カテゴリ:日本・米国・欧州( 54 )
生々しく戦争の残虐さがよみがえった「NHK特集:カラーで見る太平洋戦争」
70周年の終戦の日、NHKスペシャル
「カラーで見る太平洋戦争」を見た。

デジタル処理で白黒動画をカラー化したものだ。
白黒動画と違って、当時の様子がまさに生々しく
よみがえってくる。

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退却を「転進」、全滅を「玉砕」と当時は
酷いことをきれいな言葉で装飾したが、
このカラー動画を見ると、「戦争」も装飾語で
実態は「残酷な集団的人殺し」であることが胸に迫る。

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日本は、外国へ侵略したことを
謝ると同時に、敗戦国として自国民が
どれほどひどい苦難にあったかを国を問わぬ反戦のネタとして
もっと世界に伝え続けるべきだろう。
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by ucci-h | 2015-08-16 14:25 | 日本・米国・欧州 | Comments(4)
日本株運用において注意したいこと
テクニカル・アナリストの異説(その2)
日本株について:


日経平均株価:


先のチャーティストは、今の状況は、8年前の2007年6月に、
日経平均が18300円をつけ、強気一色に包まれていたときと
よく似ているという。


当時すでに日本の代表株トヨタの株が5波の上げで
2007年2月にはピークアウトの形を示していたし、
6月以降、為替は円高へ進み始めた(さらに翌年には
リーマンショックの追い討ちがかかり、株価は大きく下がった)。

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もちろん、定性的な面を見れば、当時より日本企業の
収益力は上がっているし、株価のバリュー面でのバックアップはある。
しかし、4月1日の安値18927円を割っていくようだと
(あとまだ635円くらいあるが)、調整局面入りを見たほうがいいと
テクニカル・アナリストはいう。


調整に入った場合、どのくらいかは、テクニカル・アナリストは
触れていないが、3~4ヶ月内で、18000円前後までの下落は
見ておきたいと思う。それ以上調整するかはわからない。
株式ポートフォリオは、現金ポジションを上げておいた方が心配が少ない。


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株価の動向については、新聞やメディアのコメントはミスリード
しがちだと思っておいたほうがいい。
たとえば、日経平均が500円下がれば、「暴落」と騒ぎ立てる。
今の水準から見れば、2.5%の下げである。


個々の銘柄の上げ下げを見れば、一日で2%ほどの変動は十分起りうる。
また、日経平均が30円上がった、50円下がったと、ニュースにすべく
その強弱背景をムリヤリ、説明をつける。
数十円の上げ下げは、指数への影響の大きい値嵩株の数銘柄の
株価変化で起りうる‘誤差の範囲’である。


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またメディアは、相場の中身を見ていないので、指数の上げ下げで
一喜一憂するようなコメントをつけがちだ。
株式運用をするなら、勤勉に中身をフォローしないといけない。


最近の相場の中でも、年初来よく上がり、PER(株価収益率)も
ディフェンシブな(景気に左右されにくい)株のくせに、25~30倍以上と
高くなった食品や小売り、サービスなどの株は、
すでに、高値から10%前後の下げだが、調整色を見せ始めている。


個別の銘柄で10%下がったということは、日経平均指数で見れば、
2000円近く下がったことに当る。


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相場は、1年で15~18%も上がれば、御の字である。
指数で見れば、17000円が19500~20100円で終わればいい。
その中に年に3~4回の波があり、それ以上に、個別銘柄の
パフォーマンスの差が出てくる。


仮に500万円の株式ポートフォリオがあったとすれば、
それが年間100万円増えれば大成功だ。達成目標となる。


相場がしつこく上がり続けると、つい慎重に積んできた
キャッシュを取り崩し、調整相場の餌食になってしまいがちだ。


銘柄選択が良くても、なるべく安く押し目で買いたいものだから、
小さな欲を出し、押し目をねらい、ついに上がっていく株を
みすみす買い損なってしまったりするものだ。


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「欲」ではなく「勇気」を、「臆病」ではなく「慎重さ」を・・・

株式運用は、ゴルフに負けず、心理面で難しいものである。
その人間の管理力、バランス力が問われる。
これまた、心構えが大事な世界である。
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by ucci-h | 2015-04-19 23:36 | 日本・米国・欧州 | Comments(5)
株式・為替・原油価格見通しへの異説
株式、為替、原油価格・・・相場の行方は神様にしかわからない。


専門家と称する連中は、もっともらしく行方を占うが、
後から振り返ると、その時々のコンセンサスめいたものに
理屈をつけていることが多い。そこで多くがはずれる。


もし専門家の見通しが当っているなら、みな金持ちになっている。

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日本の株式・・・当面やや修正含みだが、企業の収益力が
新年度も高いため、年末に向けさらなる高値を目指すと
いうのが大方の見方だ。


でもどのくらい下がって、どのくらい上がるのだろうか?


為替・・・当面少し円が強まるも、ドル高の基調は変わらず、
年末に向け、1ドル=130円や140円もあるだろうと、
タイに暮らしている我々からすると寒気がする見通しが多い。


原油価格・・・一時的に下げ止まったが、基調は弱い。
今後の下げは限られようが、あまり戻らないだろうと
専門家筋は見る。


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さてさて???

こういうときは、どの程度相場に織り込まれているかわからない
定性的な要素にとらわれないで、
相場の心理面を反映するテクニカル分析が役に立つことがある。


古くから使われてきた「エリオット波動」(上昇5波動と下降3波動で
相場は循環する)をベースに、テクニカルな分析を行なっている
アナリストにモルガン・スタンレーのM氏がいるが、
彼の最近の見立てが面白いので紹介しておこう。

もちろん、当るも八卦、当らぬも八卦と筆者は見ているが・・。


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まず原油価格:

3月18日にバレル42.03ドルまで6年ぶりの安値まで下げた
原油価格(WTI先物)は、54ドル処の抵抗ラインを4月15日には超え、
57ドル処をつけてきた。
先物の買いポジションがなお高いので、上値余地は乏しいように見えるが、
42ドルで底を入れた可能性が出てきた。


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NYダウ:

NYダウは、1932年から73年はじめまで40年半続いた相場が
73~74年の大幅下げで終わったと同様、74年末から始まった
上昇相場は、この第2四半期でやはり40年半を迎える。

ずいぶん長期の話だが、NYダウは調整に入る可能性が高いと見る。
17200ドル処の抵抗ラインが攻防線と見られる。
まだ600ドルほどの余裕があるが。


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円為替:

国内では円安継続の合唱だが、
実は、円は今年になってから、対外通貨加重平均に対して、
10%ほど円高になっており、2012年からの下落三角もち合いから
上に抜け出してきている。


対ドルで見ると、過去30年、8年毎の循環を描いてきた。
2007年6月の円安124円から、2011年10月の75円の円高へ、
そしてこの2015年3月の122円への円安まで、ほぼ8年間の一巡だ。


過去の循環が今後も繰り返されるとすると、
以前のような大幅な円高出現の時代ではないだろうが、
来年か再来年には100円割れの円高も見られそうだと見る
(その後は2023年頃、140円ほどの円安へ?)。


エリオット波動は、自然界で多く見られる黄金比(1対1.62)を
人間心理の比率として波動の比較に用いるが、
今年3月の安値1ドル=122円は、2011年の高値74円の
ほぼ黄金比率になる。


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日本株については次回に。
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by ucci-h | 2015-04-19 20:31 | 日本・米国・欧州 | Comments(2)
楽観論が多い中で今年は気をつけたい米国株式市場のゆくえ
今年の日本の株式市場は順調な伸びが期待されている。
しかし、多数が強気なときは注意が必要だ。
足もとの企業決算は良いから、一段の伸びが期待されるが、
注意点はアメリカの株式市場だ。

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アメリカの株式市場は、2008~9年のリーマンショックによる
落ち込み後、昨年2014年の秋までで、すでに5年半以上上げ続けて来ている。
SP500指数は683の安値から2088まで3倍となっている。
背景は、リーマンショック後に導入された金融量的緩和の継続だ。


米国の景気もここにきて回復してきたようだ。
連銀は2015年央の金融政策の平常化に自信を深め始めたようだ。
量的緩和を止めて、平常化と言うことだが、坂道を下ってきた
足には平らな道も上りに感じる。


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米国株の株価は高くなっているのか?
SP500の実績PERは昨年9月末で18.6倍。
予想利益ベース(昨年末)で17.5倍。


実績で18.6倍はそう高くも見えないが、
過去10年の利益を均した「P/E10」(実質値)で見ると、26.8倍になり、
過去の回帰傾向線より41%上にあるという。

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これは、過去のP/E10の5分位階層の最上位(21.2~44.2倍)に
入るというから、高くなってきていることは間違いなさそうだ。


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株価は結果的に半年ほど先を読む。
SP500の昨年12月の高値がピークにならなければいいが・・。
今のところ企業収益の伸びと原油価格の低下によるインフレ抑制が
相場の支えとなっているが。


今年は注意しながら株式投資を進める年ではないだろうか。
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by ucci-h | 2015-02-02 00:47 | 日本・米国・欧州 | Comments(0)
かつての携帯電話の王者ノキアは、なぜスマート・フォン化に対応できなかったのか?ーーーノキア盛衰物語
ハイテク分野は、企業の栄枯盛衰の激しい分野である。
かつて、その天下はずっと長く続くように見えたマイクロソフトに
以前の面影はなく、パソコン分野でも飛び出たIBMも
PC事業は2004年に中国のレノボに売却した。


そして、7年前の2007年には、携帯電話で世界のトップシェア40%を
獲得し、普及期の携帯電話の代名詞ともなったフィンランドの
「ノキア」は、その後4年間で、赤字会社に転落し、昨年2013年9月、
携帯電話事業をマイクロソフトに売却するに至った。

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2007年当時、誰が時代の先端を走ったノキア携帯電話が
6年後に消え去ると想像できただろうか?
私もタイに来て最初に買った携帯電話はノキア製であった。
その頑強でシンプルな電話は、スマートフォン時代の今でも使える。


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携帯電話が普及する前の1980年代なかば、
ヘルシンキからノキア本社を訪ねたことがある。
アメリカでは、70年代後半から、‘セルラー・フォン’の到来が
言われ始めていたからだ。


なぜ、フィンランドといった北欧の携帯電話会社が伸びそうなのか
不思議に思った。
北欧は寒く、じかに人に会うよりも、電話でやりとりする機会が多いと
いう説明に納得したものだ。
当時、30年前のノキアの本社は、民家のようなこじんまりした建物だった。


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ノキアの転落は、栄華を誇った2007年から、実はその種を宿していた。
この年6月末に、その後の携帯電話業界を席巻する
アップル社から最初のスマート・フォン「アイ・フォン」が
リリースされていたのだ。


ノキアの悲劇の主人公は、2010年9月、移籍ボーナス600万ドル
(約6億円)も払って、マイクロソフトから迎えた最初のフィンランド人でない
CEO、カナダ人のステファン・エロップであった。

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ステファン・エロップがCEOとしてノキアの舵を取った3年間で、
年4.56億台あった携帯電話の売り上げは、2.74億台に
落ち込み、これに連れて売上高も40%下落した。
利益にいたっては、92%減となってしまった。


ノキアの株価は、彼の在任中81%下がったが、時価総額は
毎日平均1800万ユーロ(約25億円)ずつ減っていったものだ。


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ノキアの歴史を見てきたフィンランド人分析家によると、
ノキアにおけるエロップの失敗は、いくつかあるが、
最大の失敗は、ノキアもスマートフォンに踏み切ったときに、
マイクロソフトの「ウインドウズ・フォン」をプラットホームに
採用したことである。

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ご存知のように、ウインドウズ・フォンはアイ・フォンと
アンドロイドの間に分け入ることは出来なかった。
マイクロソフトから来たエロップは、マイクロソフトの
ソフトに思い入れが強かったのだろう。


また、業績の悪化に伴い、2010年11000人、2011年10000人と
リストラの斧を振るった。
これにより、優秀な管理職もノキアを去り、才能あるデザイナーや
プログラマーも会社を去ったといわれる。


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エロップ個人だけに失敗の責任を課すのも可哀相かもしれない。
ノキア社をコングロマリットから通信機器大手に変身させた
前任の功労者ヨルマ・オリーラ(1992年から2006年まで14年間
CEO)も、かつての成功体験から切り替えられなかったと言われる。

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ノキアは、なぜアンドロイドを早期採用しなかったのだろうか?
(ノキアが「ノキアX」なるアンドロイド・スマートフォンを出したのは、
2014年、マイクロソフトによる買収後である)
2011年2月には、前述のようにウインドウズ・フォンに注力して行った。


エロップ=「マイクロソフトからのトロイの馬」説がある。
あくまで想像に過ぎないが、もともとエロップはマイクロソフトから
トロイの馬的に送り込まれ、マイクロソフトのOSをノキアの
スマートフォンに採用させ、事業の縮小に追い込まれたが、
結局、携帯事業はマイクロソフトの傘下になったというものである。


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ノキアが早期に新スマートフォンにアンドロイドを採用しなかったのは、
金の問題だったと、フィンランド人分析家は見る。


マイクロソフトは、自社開発のウインドウズ・フォンを当時世界トップの
ノキアに使ってもらうために、数十億ドル払い、その使用権を与えている。
しかし、アイ・フォンとグーグルのアンドロイドの広まりの中で
マイクロソフト・ノキア連合は、フィンランド本国以外では浮上できなかった。


ノキアがアンドロイドでなく、ウインドウズ・フォンを採用すると聞いたとき、
グーグルの役員は、「二匹の七面鳥(だめなもの)が一緒になっても、
イーグル(うまくいったもの)にはならない」と皮肉っていた。


なお、携帯電話事業売却後のノキアは、得意とする携帯電話の設備構築事業や
デジタル受信機製造などで利益をあげている。
直近の2014年第3四半期は、予想を上回る営業利益32%増となっている。



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ハイテク企業は、革新が命である。
それほどテクノロジーの変化は、予想を超えるからである。
フィンランド人分析家も、ハイテク企業は、常に社内に
現在の自社のトップ・ハイテク製品を超えるような
革新的要素を抱えていないと、他社にいつか打ち破られると
言っている。


またその際、自社の既存製品に近い領域に固執するな
とも言っている。
親近性は、革新の妨げになる。
思い切り飛び跳ねた分野に研究開発費を使えということだ。


ハイテク産業は、難しいが、挑戦的な業態である。


ところで、日本のソニーはどうなったのだろう?
最近は鳴かず飛ばずだが・・。
製品・サービスからは、なお消費者に受け入れられようという
姿勢が感じられないが・・。
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by ucci-h | 2014-11-05 17:54 | 日本・米国・欧州 | Comments(4)
米国に基地を提供しながら、イスラム過激派に武器・資金援助をする国の論理
さて、この国はどこでしょう?

{ヒント1} 一人当たりGDPがほぼ10万ドル(日本の2.6倍)と
世界第3位の裕福な国。

{ヒント2} 世界一の天然ガス輸出国。

{ヒント3} 衛星放送局「アルジャジーラ」を持ち、
サウジの王政を批判している国。

{ヒント4} この国の国籍を持つ人口より、外国人労働力で
あるインド人の人口の方が多い。

{ヒント5} 日本のサッカー代表チームがワールドカップ行きを
最後に逃した“ドーハの悲劇”の国。

{ヒント6} 国土面積は隣国サウジの200分の一。
人口もサウジの13分の一。
なのに、国際的影響力の強い国。

そうです。アラビア半島の東に小さく突き出た
半島の国、カタールです。

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前回触れたように、ここカタールが、サウジと並んで
イスラム国などの過激スンニ派への資金源になっていると言われる。

 「9.11からイスラム国まで、その背景にサウジの育てたワハビズムが 2014-9-5/6」
  前編 http://uccih.exblog.jp/21082828/
  後編 http://uccih.exblog.jp/21084690/


一方で、カタールは、サウジと並んで、アメリカに協力する
アラブ穏健派国家とみなされている。


事実、シリアやイラクへの現在の空爆は、
カタールのアル・ウデイド空軍基地をベースにしている。
ここには、8000人の米軍がおり、120機の航空機が
存在していると言われる。


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また、首都ドーハに近いアスサイリヤ・キャンプは、
米軍の前線司令部となっている。
カタールは、ここを米軍に無償で貸している。
イラク戦争直前の2003年から米軍は前線司令部としている。


2014年7月、カタールは米国から総額110億ドル(1.2兆円近く)に
のぼる武器を購入することを合意している。


カタールは、アラブ地域で捕らわれる西側の人質に
対する身代金払いを代行していると言われる。
これは、形を変えたイスラム・ミリタントへの援助かもしれない。
また、カタールはアメリカとアフガンのタリバンの間の
仲介者としての役割も果たしている。


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カタールは、サウジと同じ、スンニ派ワハビズムの国家である。
しかし、サウジが伝統的な王政を守ろうと言う姿勢なのに対し、
同じワハビズムでも、カタールはもっと革新的で、
近隣のイエーメンやチュニジア、シリアなどへの過激派供給基地と
なっていると言う。


アルジャジーラがアラブ地域において、サウジ王政
批判のプロパガンダとして設立されたように、
カタールの姿勢は、サウジ王政と対峙している。

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カタールの方がいろいろな面で革新的で、
例えば、サウジではなお女性が車の運転をすることは許されないが、
カタールでは自由だと言う。


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カタールは、アメリカの協力国であると同時に、
スンニ強硬派への援助国でもある。


カタール、サウジともに、アラブの春のプロモーターで
やってきた。政権転覆は、両国からの武器と資金の
サポートがなかったら、成り立たなかったかもしれない。

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アメリカと仲良くし、アメリカから、豊かな天然ガスの代金で
買った武器を、アラブの強硬派に流し、支援する。
アメリカの基地援助をし、アラブ強硬派に武器や金といった戦闘力を
提供する。まるでマッチポンプのようだが、
カタールには、アラブ革新の大義があるのだろう。


リビヤのカダフィ政権を倒した影にはカタールの影響力が
あったようだ。間接的な援助だけでなく、
2011年、カタールはひそかに陸上部隊をリビヤの
国内に送り込んでいた。

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しかし、イスラム国が増長するここにきて、
カタールとサウジの対立が鮮明になってきた。
カタールは、アラブのムスリム同胞団や
リビア、チュニジア、イラクの草の根運動的な勢力を
後押しする。


一方で、サウジは、アラブ首長国連邦(UAE)やヨルダン等と共に、
これらの運動は、自分たちの統治体制を揺るがすものと
脅威を感じ始めている。


湾岸のアラブ6カ国で81年に形成された「湾岸協力会議」
(GCC)では、ことし、サウジやUAE、バーレン等穏健保守派と
カタールが対立し、今に始まったことではないが、これら3カ国は
カタールから大使を引き上げている。

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リビヤのトリポリで続く闘いにおいても、
カタールの支援するイスラム軍隊に対し、
UAEなどは、ひそかに空爆を行なったりしている。


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カタールは、遠い将来を見据え、現在の富の偏りがちな
アラブの王政・首長制は消えていくと見ているのかもしれない
(カタール国も首長国だが、自らは民主性が進んでいると見ているようだ)。


遠い将来のことは別にして、アラブの春を契機にした
イスラム国の広がりは、アラブの保守穏健派のサウジ等と、
革新急進派カタールの対決を先鋭化し始めている。
この対峙が、アラブ世界の地盤変動につながるのだろうか?
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by ucci-h | 2014-10-24 17:24 | 日本・米国・欧州 | Comments(2)
9.11からイスラム国まで、その背景にサウジの“育てた”「ワハビズム」そして「サラフィズム」(後編)
ーー前編http://uccih.exblog.jp/21082828/よりの続きーー


20世紀に入り、亡命先のクウェートで軍隊を握ったアブダル・アジズ
(現在のサウジ・アラビア王国をつくったイブン・サウド王)は、
1902年にリヤドを取り返す。

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このとき、イブン・サウド王の助けになったのが
ワハビズムを信奉し、砂漠でらくだに乗り、
攻めてくる「イクワン」(同胞の意)の部族軍隊だった
(現在のエジプトのイクワン、ムスリム同胞団とは別)。
160年近くを経て、再びサウド家とワハビズムのつながりが再認識される。

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第1次世界大戦に入っていく中で、オスマン帝国の
凋落が目立つようになる。ドイツ側についたオスマン帝国は終戦と共に消滅する。
イクワンの力を借りて、サウド家は、第1次大戦以降、
メッカ、メディナ、ジェッダといった土地も、取り返していく。


@@@@@


第1次大戦後、イブン・サウドは、イクワンの力を借り、主要都市を押さえていく。
しかし、第1次サウジ王国と違い、イブン・サウドは、イラクやクウェートなど
アラブ世界にさらに侵攻していこうとするワハビスト達とは袂を分かつことになる。
ジャコバン革命的に、恐怖をもって各地に際限なく侵攻していくイクワンの姿勢を
恐れるとともに、それに対するイギリスの反発が怖かったからである。


1927~29年、ついに軍備で劣るイクワンをイブン・サウドは近代兵器でやぶり、
従ったものは国の守備軍に編成した。
そして、1932年にサウジ・アラビア王国をつくる。
これが現在も続いており、人口3千万人を擁するサウジ・アラビアとなる。

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@@@@@


サウジ・アラビアは、砂漠の貧しい国だったが、
ご存知のように、建国6年後の1938年に東部アルハサで
米国資本の石油会社アラムコによって、大油田が発見されたことにより、
大きくその様相を変貌させた。

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その後、70年代のオイルショックを経て、世界最大の産油国となった
サウジアラビアは、西欧とも友好関係を保ち、現在でも韓国や
イタリア並みの一人当たりGDP(2013年31,245ドル、世界第29位)の
高さを保つ富裕国となっている。


サウジは、現在までも、その豊かな資金により、
アラブのムスリムの世界に、国教とも言うべきワハビズムを広めていると言われる。
過激なイクワンとは袂を分けたが、
「ひとりの王、ひとつの権威、ひとつのモスク」を信条とするワハビズムを
捨てたわけではない。


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このワハビズムは、アラブ世界に近年広がってきている
「サラフィー主義」(先祖主義)とも、初期のイスラムの価値観に戻れと
いう点ではいっしょである。
サラフィズムは、最近の「ISIS」(イスラム国)のグループによっても
信奉されている。

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サラフィズムは、ここ数年の「アラブの春」の原動力になっているという。
アラブの春というのは、世俗の独裁的政権に対し、経済的不満を抱える
若者を取り込んだイスラム・サラフィー主義の広がりのようだ。


このサラフィズムの広がりが、リビヤのカダフィ政権を倒し、
チュニジアやエジプトの政権を覆し、さらにはシリアのアサド政権打倒の
動きをもたらしていると見られる。

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1979年から10年続いたアフガニスタンへのソ連軍の侵攻が
失敗に終わったのも、サウジから来たオサマ・ビン・ラディンなどの
サラフィストの活躍が効いたと言われる。


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サラフィズムの広がりは、サウジにとっては諸刃の剣となってきている。


ワハビズムが18世紀のサウジ王国で生まれたのに対し、
サラフィズムは、よりアラブ諸国に広い広がりを持つものになっきている。
ワハビズムが、「ひとりの王、ひとつの権威、ひとつのモスク」を信条にするのに対し、
サラフィズムは、これを認めていない。
その他の偶像非崇拝や聖戦の概念はいっしょだが・・。


サウジアラビアの中には、現在のイスラム国のシリアやイラクでの広がりにより、
スンニ派勢力が、アラブ全域に広がることを期待する向きもある。


@@@@@


しかしむしろサウジでは、急進的なサラフィー主義者がその刃を、
かねてイクワンがイブン・サウドに歯向かったように、今度は
「サウド家だけが一人の王、権威であっていいのか?」と
立ち向かってくることを怖れている。

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それでなくとも、サウジアラビアは、大産油国となって以来、
アメリカとの友好を深めてき、西欧化してきている。
サラフィー主義は、資本主義も民主主義も認めない。


サラフィストが人口の半分を占めるカタールは、
テレビ局「アルジャジーラ」を通じて、サウジ王政の批判を
時折している。

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イスラム国の拡張は、サウジ王家の独裁を覆すおそれがある。
イスラム国による国を超えたスンニ派勢力の拡大に対し、
サウド家は、どう対処していくのだろうか。


侵入先の土地において従わない者は、子供でも首をはねるといった
イスラム国兵士の蛮行は、いつ止められるだろうか。


(後編終わり)
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by ucci-h | 2014-09-06 01:59 | 日本・米国・欧州 | Comments(0)
9.11からイスラム国まで、その背景にサウジの“育てた”「ワハビズム」(前編)
米国本土に衝撃をもたらした9.11同時多発テロから
今日の「イスラム国」による残虐な行為まで、その思想の
背景には、アラブの地を治めるべくサウジ・アラビアが
‘育てた’「ワハビズム」の再興がある。・・・・・

007ジェームス・ボンドで知られる英国諜報機関「MI-6」の
エージェントだったアラステア・クルーク氏が最近指摘している。

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アラブのイスラム教の地での思想的背景については、
なかなか判らない。
今のサウジ・アラビアが3代目のサウジの国だとは、
学校の世界史で教えてもらわなかった。


イスラム国がスンニ派の若者をひきつけているというが、
シーア派との関係はどうなっているのだろう?
クルーク氏の案内に乗って、アラブ穏健派の国々に対しても
刃となりかねない、ワハビズムの出自と影響を追ってみよう。


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アラビア半島に最初のサウジ王朝の国ができたのは、18世紀
1744年のこと。日本で言えば、徳川吉宗の享保の改革の
失政で、なお不景気が続いていた時代だ。

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アラビア半島中央の高原リヤドに「第1次サウジ王国」を作った
イブン・サウド王(イブンは、ビンと同じく息子の意)は、
建国に当たって、イスラムの学者であるアブダル・ワハブ師と提携、
ワハブ師の思想(ワハビズムは反対派からの蔑称)を国の柱とした。


イブン・サウド王は、ワハブとの絆を高めるべく、
息子で跡継ぎのアブダル・アジズ王子をワハブの娘と結婚させている。


ワハブのラディカルで排他的な純粋思想は、アラブの伝統・風習を
壊すものだと、ワハブの兄弟ほかからの批判があったが、初代
サウジ王はこれを国の統合の柱とした。
国をまとめるに当たって、旧来の伝統や格式を壊す必要があったからだ。
「一人の統治者、ひとつの権威、ひとつのモスク」がワハブのドクトリンだ。

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サウジのワハビズムは、「従うか、さもなくば死か」と、
現在のイスラム国のように、選択を許さぬ形で、周辺を支配していった。
「ジハード」(聖戦)の概念も取り入れられ、戦死したものは
ただちに天国へいけると教えられた。


このワハビズムの恐怖が行き着いたのが、19世紀初頭、
1801年のイラクの聖都カルバラでの、2代目アブダル・アジズ王の軍隊による
シーア派教徒数千人(5千人と言われる)の虐殺である。
イラン、イラクに存在するシーア派は、ワハビストから見れば、許されぬ異教徒である。
多くのシーア派寺社は破壊され、預言者ムハンマドの孫イマム・フセイン
(7世紀に殺された)廟も壊された。捕らえた人間は奴隷にした。

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その2年後の1803年には、聖都メッカ、さらにメディナの
歴史的建造物や墓、寺社も破壊する。
力の誇示もここまでやると行きすぎで、この年11月、
2代目アブダル・アジズ王は、シーア派教徒により、
カルバラの虐殺の復讐として、刺し殺された。


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このあと3代目には、その息子サウド・ビン・アブダル・アジズが就き、
なおアラビア半島の征服を継続した。
彼が病気で在位2年で亡くなると、不幸な運命を担った4代目
アブドゥラ・ビン・サウドが王位に就いた。

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このサウド家の侵攻に対しては、この地の宗主国で、
建国以来500年を経て最盛期を過ぎ、ガタがきはじめていた
オスマン帝国もさすがに重い腰を上げた。
オスマン帝国の意を受けたエジプト軍に拠点を奪われ、
リヤドの郊外ディリヤに立て籠もったアブドゥラ王も、1818年の冬に投降する。


悲運のアブドゥラ王はイスタンブールに連行され、処刑されるが、
その首は、大砲で打ち出され、心臓は体の上に抉り出されたという。
第1次サウジ王国は、その過激な拡大策のあまり、74年で幕を閉じた。


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しかし、オスマン帝国の縛りも緩んでいたこともあり、
第2次サウジ王国はすぐに復活した。
範囲をアラビア半島の東中部に絞り、
「ネジュド首長国」として1818年から1891年まで、
19世紀の大半73年間を、ややおとなしく継続する。
しかし、ワハビズムを捨てたわけではない。


この第2次サウジ王国は政争に明け暮れ、1891年、最後は
北方ハイルのラシッド家にやぶれ、最後のサウジ家の王
アブダル・ラーマンは、クウェートに逃げ延びることになる。
20世紀に入り、1901年リヤドの奪回に失敗した後は、
アブダル・ラーマン王はアラビア半島の奪回をあきらめ、
ワハビストの導師として後年を過ごすことになる。


しかし、彼の息子アブダル・アジズはそうではなかった。
彼が、現在のサウジ・アラビア王国をつくった最初の王
イブン・サウドになる。

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ーーーーー


アブダル・アジズ・ビン・アブダル・ラーマンの名は、
第1次サウジ王国の2代目アブダル・アジズ・ビン・ムハンマドと
途中まで一緒なのでまぎらわしい。
また、イブン・サウドにしても、その第1次サウジ王国をつくった
通称イブン・サウド(ムハンマド・イブン・サウド)と同じになる。


(後編に続く)
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by ucci-h | 2014-09-05 14:55 | 日本・米国・欧州 | Comments(0)
日米交渉に見る日米文化のタフさの違い
オバマ大統領の訪日および
TPP交渉の後日談を聞いて、
「政治の世界においても、
日米の違いは変わっていないな」と
かつての実業の世界での日米担当者の
違いを思い出した。


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安倍首相は、オバマ大統領とすしを食って
‘すし外交’を行なったが、そのあとで
「仕事の話ばっかりだった」とぼやいていたという。

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しかし、アメリカの政治家にすれば、
短い時間、たとえ夕食時でも‘仕事’の
話をするのは当たり前である。
それだけの給与と権限をもらっているのだから。


また、フロマンUSTR代表とTPPを
交渉した甘利TPP担当相は、まとまらなかった交渉後、
「顔も見たくない」と正直に苦い交渉を吐露している。
アメリカ人の担当者ならそう感じてもなかなか口には出さない。

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@@@@@


かつて、日米の金融企業関係者と
アメリカの主要都市を日本企業の起債に
関して、回ったことがある(ロードショウと称した)。


プレゼンテーションでは現地の投資家から
きつい質問や思いがけない質問も出て、
けっこう疲れるロードショウだった。

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一日が終わったとき、日本側の担当者と
アメリカ側の担当者から出る言葉が
対照的だったので、今でも憶えている。


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日本側の担当者:
「いやあ、今日はお疲れ様でした。きつかったですね。
きょうは、こちらのうまい日本料理屋に行きましょうか?」


一方、アメリカの担当者、同じく帰りの車の中で:
「きょうのプレゼンの反省点は?
明日に向けて、改善ないしは力を入れる点はどこ?」


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文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、
アメリカ人は体力的にタフであるだけでなく、
精神的にタフだなと思ったものだ。
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by ucci-h | 2014-04-27 19:25 | 日本・米国・欧州 | Comments(3)
2014年が21世紀世界の分岐点になる!?

2014年の幕が明けた。

世界の景気は何とか持ちこたえそうで、

日本の株式には楽観論が目立ち、

「馬」の疾走の年にしたい期待が走る。



5年、10年の歩みは速いが、

100年単位で時代を見ることは少ない。

しかし、デイビッド・ブリンという未来学者が、

「21世紀のほんとうの始まりはこの2014年から

ではないだろうか」と言っている。



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と言うのは、19世紀は1814年、20世紀は1914年が

それぞれ、歴史の分岐点になったからである。

面白い見方なので、彼の見方を紹介しつつ、

歴史の事実を振り返ってみよう。



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100年前の1914年。

欧米の市民は、洗濯機、ガス・ストーブ、電燈、

電話、ラジオ、自動車などの文明の利器の広がりを

見て、未来にばら色の夢を描いていた。



しかし、1914年6月サライエボで第1次世界大戦が

勃発。西欧社会は未曾有の戦争に巻き込まれた。

1918年の終戦で、これで大規模の戦争は終わったかと

思われたが、1939年にこれを上回る第2次大戦が勃発してしまった。

20世紀は、世界戦争の世紀となった。



200年前の1814年。

18世紀末の米国の独立やフランス革命を経て、

19世紀初め、欧州はナポレオンを中心に戦乱が続いていた。

1814年、ナポレオンの敗退をきっかけに、

欧州は、ウイーン列国会議を経て、安定に向かう。

そして、それは西欧諸国の植民地支配の始まりともなった。



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2014年。

21世紀の世界はどこに向かうのだろうか。

中国の台頭で東・南支那海の波は立っているが、

米中両大国の対峙はどこに向かうのだろうか。

間に挟まれた日本は、軍事増強に向かっていくのか。



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一方で、世界は未曾有の高齢社会を迎える。

各国での世代対立は起きないだろうか。

もう一方で、情報化社会の発展で世界はいっそう

狭くなってきている。世界中の社会安定に資するのだろうか。



楽観と悲観は交じり、先は読めないが、

この2014年に何か起こって、それが今後100年の

世界の方向を示すことになるのだろうか。





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by ucci-h | 2014-01-06 13:53 | 日本・米国・欧州 | Comments(0)
  

北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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