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カテゴリ:上座部仏教の知恵( 16 )
仕事をしている人に聞かせる仏教説話(後編)
経済が安定、成長することは、前編で述べたように好ましいことです。
個人レベルでもそうです。最近のタイでの世論調査の結果を見てみなさい。
60%以上の人が、経済が成長・進歩し、自分も
恩恵を受けている限り、腐敗も受け入れられるとさえ言っているほどです。

でもそういう形で、この国は進歩しているのでしょうか?
腐敗は、いけません。国の財産を損ないます。
環境の悪化ももたらしがちです。
賄賂を授受することが当たり前のようになります。
市場では不公平な構造と競争条件が生まれます
(腐敗はなお東南アジア諸国の根強い問題です)。

しかし、逆に見て、良い経済状況が必ずしも高い社会的モラルを
もたらすわけではありません。金持ちはすでに多くの財産を
持っているからズルしないと言うのはうそです。
金持ちになり、よい仏教徒には成れますが、
金持ちになり、悪い仏教徒になれるのも事実です。

金持ちになることは、以上のように、社会にとって必要ですが、
個人として金持ちになることの、何が悪いのでしょうか。
資産を持つこと自体は中立的なことです。
資産に対する私たちの態度が、美徳にも悪徳にもします。
資産の追求が強欲によってなされるなら、
不健全な結果をもたらしがちだからです。

資産は、人生の目的ではなく、良いことをするための手段でしょう。
人の苦しみなどを軽減する手段です。
資産を持つことによって、素晴らしいことも出来るでしょう。
良い例が、「スダッタ」の例でしょう。
彼は賢く成功した商人でしたが、貧しい人に尽くし、
「アナンサピンディカ」(貧者への施し者)と呼ばれました。
彼はまた、「祇園精舎」(ジェタバーナ、ジェータ太子の森)の建設に
資金を提供したことでも有名です。

仏教は、資産や金満さを拒否しているものではありません。
財産をどう築くか、財産をどう使うかが問われるのです。
仏陀は、勤勉さにより財産を築いた人、財産を賢く使った人、
また預金をした人を評価します。

お金を儲けるのに、人を強制的に使うことは拒絶されます。
人の売買、麻薬の売買、武器の売買は、悪です
(人身売買、麻薬売買は東南アジアはもちろん、実は日本でも絶えません)。
近年では、環境を壊したり、人々のモラルを損なう
ギャンブルなどもこれに当たりましょうと、カマイ師は言います。

同時に、‘フェアに’ビジネスを行なうことも要件です。
独占的な地位に立ち、利益を得ることのほかに、
従業員にわずかな給料しか与えず働かすことも悪です
(最近では、ビルマ人をメチャ安く使う人間が捕まりました)。

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財産をいかに使うか?財産の作り方と並んで、大事です。
自分の生活の快適さのためにまず使うでしょう。
そして、財産を他の人とも‘分かち合う’ことが必要です。
分け合う心は、身近な家族、友人、親類から始まって
社会の隅々まで行くべきでしょう
(日本では財産は自分のもの、貧しい人は働かなかった結果という
意識が強く、社会的シェアの意識が少ないようです)。

税金を払うことも、社会を助けるわけですから、大事な
義務です(日本では、「どうせ税金で持っていかれるなら、
費用で落としちゃえ」と言った次元の低い経営者がよく見られます)。

釈迦は、施しをせよと教えていますが、身分相応でいいのです。
お金が少ししかなければ、少しの施しでよいのです。
社会でシェアしようという考えは、社会関係を良くします。
個人的レベルでは、自分の幸せ感も高め、自信が湧き、
愛されているとも感じ、健康的でもあります
(ボランティア活動は、相手のためと言うより、自分のためですね)。

シェアすることは、自分の物へのこだわりも減らしてくれます。
物にとらわれる心からの開放を招いてくれます
(こういった考え方が、仏教的でいいなと、筆者は感じます)。

資産に対する感じ方で大事なことは、多い少ないではなくて、
少しでも持てていることに満足を感じ、感謝の念を持つことでしょう。
それが心の平和をもたらし、物欲から離れ、
リラックスする時間を楽しみ、ゆったり暮らせるからです。

物欲しい心はいつまでも満たされません。
欠乏心に苛まれ、もっと働き、もっと稼がなくては、となります。
ストレスに苛まれ、健康や人間関係をも損ないがちです。
満足するということは、怠惰に陥るということではありません。
満足できる人は、仕事にも満足し、生活にも満足できる
「足るを知る」人です。

仏陀は、究極的には財産にこだわるなと教えています。
財産は増えもするし、減りもするでしょう。
しかし、心は、その変化に左右されてはいけません
(「今まで儲けたお金をそのまま増やしておけば良かったなあ!」等と
後悔しないことです)。

仏教において財産を築くというなら、それは、お金を大きく増やすことではなく、
物欲、憎悪、無視といった私たちの苦しみの元から離れられるよう
心の安定感を鍛えておくことでしょう。

(後編おわり)
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by ucci-h | 2011-06-12 11:00 | 上座部仏教の知恵 | Comments(0)
仕事をしている人に聞かせる仏教説話(前編)
筆者は仏教徒だが、仏教は宗教というより、
哲学、平たく言えば、実生活の知恵の塊だと
思っている(日本の仏教は、葬式仏教的に
なってしまったなあ)。

タイは敬虔な仏教徒の国と言われている。
上座部仏教の国だから、仏門に入った僧と
在家の人間の振る舞いが全然違うので、
托鉢や喜捨を見て、そう感じられる。

しかし、一皮向けば、表面的な風景と異なり、
仏教の教えと、実社会での生き方の乖離が
目立つようである。

このたび、タイの証券取引所(お金儲けのメッカ)で、
偉い僧のお話があった。題して「金持ちになることは
罪深いことか」というもの。

直接聞きに行ったわけではないが、新聞にその内容が載っていたので、
ポイントのみ書き出してみる。
「何を今さら青臭いことを」と言わないで
耳を傾けてみよう。特に仕事をしている人は・・。
ここに出てくる具体例を見ると、
現在の経済社会の問題も、釈迦の教えたことから
あまり進んでいないようだ。
カッコ内は、筆者のよけいなつけたしです。

ーーーーー

金持ちになることと、良き仏教徒になることは
上座部仏教の国では、両立しないように見られている。
「そんなことはない」と、英国オックスフォードの僧門にいるカマイ師は言う。

確かに、仏陀は、自由に、物に執着せず、
シンプルに生きることを薦めている。
そこでこの国の人は、金を儲ける事に罪を感じがちだ。

この意識は、財産のある人間だけでなく、
貧乏な人にもある。タイでは、
今の貧しさの苦しみは、前世の悪いカルマ(業)
によるものだと、金持ちになることが、はなからあきらめられている。
金儲けを罪にしてしまえば、勤勉に働かずとも良い。

釈迦は、仏門に入った僧と在家の人間では
財を持つことに違った態度を説いている。
僧は貧しくなくてはならない。
食べ物をもらい、貧しい服装でいることが徳
なのである(この国では、僧は、間違っても、
金儲けなど考えてはいけない。大乗仏教とは違う)。

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しかし、在家の人間は違う。
貧しさは徳でもなんでもない。
釈迦は、経済的安定さは、財がもたらす喜びと、
借金からの自由さと、精神的安定さと並んで、
幸せをもたらす要素だと教えている
(少しずれるが、日本の小学校でも、小さいうちから、街金などに
手を出すとこんな目にあうと教えるべきだろう)。

仏陀は、貧困と飢餓は、世界の悪い伝染病だと
しばしば説いている。
「貧困は犯罪、社会不安を生み、モラルを衰退させる。
瞑想により心の平安を得ようという気になど
ならないものだ」と。

「貧しさは、過去の悪業からだけ来るものではない。
貧しさは、現代の社会、政治状況によってもたらされる」
と言っている。

ある王様が仏陀の元を訪ね、社会不安の解決策の
アドバイスを求めたという。
仏陀答えて曰く。「すべての政府には義務があります。
国民に対し責任があります。農業のノウハウと良い種を
農民に伝え、豊作を図るべきです。働きたい人に仕事を
与える責任があります。ビジネスを立ち上げたい人に
ローンを提供すべきです」
(なにやら、こういった面で今の日本の政府を見ると、
落第点を与えたくなってしまう)。

社会不安は、社会的ギャップ、不平等が広がった時か、
生活必需品が不足に陥った時に生まれる。
(現在の中東やアフリカの為政者に聞かせたい言葉だ)。

貧困とモラルの衰退は比例する。
精神的安定さは、経済的安定さとリンクしている。
最近のタイでの瞑想への関心の高まりを見てみなさいと、カマイ師は言う。
瞑想への興味は、中産階級、生活に余裕の出来た人たちから来ていますと。


経済が不安定になれば、人々は生き残るために
うそをつき、人を殺し、5つの仏教の戒律(殺すな、盗むな等)を守れなくなります。
そして武器を使うようになり、より暴力的な状況に陥ります
(釈迦の時代だけでなく、太平洋戦争はじめ、20世紀の戦争の多くがそうだった)。

(前編おわり)
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by ucci-h | 2011-06-12 10:42 | 上座部仏教の知恵 | Comments(2)
3周年記念アンコール記事特集 その2.小乗仏教の知恵「今を生きる」
記事掲載3周年記念の第2回目は、
「小乗仏教の知恵」シリーズ(08年6月24日から1ヶ月間、全11回)です。

ここでは、タイで暮らす知恵を求めて、
小乗仏教(上座部仏教)の知恵をかじりました。
ときどき振り返って、自分の参考にしています。

「今を生きる」
「考えすぎない」
「いつやめてもいい」
「概念にとらわれない」
「足るを知る」
「柔軟な器であれ」
「山川草木五感あり」
「象のごとく歩め」
・・といった知恵です。

その中から、タイらしい「今を生きる」を
再掲しておきます。

ーーーーー
「今を生きる」

“今を生きる”というと、
あのロビン・ウイリアムスが教師になって主演した、
感動的な映画の邦題を思い出します。
原題は「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」。
89年制作の素晴らしい青春映画でした。
おっと、映画紹介の場所ではありませんでした・・。
          
「小乗仏教の国に暮らす」で、ご紹介したい最初の言葉は、
「今を生きる」です。

つまり、平たく言えば、過去にくよくよしたり、執着したり、はたまたあまり反省したり等さえしない。
同時に、明日を心配しない、明日の事ばかり一生懸命考えて、足元の今をおろそかにしないということです。
今を、せいぜい1秒先を生きることです。
なぜなら、我々は生かされているのですから、今を大事に。

小乗仏教では、「前後際断」と言うようですが、
過去に執着せず、明日を患わず、今を生きろとの知恵です。

タイで暮らしていますと、タイ人に明日は何をするのかと聞いても、
たいていは「マイ・ルー(知らない)」という返事が返ってきます。
明日の事をあまり計画的に考えないんだなと、最初は思ったのですが、
次第にこちらで暮らしていると、それも利口な生きかただなと感じてきます。

サラリーマン時代には、「予定表白紙恐怖症」というのがあって、
明日の予定が詰まっていないことが不安に感じたりしたものです。

「明日の幸せを求めて、今を犠牲にして頑張る」・・
我々日本人の美徳のようなものでした(でも、その結果どんな明日があったのかなあ?)。

仕事の予定だとやむを得ないところがありますが、
人間できるだけ、よくわからない明日は患わないで、今を生きましょう。

もちろん、過去はどんどん忘れて・・。タイ人は徹底しています。
人を見送るという習慣がほとんどありません。
日本人は、気持ちをつなげるために、いつまでも人を見送ります(素晴らしい習慣だと思います)。
でもタイの人は、人が出ていったら、振り向きもしません。
過去は過去なのでしょう。執着しません。
葬式をやって3日楽しく騒いだら、その人の事は金輪際忘れていくそうです。

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今を生きる!
今この1秒、1秒が私たちのの人生です。
せいぜい1秒先のことなら、人生何の心配もないでしょう。
心安らかに生きられます。
明日はどうなっているかはわかりません(たいていは錯誤で見通しを間違えますが・・)。
でも、それが人生です。
明日は明日の風が吹きます。

今を生きないで、過去や将来の事ばかり考えている人・・
それは、「妄想に生きる人」と呼ばれます。
今を大事にしましょう。

楽しく、明るく、気楽に生きましょう。
気楽にと言うと、儒教の影響を受けている我々にはイージーに聞こえますが、
そうではなく、これも生きる技だと思いませんか。
英語でいえば、Take it easyです。
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by ucci-h | 2010-07-19 20:15 | 上座部仏教の知恵 | Comments(1)
山門入り、二転三転
身を少し清めて、いよいよ、明日には山門に入ります・・と、
3時間前までは、書いておくはずだった。

ゆうべ、外国人には3日間コースの無いワット・ラム・ペーンに代わり、
「ワット・ウモーン」があるとタイ人の友人に調査結果を教えてもらった。
けさ、早速、チェンマイ大学のそばにあるというお寺の現場検証に。

大学の正門の向かいを入ったところだというので、
ホイ・ケーオ通りの正門前の信仰心のありそうな屋台のおばさんに聞くが、ウモーンは知らないという。

友人から電話番号を聞くと同時に、バック・ストリートだというから、
ステープ通りの方にあるのかなと思い、大学をバイクで横切る。
構内のドライブはいつも気持ちがいい。

ステープ門に出て、早速電話。
メディテーション・センターのナローン師が英語で答えてくれた。
「明日から3日間メディテーションに参加したいのですが・・」
「いいですよ」
「8時までに行けばいいのですか?」
「いいですよ」

「白い上下服2セット持って行けば、他にいいですか?」
「それでいいですよ。明日、8時に来てください」
「今、チェンマイ大学の門の所にいるので、行ってみたいのですが」
「明日来ればいいですよ」
「いや、今日見ておきたいのですが」
「明日で大丈夫ですよ」

場所を知らないので、今日確認しておきたいと言って、ようやく教えてもらう。
「そこから700Mほどの通りを入ったところです」
「ステープ通りをさらに西に行ったところですか?」
「・・・・・」
「OK。聞いていきます」
タイの人はあまり方角とか距離とかでは考えない・・。
そのあと4,5人に道を聞き、ようやくウモーン(洞窟)寺にたどり着く。
ラムペーン寺は平地にあったが、こちらはドイステープのふもとの山林の中にある。

ドイステープのふもとは、林が多く、素敵なところだが、この山寺はとても趣がある。
うっそうとした林の中に蝉の声が切れない。
温度計は34度を差しているがすがすがしい。
ラッキー!

ドイステープの山麓には、素敵な家や、
ゆっくりした雰囲気の食堂もある。

境内で若い修行僧が英語で教えてくれた
「メディテーション・センター」の入口の売店へ行く。
そこで簡単なブロシュアをもらった。
50歳のモイさんと25歳のヒ―マーラーさんはとても親切だ。
お菓子とお水を恵んでいただいた。
あす朝、ハスの花とろうそくを買いによるからと告げて、おいとました。

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そして・・・・
電話は夕方6時過ぎにあった。ナローン師からだ。
「先ほどは失礼しました。センターに誰もおりませんで・・」
「いいえ、そう聞いていましたから、大丈夫でしたよ。売店のお二人によく聞きました」
「それはそれは。ところで明日ですが、来ていただいても、あなたを指導する人がいないのです。
私は以前からのグループを見続けなければなりませんので・・」
「明日は、無理ということですか?」

「はい。おひとりでご自分で迷走するならいいですが・・」
「初めてなのでご指導いただきたいのです。いつ行ったらいいのでしょうか?」
「ご覧のように今は建物も改築中です。5月からがよいと思います」
「はあ、5月ですね。私は、日本に帰っていましょうが、またこちらへ戻ったらご連絡しましょう」
「はい、お待ちしています」

ということで、今回は、二転三転、延期となりました。
今度はどうせなら10日コースでもいいが、
まずはいやになっちゃうことも考えて、
やはり3日コース(または1週間コース)で試してみよう。

せっかく身を少し清めて、ひげも剃ったのに・・。
剃髪はしなかったが。
きっと、お釈迦さまが導いてくれたのでしょう。
「無理に帰国前の忙しく体調の悪いときに入門されるな!
体調がもっといい時にゆったりといらっしゃい」
「はい、わかりました。御釈迦様!」
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by ucci-h | 2009-04-01 22:01 | 上座部仏教の知恵 | Comments(0)
仏門入り、思いがけずにスタンバイ
本当は今朝から、俗世間と離れているはずだった。


すでに修行のための白装束上下2着も日曜に買ったし、
行く直前に、ワローロット市場で、仏に捧げる11本のハスの白い花と
11本のろうそくと、11本のお線香を買えばいいのだから・・。


昨日日曜日、念のためワット・ラム・ペーンへ電話した。

「明日の朝、7時までに行けばいいのか」と・・・。
そしたら、それはいいんだけど、最低10日間からだと!
「3日間の入門コースがあるって聞いたんだけれど・・」
それは、タイ人のみだって!
「ええっ!?」



「自分のおじいさんは実はタイ人で、
ぼくも少しだけタイ語もできるんだけど・」・・
てなことを言って潜り込もうとも思ったけれど、
正しくないことをしゃべるのは小乗仏教の8つの戒律に触れるのでやめた。


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紹介してくれたタイ人に、瞑想3日コースのあるお寺を
他に探してもらうことにした。月曜日に。

というわけで、きょう月曜日はスタンバイ。
のどの咳も直りきっていないし、なんだか右足の裏が痛いな。

体調を整えろという仏さんのメッセージかな。
ちょうどいいや。



シナリオ通りにいかないのが人生。
そしてタイでの生活は一層、そうである。



誰か、チェンマイで瞑想3日コースのお寺知りませんか?


帰国前に、チェンマイでの自由な時間はあと9日しかないんだけれど・・。


ケサラ・ケサラ・ケサラ~
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by ucci-h | 2009-03-30 21:50 | 上座部仏教の知恵 | Comments(0)
仏門入りを志す
自分の日記にこう書くことで、
自分を逃げられなくする・・。

ーーーーーー

チェンマイにいて身体活動や
娯楽活動は盛んにやっているが、
精神活動にいささか欠けたところがある。



昨年夏は、小乗仏教について
少し勉強したが、少し独りよがりで
終わったかもしれない。



歳を重ねたので、
少しは精神的に成長していたいのだが、
ガキオヤジの習性がなかなか抜けない。



まあ、それはそれで御愛嬌として、
せっかくタイに暮らしているのだから、
仏門をたたき、精神修養(瞑想)を
やることにした。マジに。



チェンマイの西南にある「ワット・ラムペンRam Poeng)
にはいることにした。
最初だから3日間の泊まり込みだ。




オウム真理教みたいな白装束で瞑想するのは
いやだが、決まりだからしょうがない。
柔道着のようにカラー装束はない。



来週の月曜日か水曜日にはいろう。


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瞑想には2種類あると言われます。

ひとつは自分を見つめ、自分を認識すること。
これが中心になる。

もう一つは、精神集中力を高める瞑想。

後者がうまくいくと、ゴルフで集中力に欠ける時、
「マイ・ミー・サマティー!」というが、
このサマータ(集中力)が
高まることになる。




まあ、3日ほどの入門で身に付くものは
限られるでしょうが、
これが精神修養のきっかけになればうれしい。




この3日間、お酒や音楽はだめなことはもちろん、
人とのおしゃべりや携帯電話もできない。



さてさて、経験者によると、
初日の退屈さに耐えられるかどうかがポイントだとか?

人生2万日以上生きてきて、たった3日など
すぐ経っちゃうと思っているが・・・。



まあ、入門できて、無事帰ってこれたときの
ご報告をお楽しみに!
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by ucci-h | 2009-03-27 21:39 | 上座部仏教の知恵 | Comments(0)
「上座部仏教の国に住んで想うこと」 象のごとく歩め
「森の中の象のごとく歩め」


上座部仏教の国に暮らして、感ずることをキーワードにして連載してきましたが、これでおしまいです。
最後は、タイらしく、地上最強で、最もやさしい動物、チャーン(象)さんに登場願いましょう。


象と言えば、ここ北タイは、象の本場です。チェンマイのすぐ北、メーサでは、象のショーが見られます。あの大きなお鼻、じゃないお口で絵筆をとって、繊細な花の絵を描くのを見るのは、なかなか感激ものです。

昨年夏、「ねえ、チェンマイって何か面白いものあるの?」と期待をせずに来た下の娘が、帰る時は、「また友達と来るわ!」と喜んでいたのも、あの象さん達の鼻にやさしく巻かれたからでしょう。

メーサ以外でも、北に行けば、チェンダーオに象の訓練所がありますし、南に行けば、ランパーンに象の病院もあります。




象はやさしい動物です。
数年前、私の友人でタイ好きの男が、よせばいいのに、鞍なしの象、しかも象使いが乗る前方に乗って、落ちてしまいました。
結構高い所からです。肋骨と腕を折っただけで済みましたが、その時の象さんの反応です。
あの優しい目にうっすらと涙を流し、彼を慰めてくれたそうです。
やさしいですね。


日タイ合作映画、象使いを目指した日本の少年の物語「星になった少年」を思い出します。
北タイの象の森が美しく描かれていました。



上座部仏教の経本の中にある「森の中の象のように一人歩め」とは、どういうことでしょう?

象は強いので、森の中でも一人、いや1頭でも臆さず、堂々と歩んでいきます。


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仏教で言っている意味は、以下のようなことです。
けっこう人間の器を大きくしないと、象のように歩めそうもありません。


人は、柔軟な心を持ち、物事にとらわれず、世の中で言われることを鵜呑みにせず、自由な気持ちで生きるのが最高であると説かれます。

でも、世の中周りはそういう人ばかりではない。むしろ、そうじゃない人が多い。するとそこから軋轢が生じ、自由な心で生きづらくなります。多少は周りに合わせなくてはいけません。そうしないと、KYなどと意味不明な事を言われます。


ここで、どう考え、どう行動するかです。
何かをするにあたって、人の賛同を得て、同じ方向に歩めればいいですが、そうじゃない時どうするかです。
ふてくされるか?皮肉屋になるか?さみしく思うか?怒るか?

いずれにせよ、良き感情が生まれにくいシチュエーションに陥ります。
ここが人間の器を試される時です。


上座部仏教は、怒ることはもちろん、饒舌だったり、皮肉ったり、品の悪い言動を戒めています。
これらの言動は“悪”なのです。なぜなら、仏教にとって、人間を不幸にする言動が、悪と定義されるからです。


人は人。自分は自分。時には、和して同ぜず。

堂々と、森の中の象になったつもりで、自分の心に忠実に生きたいものです。

義理がある、しがらみがある、相手の顔が立たない、その場の空気が許さないと言った、世間体ばかり考えていると、自分が結果、“悪”人になってしまうだけでなく、世の中も良くならないでしょう。

森の中の象のように一人堂々と、歩みたいものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

最後に付け足しを。

大河ドラマ「篤姫」には、「刃を突き付けたら、別の所から刃が出てくるぞ」など、いい言葉がたくさん出てきますね。

あの篤姫のストレート直球勝負で、人生を生きたいものです。

(おしまい)
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by ucci-h | 2008-07-24 21:12 | 上座部仏教の知恵 | Comments(0)
「小乗仏教の国に住んで想うこと」 山川草木五感あり
山川草木五感あり

植物も水も心に反応するようです。

人間に、励ましの、前向きの言葉をかけると、ポジティブにすくすく育っていくように、
植物にもいい音楽を聞かせ、やさしい言葉をかけると、
美しく伸びていくということは知られています。

先日、友人から面白い話を聞きました。
潜水を業としている人が、海との体験で面白いことを感じているとのことです。
海はときに荒れ狂い、時に穏やかになるわけですが、潜っていても、海を、波を、水を、その反応を感じるということです。
どういうことかと言いますと、自分がいらいらしていたり不快に思っていると、海の水は冷たく、攻撃的であり、自分が海にやさしい気持ちになった時は、海の水は体に優しくまとわってくるということです。
つまり、海の水も、自分の気持ちに反応するのではないかという感想です。

こういった話は、科学的にどうかと言っても、埒の明かない話で、ことは心の問題です。
心の持ち方が、我々の人生の幸せ度につながるからです。

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またゴルフの話を持ち出します。
ゴルフは心技体の3つの充実が必要ですが、私は、「まずメンタルありき」と申しております。
心の持ち方で、体も技も決まってくるからです(もちろん、基礎的なものは持っていただかないと・・)。
これは、比較的科学的な話です(笑)。

自分で「今日は調子悪いなあ」と言ったとします。
右脳はご主人の言葉を忠実に記憶し、いざショットの段になると、忠実に“調子悪く”体を動かしてくれるそうです。
良く言えば良く動きがちだし、悪く言えば、悪く動いてくれるようです。

これも上座部仏教(小乗仏教)のスリランカのお寺での話のようです。
樹齢50年ほどのオレンジの木があって、もう実をつけなくなりました。
長老が、「実のならない木なんて邪魔だから、切っちゃおう」と言いました。
これを聞いて別の老師は「君も歳だから、もう実ることができないんだよね」
と慰めるように言いました。
すると、1週間後のことです、その木は見事な花を咲かせ、実をつけたそうです。
植物に五感あり、木に心ありです。

「山川草木悉く仏性あり」です。
自然界のいろいろなものに心は通じるようですね。
ましてや、人間に対してをや・・。

対象を悪しく言えば、己に跳ね返ってくる。
相手の立場に心を寄せて、やさしく語りかければ、やさしく返ってくる。
人間界も自然界も同じようです。
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by ucci-h | 2008-07-22 20:59 | 上座部仏教の知恵 | Comments(0)
「小乗仏教の国に住んで想うこと」 柔軟な器であれ
柔軟な器であれ

今こちらチェンマイではまっている大河ドラマ「篤姫」の第23話に「器くらべ」というのがありました。
将軍の後継者にどちらを選ぶべきか、篤姫らしく、自ら両者に会ってみるというくだりです。


人生、齢を重ねると、いろいろな人に出会い、いやでも“人間の器”を感じるようになります。
中庸を重んじる仏教において、人間の器は、柔軟な性格であれと、説いています。

でも言葉は難しいですね。柔軟な器というと、いろいろな相手に合わせて、頑固にならず、柔軟に対処せよと取れます。それは、いいことですが、こんどは自分は何者なのか、自分を見失い、ただ周りに追従する器ではないかとなってしまいます。


仏教は、何事に対しても自由であれ、と教えています。ただし、芯のない自由は不自由につながるとも、説いています。自由で柔軟なのはいいのですが、自分というものを持っていないとただ流されるだけとなります。

自分を持ちながら、他に対して柔軟に接することができる、「柔軟な器」とは、いわば「内剛外柔」といったところでしょうか。

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人と接していると、「あの人はどうしてああなんだろう?」
「なぜ、あんな振る舞いをするのだろう?」
「どうして気がつかないんだろう?」
「私なら絶対あんなふうにしないのに・・・」と言ったケースが日常茶飯事ですね。
そして、それが、怒りにつながってもいけませんね。

だいたい、「自分なら・・・」という前提が間違っています。
人は生まれも育ちも様々・・、
自分と同じ思考回路のはずと思うのは、間違いのはじまりですね。



タイ人と接していても、最初はよく思います。

「なぜ、こんなことが分からないんだろう?」
「なぜ平気で遅れてくるんだろう?」「なぜ、お礼を一言も言わないんだろう?」・・・
これは、また文化、生活習慣の違いからきていることが多いです。

これも怒ってはいけません。
そんなことで腹を立てたら、 その後の建設的な国際交流は望めませんね。
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by ucci-h | 2008-07-21 20:44 | 上座部仏教の知恵 | Comments(0)
「小乗仏教の国に住んで想うこと」 概念にとらわれない
「概念にとらわれない」

ちょっと抽象的で、とっつきにくい言い方でごめんなさい。
先日、秋葉原でトラックで突っ込み、あとはナイフで刺しまくるという、めちゃくちゃな殺人事件がありました。
この時代らしいのは、自分の思いを携帯サイトに書き込んで実行していったことです。
その結果、わかったわけですが、本人は、「社会から冷たくされている、さらに書き込みをしても誰も注目してくれない」という、疎外感の塊になっていたようです。

世の中、昔から「社会が悪いから」とか「周りが冷たいから」とかまわりのせいにして自暴自棄になる人間はあとを絶ちません。
本当は、「周りがあるから、社会があるから、自分は生かされているんだ」という感謝の気持ちを持てれば、少々いやなことがあっても、前向きに生きられるのでしょうが、どうもそういう意識を持つ機会を失した人が多いのでしょう。
殺人にまで走るのは極端ですが、世の中、社会に恨みを持ったり、周りの人を快く思わない不幸な人は結構いるようです。
というより、私自身も含め、社会への感謝と不満との境の細い壁の上を、かろうじて歩いていると言った方が正直かもしれません。

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それで本題ですが、「概念」(コンセプト)。
人間が生きていく上で大事な知恵です。
人はいろいろな概念を作って、生きる知恵にしてきました。
子供らは、仲間に意地悪するとつきあってもらえないということから「仲間外れ」という概念をもつようになります。
社会人になって会社でも、あまり突出すると、周りからねたまれ「足を引っ張られる」というコンセプトを培います。

変な例ばかりで恐縮ですが、生きる知恵として概念をもつことですからそのことは悪いことではありません。
問題は、世の中スピード第一となって、自分で経験して咀嚼して概念化していくのでなく、てっとり早く、学校や会社で出来上がった概念を伝えられ、それを鵜呑みにしてしまうことです。
「孤独はつらい」とか「孤独はさみしい」なんて言うのは、典型例です。
そもそも、人間はいやでも社会とつながっているはずです。
「一人暮らしはさみしいものだ」とか「自分は人とつながっていない」という概念が、人を不幸にします(本当は、一人暮らしの方が気楽なのかもしれませんね。時に人と会って楽しめば気楽ですし・・)。

概念を積み重ねて観念にまで持っていくと、もう有無を言わせません。正義の戦争も、人類の浄化も観念の凝り固まりがあってのものです。
小乗仏教は、中庸の精神と並んで、柔軟性のある人間の器をよしとしています。
「あなたが1日仕事で疲れはてたとしたら、それは肉体的な疲労よりも、あれでもない、これでもないと概念をいじくりまわして、生きるエネルギーをロスしたからではないでしょうか」と、スリランカの上座部仏教の長老スマナサーラ師は、日本を見て言っています。

あまり言葉にとらわれず生きたいものです。
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by ucci-h | 2008-07-05 11:26 | 上座部仏教の知恵 | Comments(0)
  

北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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