に海外旅行の場合、
①目的地でいかに楽しむかを考える旅と、
②そこまでどう行くかを考える旅とがある。


ヤンゴン2日目は、東北75kmにある古都バゴー(旧名ペグー)を
経て、さらにその東75kmほどのチャイティヨーにある
奇岩“ゴールデン・ロック”までバスで足を伸ばすことにした。

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タクシーよりもバスの方が、視点も高く、現地の人に混じって
印象深い体験になるだろう。
さて、しかしビルマ語も通じず、うまくたどり着けるだろうか?


計150kmほどの距離だが、ガイドブックによれば、
バス→ソンテウ→トラックと乗り継ぎ、10時間ほど、
1日がかりの行程になるようだ。
どうしてこんなに時間がかかるのだろう?
途中長い停車が多いからかな?


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朝8時過ぎに市内のホテルを出て、街の北にあるバスターミナルまで、
タクシーで40分ほどかかった。
郊外へ出てやっと、市内では乗り入れ禁止のバイクの姿が見れる。


バスターミナルは広いが、昨日の雨でぬかるみになっている。
そこで切符を買って(前日にダウンタウンの切符売り場で買えとも言われたが)、
NEW TOKYOと書かれたバスの向こうのNARA KANKOのバスに乗り
9時半ごろ出発。片道7000チャット(700円)。ほぼ満員だ。

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道路は片側1車線のやや凸凹した舗装道路。時間はかかる。
しかし、道路沿いの景色は緑が多くのんびりしている。
ミャンマーは緑の多い国だ。
エアコンのないバスだったが、緑の風が入ってきて快い。

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途中から人が乗ってくるので、この長距離バスは
バゴーに昼前に着くころには、通路にまで人が立って満員だ。
目が大きく、日本人に似たビルマ人の若い女性が目に付く。

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昼過ぎにチャイトーの街の手前の食堂で停車。
皆と同様に、はじめてビルマ料理の昼飯を食べる。
カレー味はうまく、韓国料理のようにつけあわせが出る。2500チャット。
ここまで4時間近く。日本のようにトイレ休憩などなかった。

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食後同じバスに乗り、チャイトーの街まで。
そこで小型トラックのソンテウに乗り換え、ゴールデン・ロックの
山のふもとのキンブン(キンモン)へ。
若いお母さんが赤ちゃんに授乳していた。


キンブンに予約しておいたホテルは、ちょうどこのふもとの角にあった。
荷物を預け、いよいよ政府運営の大型トラックで山頂へ行く。
トラックには、荷物を前の方に積み、残りの荷台に人間が乗る。
時刻は2時半を回っていた。ヤンゴンのホテルを出てから6時間強だ。

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ガイドブックによると、ここからトラックに揺られて45分。
そしてそこから山頂まで歩くか駕籠で1時間ほどとあった。


計算してみた。
3時に出発して、頂上に着くのは5時ごろになる。
帰りのトラックの出発時刻がわからないが、5時ごろだとすると、
ほとんど見て歩く時間はない。
夕方は夕陽がゴールデン・ロックに当たりきれいだと言うが、
明日の朝一番で行くことにするか?


すると、小型トラックの中で知り合った英語をしゃべる
ミャンマー人のチャオさんが、「行こうよ。何とかなるから」と
誘ってくれる。
もっとも、夕方のトラック便で登る人は、山の上のホテルに泊まったり、
野宿して日の出を拝む人が多いという。


帰りのトラックの時間は5時か6時だということではっきりしない。
「まあ行ける時に行ってしまえ。帰れなかったら野宿もいいだろう。
毛布とか持ってこなかったけど・・」と、ここはタイから来た
人間らしく、何とかなるだろうと、満員のトラックのチャオさんの隣に
座ることにした。


@@@@@


この政府運営のトラックの山登りは面白かった。
ちょうど今年の初め、北タイのパーイの近くの山に桜を見に行ったときに
劣らず、険しい山道を登るスリルに富んでいた。
30人ぐらい乗せて、急な山坂をトラックはどんどん登っていくのだ。
こちらは捉まるところがないから足腰でバランスをとる。
山の景色がすがすがしい。


4時ごろには終点のヤテタウンへ着いた。
確かに駕籠かき(4人ずつ)がいる。
駕籠に乗るのと歩くのとどちらが速いだろうか?


そしたら、バスから降りることなく、バスはここから
山頂までさらに10分くらいかけて登ってくれたのだ。
ラッキーである。


結局4時20分ころには、ゴールデン・ロックが目の前に見える
山頂まで来れた。それでも、ヤンゴンのホテルを出てからつごう
8時間かかったことになる。
もっと交通が整備されれば、来やすくなるだろう。
ヤンゴンからタクシーを使っても、総計5-6時間はかかりそうだ。


@@@@@


途中、外国人は6000チャット(600円)を入山にあたって
徴収されたが、金色に輝き、山の上の岩の上で落ちそうで落ちない
ゴールデン・ロックのパゴダを拝むことができた。
金箔を貼るのは、ここでもにんにくを使っているのだろうか?

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帰りは、5時過ぎの下りのトラックに乗ることが出来た。


ふもとの新しいホテルに投宿し、そこで夕食。
店員は4-5人たむろしていたが、いらっしゃいのあいさつなどないし、
タイよりずっとぼやーっとしている。
ビールの後に「ウォーター!」と頼んだら、もう一本
口を開けたビールを持ってきたので、しかたないのでもう一本飲んだ(笑)。


静かな山のふもとの夜。外の広場も暗い。
一日の疲れにビールも効き、ぐっすり寝る。
そして、夜中、大音響で起こされることになる。


続きは次回に。
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by ucci-h | 2013-10-19 22:48 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
ヤンゴン周辺見て歩る記(1) ヤンゴンの変わった交通事情
ミャンマーの経済開放化が動き出したのが
20011年8月。
それから2年ほど経過した。
ミャンマーは急速に変わりつつあると言われるが、
今回、ヤンゴン周辺を自分の目で見てきた。


 「ビルマの開放路線の歯車が回りだしたか 2011-8-15」
  http://uccih.exblog.jp/14351073/


@@@@@


7年前に改装されたヤンゴン国際空港は、
比較的明るくきれいだった。


出発地北タイのチェンマイはミャンマーに近く、
商都ヤンゴンまでは360kmしかないが、
格安な直行便は今のところないので、
バンコク経由で行く・・。


ヤンゴン空港は、乗降客の増加により今後拡張され、
さらには新空港がいずれ出来る。
中国と韓国の企業がそれぞれ落札した。


 「ヤンゴンの国際空港が落札されたが 2013-9-6」
  http://uccih.exblog.jp/19610121/


空港内の入管で、あらかじめミャンマーの旅行社で
申し込んでおいたアライバル・ビザをパスポートに貼ってもらう。
出たところに旅行社のキンさんが待っており70ドル払った
(ネット上では結局払えなかった。うちビザ費用が30ドル)。
うまくできている。


@@@@@


到着したときヤンゴンの街はすでに日が暮れていたが、
新車が多く走っているのにびっくりした。
政府の老朽車買い替え推進制度により、
ここ1~2年で瞬く間に日本車などの新車が増えた。


 「ビルマのポンコツ車買い替え狂騒曲 2011-12-12」
  http://uccih.exblog.jp/15095340/


自動車販売会社の庭は、新しい車で一杯だった。
普通の価格で買えるようになったということだ。

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プレートの赤いのが目立つので、タイと同じく新車かと
聞いたら、赤はタクシーなどの商用車(乗用車は黒)のナンバーだという。
開放経済後の新しい車のナンバーは、黒ナンバーも赤ナンバーも
まるまったビルマ文字からアルファベットと数字に変わっている。


@@@@@


ヤンゴン市内は、10年ほど前からモーターバイクの
乗り入れが禁止されているから、車の流れはその分スムーズだが、
車が増えたので、ラッシュ時は渋滞が見られる。2~3年前とは
大違いだと言う。

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郊外でバイクしか持っていない人は、
乗り合いバスやタクシーで街に入ってくるわけだ。
バイクの洪水のベトナムとは大違いだ。
ヤンゴンの町並みは緑が多く、歩行者のロンジー姿が良く似合う。


@@@@@


ミャンマーには、中古車含めて日本車が多い。
右ハンドルである。
ところが、道路は、イギリスの植民地で左側通行だったのが、
1970年に右側に代えている。隣のインドやタイは日本同様
左側通行だが・・。


ここで面白いことが起こる。
右側通行の道路をほとんど右ハンドルの車、バスが走っている。
乗用車は慣れているからいいのだろうが、
バスの乗降は道路の中央寄りになる。これも慣れているということか。



いっそう左側通行に戻そうかと言う話もあるが、
そうはならず、輸出の増える日本車も左ハンドルにするかとの話もある。


左側乗降は慣れているので何でもないようだが、
道路は、まだ比較的すいているからいいが、
これから車が増えてきたら、危なくないのだろうか?


@@@@@


ヤンゴンの街中は舗装がほぼ行き届いているが、
いったん郊外へ出ると、道路は片道1車線で狭い。
ミャンマーの道路が良くなって行くのはこれからだ。


明日あさっては、ゴールデンロックのチャイティヨーと
タイにも馴染み深い古都バゴー(ペグー)へ足を伸ばしてみよう。
時間がかかりそうだ。
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by ucci-h | 2013-10-16 00:18 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(5)
選挙の度に強くなってきたカンボジアのフンセン体制だが(3/3)
そして前回のカンボジアの総選挙は2008年に行なわれました。

筆者もちょうどカンボジアを訪れていましたので憶えています。
すでに選挙時の暴力は減り、脅しがこれに代わってきたと報道されましたが、
前3回に比べて、いっそう平穏に行なわれたようです。

結果は、人民党が90議席(58%)とついに過半数を獲得、
SRPは26議席(22%)、その他3党で残りの7議席を取りました。
与党人民党の圧勝です。1993年の第1回選挙でトップをとった
フンシンペック党は、すでにラナリットも去り、2議席に激減しました。

その2年前の2006年に、フンセンは憲法を改定し、
議会では単純過半数で内閣を組めるようにしていましたので、
選挙後の組閣は簡単でした。

フンセンはついに、かつてのバックとなったベトナム共産党並みの
1党独裁に近い体制を完成させたと見られました。

@@@@@

そして今年、2013年7月、5回目のカンボジア総選挙が行なわれました。

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その前に、28年にわたる長期政権の下、独裁的地位を固めた
フンセンは、「74歳まで、あと13年首相を続ける」と表明しています
(以前は90歳までやると言っていましたが・・)。

対外的にも、ベトナムや中国と近しくして、隣のタイを
巧みにあしらうなど、リーダーシップを固めてきました。

@@@@@

2013年の総選挙前においても、アメリカの議会からは、
フンセン体制の“できあがった”選挙をけん制するために、
年7300万ドル(70億円)の援助をカットせよとの声も
上がりましたが、かつてのクリントン政権同様、オバマ政府は
明白な行動は取りませんでした。

カンボジアの外務大臣は、これに対して、
「アメリカが援助するかどうかは、アメリカの勝手でしょう。
彼らが何と言おうと、カンボジアの未来は、我々が決めるのです」と、
中国から数十億ドルの援助を受けているせいか、
意気軒昂でした。

今回は欧米諸国は、選挙監視団は組織しなかった
もようです。選挙監視団が行って見て、結果的に認めるとなると、
選挙結果が正当なものと評価されたと取られるからです。

@@@@@

今回2013年の選挙結果は、与党人民党68議席、
野党CNRP(カンボジア救国党)55議席という
結果が出ました。

カンボジア救国党は、国外に逃れていた
サム・ランシーが、昨年自身の「SRP」に「人権党」を
加えて、成立させたものです。

これで、人民党の4連勝となりましたが、その差は
前回2008年の選挙時の90対29から、68対55へと
大きく縮まりました。
CNRPの得票率は、人民党の49%に対して
44%でした(CNRPは、63対60で
自分たちが勝ったはずだと言っていますが・・)。

@@@@@

「驕れる者は久しからず」と言われますが、2008年の選挙で
独裁的地位を不動のものにしたストロングマン、フンセン体制も
ピークを過ぎてきたのでしょうか?

今までと違って、今回は野党がボイコットする意向の
議会運営について、フンセン首相が、野党の党首
サム・ランシーと5時間も話し合ったと言うのは、今までに
なかったことでしょう。

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カンボジアの変化が動き出したように見えます。

@@@@@

今年の6月、選挙前のカンボジアのシェムリアップに行ったときの
インテリのカンボジア人の言葉が、心に残っています。
「みな、フンセンにはもう飽きたというのが本音だ。
でも彼に代わる人間がいない。
変なのが出てくるなら、フンセンの方が安心だ」と言うものでした。

2009年のリーマンショック後の凹みを乗り越え、
フンセン政権下でカンボジアは6%を越える経済成長を
達してきています。

フンセン首相が仮に失脚するなら、
再びカンボジアの国内が混乱する恐れがなお
彼らの頭に残っているのでしょう。
でも、28年も経てそろそろ代わってもらいたい、と言ったところでしょうか。

野党カンボジア救国党の人気は、都市部だけではなく、
今回は、サム・ランシーと組んだ旧人権党の人権活動家
ケム・ソカーの人気も加わり、農村部でも伸びたようです。

@@@@@

カンボジアの変化の兆しは、メディアが限定された国において、
若い層によるインターネット、ソーシャルネットワークの活用により
もたらされた面が大きいようです。

有権者960万人のうち、150万人はクメール・ルージュの内戦も
知らない若い層でした。
カンボジアでも安くインターネットに接続できます。
フェイス・ブックの利用者は75万人に達すると言われます。

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かつて、フンセン首相は、ベトナムの支援を背景に伸してきました。
野党は、ベトナムの影響排除をテーマに闘ってきました。
しかし、もはやそういう時代ではないようです。

2015年はアセアン市場統合を控えています。
若い層の国境を越えた経済的価値観が、旧い内戦の怖れや脅しを
超えていく時代に入ってきたように見えますが、どうでしょうか?

 「国産車第1号誕生、工業化に入るカンボジア 2013-6-28」
  http://uccih.exblog.jp/19085963/

(終わり)
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by ucci-h | 2013-10-04 13:44 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
  

北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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