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早くも懸念されるセックス・ワーカーのタイへの大量流入
2015年のアセアン経済統合で、アセアン各国間の
労働力の移動が見込まれるが、看護師の流出とならんで
はやくも心配されるのが、
CSW(コマーシャル・セックス・ワーカー)の
中心地タイへの近隣諸国からの流入である。

タイは知られるように、こういった娯楽産業が隆盛であり、
バーツ高もあって隣国からの働き手は、タイへやってきたい。

タイのCSWの数は20万人と言われ、お客はその10倍の200万人に
上るから、年6000~14000人のミャンマーなどからの外国人が、
警察に賄賂を払って不法入国していると言われる。

タイでは、1996年にできた売春抑制法が生きており、
年間3万人ほどのCSWが法律違反で訴えられている。

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売春が不法のゆえ、地下にもぐり、マフィアや警察の資金源となる。
これらの娯楽産業は、年数10億バーツを稼ぎ出しているそうだ。

不法なるがゆえに、CSWの保護は、ほかの労働者のように
行なわれていない。
労働法の適用外で、人権が守られないと言われる。

HIV/AIDSの感染リスクも高いわけだが、法の下での
予防サービスも受けられないので、リスクは高くなる。
CSWの女性たちは、同年齢の女性達に比べて、
AIDSの罹患率は14倍に上ると言われる。

表向きと本音の狭間で働くタイのCSWたち。
それでも、パタヤなどへ行くと、いなかから姉を頼って妹もやってきて、
嬉々として働いている。田舎の農作業に比べると収入も良いし、
華やかな雰囲気が楽しいのだろう。
AIDS対策もずいぶん行なわれてきているようだ。

人類最古のサービス産業、地下にもぐらせないで、
きっちり法の下で管理したほうが、汚職も防げ、
国の財政にもプラスになると思うが、
建前と本音の国タイでは、そうもいかないか?
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by ucci-h | 2012-10-30 18:39 | アセアンの動向 | Comments(3)
チェンマイでおいしいカシス・ソーダ、カシス・ジュース
南国チェンマイにいると、暑くのどが渇くので、
数多くの飲み物を経験しています。

ビール、コーラ、ワイン、ピオリク、サヤム・サトウ、
V8、日本酒、B・ing、焼酎、麦茶、甘いお茶、
甘くない日本茶、サザン・カンフォート、ウーロン茶と、
いろいろあります。

そして今、はまっているのが、カシス酒およびカシス・ジュース。

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カシス・ソーダで有名なカシス酒は、フランスの果実酒。
フランスには、デュボネなどおいしい果実酒が多くある。
そして、チェンマイで見つけたカシス酒、カシス・ジュースは
さっぱりとすっきりしておいしい
(お酒はブルゴーニュ産、ジュースはマレーシアのセランゴール産)。

カシスなんて、甘ったるいお酒だろうと言うなかれ。
この暑い国で、カシスを水ないしはソーダ水で割って、
氷を入れて飲むと、なんともおいしい。
甘く、すっぱいはずだが、後味は実にすっきりしている。

カシスはフランス語。英語でブラック・カレントと言うそうだ。
日本語で黒スグリ。ブラック・ベリーとは違う。
カシスは、ラズベリーやブラックベリー、クランベリーなど
ベリー類の中で、ベリー類の王様と言われる。

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そのわけは、その栄養素の高さにある。
ビタミン、ミネラル類が豊富なのだ。
北欧、ポーランド、ニュージーランドの冷涼で
紫外線の強い土地に育つと言われる。

ビタミンCは、オレンジの3倍。
カリウム、リン、カルシウムだけでなく、マンガンや鉄分といった
ミネラル類も多い。

さらに、赤ワインで有名なポリフェノールを豊富に含む。
ポリフェノールは、植物の実の赤紫の色素や苦味成分だ。
ことに、ポリフェノールの中でも、アントシアニンを
カシスはブルーベリーよりも多く含むと言う。

アントシアニンは、抗酸化力が強く、体の錆びるのを防ぎ、
末梢血流を良くしてくれるので、腰にもよいそうだ。
さらに、目によく、眼精疲労を防いでくれると言う。
実際、カシスを飲んでの目の検査で有効値が出ているそうな。

目と、腰と体の錆び付きに良いとなると、一層飲みたくなる。
昼間は、暑いときに水と氷で割ったカシス・ジュースを。
夜は、じっくりカシス・ソーダを傾ける。

体に良いお酒なんて、うれしいことです。
でも本当は、栄養よりも、飲み心地がよく、おいしいから
飲むのが本音ですね。

カシス・ジュース、カシス・ソーダをお試しあれ!
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by ucci-h | 2012-10-29 18:37 | アジア的な生活 | Comments(2)
ナンバープレートが足りなくなるほどのタイ国内の自動車の増加
インラック・タイ貢献党政権のポピュリスト政策の
ひとつに、車や家をはじめて買う人に減税を
施すと言う政策がある(昨年9月よりスタートし今年末まで)。

 「浮き出てきた自動車初回購入者税優遇のデメリット 2011-9-15」
  http://uccih.exblog.jp/14567597/

この政策も目的がわかりにくい政策だが、
予想通り、自動車の販売を促し、
国内景気を拡大させる効果があった。

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2012年のタイの自動車生産および国内販売は、
報道されているように、史上最高をゆうに更新するだろう。

タイの今年の自動車(乗用車及び軽トラック)生産高は、
受注残も高く、なお税効果も見込めるので、年間では
史上初めて200万台を超え、おそらく235万台ほどに
達するだろう。世界の自動車生産国ベストテン入りが見えてきた。

2011年は、洪水の被害でタイの自動車生産高は、
146万台(前年比マイナス11%)と落ち込んだが、
これに比べると、年間では前年比6割増の高さとなる
(昨年の洪水の影響で、今年は第4四半期の伸び率が極端に高くなる)。
また過去のピークの2010年の165万台と比べても、
4割増の水準ということになる。

 「タイは2012年自動車生産200万台をめざす 2012-2-11」
  http://uccih.exblog.jp/15466171/

ことしは、すでに8月までで150万台と昨年通年分を
上回り、9月までで170万台と2010年の通年ピークを
上回る勢いだ。

タイの現在の経済状況を象徴しているように、
輸出の伸びは、ここまで+15%ほどとほどほどだが、
国内需要の伸びが高い。前年比5割増の勢いで増えてきている。
年間では7~8割増の需要増となろう。

おかげで、チェンマイの街でも、ナンバープレートのない、
または赤いナンバープレートの新車がやけに目立ち、
街の渋滞を増やしている。

物品税還付優遇を利用して、はじめて車を買う人がそんなに多いのか
とも思ったが、新年度10月1日から始まった税還付では、
25万台分、180億バーツの還付(1台平均7万2千バーツ税金分が返ってくる
から大きい)があるというから、国内需要を、2~3割押し上げていよう。

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そのため、陸運局ではプレートナンバーが不足し、今後頭のタイ文字2字の
前に、1とか2とか数字をつけると言われている。

タイには、1000万台以上の自動車が走っているが、
今年の新規登録が140万台ほどに上るとすると、
一日平均3800台ほど新車が出回ることになる。
今年は、バンコクで1日当り2300台、チェンマイでも1日230台ほどの
新車が出てくることになろう。

狭いチェンマイの街で、一日230台(廃車もあるから純増は100台ほどか)
の車が出てくるとすると、1ヶ月あたり7000台近く(純増で3000台ほど)、
年間8万台以上(純増で3万6千台ほど)増えるわけだ。
65万台ほどの自動車が存在するはずのチェンマイの街の渋滞は
増すはずである。

法人税カットで減る新年度(2012年10月スタート)の税収は、
いっそう減ることになろう。
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by ucci-h | 2012-10-28 22:55 | アジアの自動車市場 | Comments(0)
金利低下、景気鈍化、貿易赤字のタイのバーツがなぜ上がっているの?
タイの通貨バーツの為替レートが、ドルや円に対し、2012年8月以降
じわじわと高くなってきている。
バーツは、対ドルで7ヶ月ぶりの高値になってきている。

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(チャートはいずれもExchange-Rates.orgより)

タイ・バーツは、米ドルに対して、6月末には1ドル=31.9バーツと
1ドル=32バーツ近くまで下がっていたのに、10月7日には30.5バーツ
(いずれも銀行間レート)と5%以上高くなっている。

日本円に対しても、7月22日には、1円=0.407バーツまで
バーツが安くなっていたが、10月18日には1円=0.386バーツと、
同じく5%以上高くなっている。

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タイのような新興国の景気の伸びの鈍化が伝えられ、
政策金利(翌日物レポ・レート)は、2011年8月の3.5%から、
2011年11月には3.25%に、2012年1月には3.0%へ、
そして、この10月には、さらに2.75%へ引き下げられ、
国内金利は低下傾向にあるにもかかわらずだ。

輸出の伸びも、同様に鈍化し、経常収支も
悪化しているにもかかわらずだ。
タイの今年の輸出の伸び率は、洪水のあった昨年に比べても、
当初見通しの15%増を大きく下回り、せいぜい5%程度に
とどまりそうだ。

1~8月の累計で見ると、輸出額は1,520億ドルと、前年同期比
1.3%のマイナスとなっている。
輸入額の方が1,650億ドルと多いから、累計130億ドルの貿易赤字で
8月までやってきている。

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金利は下がり、景気の伸びも鈍く、経常収支も思わしくないのに、
なぜ、ここにきてのバーツ高なのだろうか?

それは、外資が今、タイの債券を買い越しているからである。
日本でも、欧州のソブリン債から新興国の債券へ流れが移っているようだが。
受け皿となるタイの債券市場の規模は拡大している。

 「供給・需要とも拡大するタイの債券市場 2012-5-11」
  http://uccih.exblog.jp/15849669/

また、タイの株式市場も上がっている。
今年9ヶ月のタイ株式市場のSET指数の値上がり率26.1%は、
世界の主要市場の中で、モーニング・スターによると、
トルコに次ぐ世界第2位だそうである。
10月になると、バブルとの警告さえ新聞に載るようになってきた。

ちなみに、北タイのチェンマイは、不動産ブームである。
これは、昨年の首都バンコクの洪水を契機にしてはいるが、
やや異常な開発ブームである。
タイ国内の銀行の民間向けローンは、8月も前年比+16%の高い伸びと
なっている。

欧州、米国、日本といった先進国の債券利回りが“ウルトラ低金利”と
呼ばれるほど異常低金利となった昨今、タイなどの国債の利回り
が魅力的に見えてくる。

10年国債をとってみても、日本の0.77%、米国の1.63%に比べ、
タイの3.49%は魅力的である。
株式に行くには臆病な資金が、債券市場に来ている。

タイの政策金利は下がったと言っても、昨今の世界不況から
見ると、なお来年にかけまだ下がりそうと見られ、債券買いの歯止めには
ならない。

タイの債券を買って、比較的高い利回りと若干の値上がり益を得る。
ついでに、バーツも上がるから、為替益も得られる。
さて、こんなうまい話がどこまで続くのだろうか?
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by ucci-h | 2012-10-23 16:43 | タイの株式市場と企業 | Comments(2)
タイは過去にない大インフラ投資の時代を迎えるか
2015年のアセアン経済統合、および中国と密接につながる
「大メコン地域開発」を目指して、インラック・タイ貢献党政権は、
タイ史上最大のインフラ投資を思い描いている。

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最初に数字が出てきたのが、2012年6月28日。
キティラット副首相兼財務相は、「今後1.6~2兆バーツ(4.2~5.2兆円)
に上るインフラ投資のために、今年中に議会に借り入れ法案を提出し、
承認を求めたい」と述べた。

今年はじめには、洪水対策として、3,500億バーツ(9,100億円ほど)の
特別出費を閣議で決めたが(これも借り入れによる)、
今度は、これの4.6~5.7倍のかつてない規模の借り入れとなる
(承認されれば国債の発行となるか)。

そして、それから3ヶ月あまり経った10月5日、
こんどは、インラック首相自ら、「タイランド投資会議」の冒頭スピーチで、
「タイは900億ドル(2兆7,500億バーツ、7兆2千億円ほど)のインフラ投資を
今後7年間で行ないたい」と表明した。

成長するインドシナの中核に位置するタイとしては、
先に見たレムチャバン港の拡充や、
これと結ぶミャンマーのダウェイ工業地帯の開発、
スワナプーム空港の拡充、バンコクの公共鉄道の延長、
そして中国、ラオスと結ぶ高速鉄道の建設と
やりたいことが多い。

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このこと自体に反対する声は少ないが、課題は多そうだ。

公共投資だから、無駄が多かったり、予算が膨張したり、
完成が延び延びになりそうなのはもちろんだが、
コメ抵当スキーム(一種のコメ取引の国有化)に見られるように、
いっそう、汚職、腐敗が広がるのではないかと言う危惧だ。

タイ商工会議所大学(UTCC)の最近のヒヤリング調査
(この調査は1999年以来14年続いているが)では、
政府が支出するプロジェクトや国有企業の投資プロジェクトに
おいて、賄賂や付け届けに回る費用は、全費用の30~35%にも
のぼるということだ。

前年度の政府支出が2,880億バーツ(7,500億円ほど)、
国有企業の投資額が6,550億バーツ(1兆7千億円ほど)、
合計9,430億バーツ(2兆4,500億円ほど)だから、
役人や政治家へのティーマネー(お茶代)に回ったのは、
3,000億バーツ(780億円)にのぼることになるという。

新年度(2012年10月より)の政府予算が2兆4千億バーツ
(6兆2,400億円ほど)だから、予算の12%ほどがティーマネーになる
という計算になる。
過去10%と言われ、やや上がってきていると言われる。

関係者が100万人いたとして、一人平均30万バーツ
(78万円ほど)のお茶代になるから、いろいろ散らばるにしても、
やや大げさな数字にも見えるが、
「政治はビジネス」のこの国のこと、
企業も、ティーマネーは必要経費と踏んでいるようだ。

もっとも、金遣いの荒いタイ貢献党政権下で
公共投資が拡大していくと、いっそう汚職、腐敗の問題も
拡大して行くということだろう。

汚職の問題は、タイだけでなくインドシナ各国に見られる
現象だから、そういったものと認識していいのかも
知れないが、問題は、政府の財政の悪化である。

今年の初め、タイの財政は緑信号だったのが黄信号に変わりつつある
と述べたが、このままだと赤信号に変わる恐れもある。
問題は、この国特有のことだろうが、情報の透明性が薄く、
こういった公共投資の拡大に伴う公的債務拡大の
インプリケーションがなかなか説明されないことだ。

 「タイの財政悪化を小さく見せたい政府と財務省 2012-1-21」
  http://uccih.exblog.jp/15306127/

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予算局の2013年度(2012年10月~2013年9月)予算だと、
歳出総額2兆4千億バーツ(6兆2,400億円ほど)に対し、
歳入2兆1千億バーツを見込み、財政赤字は3,000億バーツ
ですむと見ているが、今後7年ほど年平均1,800億バーツ
ほどのインフラ投資とその借り入れは、一般予算外となりそうだ。

年平均1,800億バーツ、7年で1兆2,600億バーツという数字は?
政府の打ち上げる1.6兆~2.75兆バーツというのは、
おそらく官民合わせた7年間ほどの投資総額規模。
政府はうち55%ほどを持つとすれば、7年間で8,800億~
1兆5,000億バーツほどになろうという計算である。

前年度(2012年9月期)の財政赤字は出ていないが、
おそらく輸出の伸び悩みと、洪水対策投資で、4,000~6,000億バーツ
(GDP11兆5,700億バーツ比3.5~5.2%)になろう。

これに、年1,800億バーツの借り入れによる支出を加えれば、
2013年度や14年度の実質赤字は、景気の伸びにもよるが、GDP比
4.8~6.5%に膨らんでいきそうだ(2011年度は3.3%だった)。

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問題は、単年度よりも累積の公的債務残高。
2011年度は、4兆3,400億バーツとGDP(10兆5,390億バーツ)比、
41.2%だった。財務省は60%を上限にしている。
2012年度は、4兆9千億バーツほどに増えたろうが、
GDP(11兆5,700億バーツ)比42%ほどに収まっているようだ。

しかし、今年度2013年度債務残高が5兆4千億~5兆5千億バーツに
増えるとすると、GDP(12兆バーツと予想)比率は45%~46%に上がっていく。

政府は、もちろん、巨額なインフラ投資により、経済成長が加速され、
その分、公的債務残高の増大は吸収されようと説明するだろう。
今後、2~3年のインラック政権の公共投資のお手並みが注目される。
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by ucci-h | 2012-10-20 13:17 | タイの財政・税金 | Comments(6)
成長率鈍化に底を打ったか中国経済
タイの輸出が回復するのも、日本の生産財の輸出の落ち込みが
止まるのも、欧州、米国の経済がなおさえない今、鍵を握っているのは
世界第2位の経済規模で、高い成長力を持つ中国経済である。

その中国経済だが、10月18日、第3四半期の経済成長率は
前年同期比7.4%増と、7四半期連続の成長率低下と報じられた。

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ネガティブに報じられているが、7.4%増というのは、金額にすれば
年率で5400億ドル増、世界3位の日本の経済に置き換えれば、
9.2%も成長したということになる。

確かに、欧米経済の不調と中国自身の不動産バブル引き締め対策により、
過去10年平均10%成長の国が、2011年始め以降、成長鈍化したのは
間違いない。

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(BRICS辞典より)

しかし、ここにきて成長鈍化底打ちの兆しも出始めている。
中国経済は、貧困層を引き上げるために、なお2桁近い成長が必要と
言われる。

以下は最新のデータである。

・9月の鉱工業生産高の伸びは、前年比+9.2%と、
 8月の伸び率8.9%を上回ってきた。
・小売売上高は14.2%という高い伸び。
 8月の13.2%を上回った。
・1-9月の固定資産投資は、政府の投資含め、+20.5%と高い。
 8ヶ月の+20.2%を上回ってきた。
・輸出も、9月は9.9%増と、月間輸出高の最高値を更新している。

中国の強みは、日米欧と違って、財政支出を増やせることである。
財政収入も増えているからだ。
9月の財政支出は前年比16.6%増。8月の12.0%増から加速した。

政策金利もすでに2度引き下げており、これ以上の金融緩和策は
いらないくらいだ。

 「景気対策の転換点にやってきた中国 2011-12-8」
  http://uccih.exblog.jp/15073149/

ちなみに、よく教科書で、財政と金融は、景気政策の両輪のごとく
教えられるが、景気浮揚には、財政の力の方がよほど大きい。
EUがようやく金利を引き下げても、緊縮財政を強いている限り
景気は浮揚しにくく、日本も金融緩和は十分とはいえないが、
財政刺激ができずに底這いを続けている。
実際、消費者や経営者の立場に立って考えればわかる。
財政発動や減税で、仕事や需要が増える刺激は、
金利が若干下がったことに比べ、直に実感できることだ。


世界経済の牽引車中国経済が浮揚してくれば、
アジアの経済にも大きなプラスとなってこよう。
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by ucci-h | 2012-10-19 22:39 | 中国・韓国そしてインド | Comments(3)
バリ島へ行ってわかったこと
バリ島(インドネシア)に5日間ほど行ってきた。
5日間と言っても、チェンマイからクアラルンプール経由の
エア・アジア乗継だから、往復に1日ずつ取られるので、
実質は3日だけ。

はじめてチェンマイの近所のペット・クリニックに泊まる
2歳のプードル、クロちゃんが心配で、ややせわしい日程だった
(実際、クロちゃんはお菓子ばかり食べ、便秘になっていた)。

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短い日程だから、南部のウルワツの丘の上と、その少し北の
ジャンバランの海岸の宿に2泊ずつだった。
両方ともこぎれいなホテルだったが、ウルワツのホテルは
到着の夜水が出ずに困った。

 「バリ島へのアプローチ、4つの問題に出くわす 2012-10-9」
  http://uccih.exblog.jp/16958761/

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ジンバランは、砂浜のシーフード店のすぐ前、1軒のビラだった。
インターコンチネンタルとフォーシーズンズにはさまれた好立地。
女性のオーナーが親切で、ビール飲み放題で、帰りの早朝、空港までも
無料で送っていただいた。

バリ島は有名な観光地だが、今回気がついたことを記しておこう。

1.タイのプーケットの10倍の広さがあるだけに、海、山、自然、
それに文化遺産、芸術品がある。広さと多様性が、この島の魅力だ。
石像も多くて面白かったが、重いので土産にできなかった。

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2.やはりここは日本人観光客が多い。
ウルワツ寺院のケチャ・ダンスを見に行っても、周りから聞こえる声は
日本語が多い。
70年代以降、日本人観光客の伸びで、バリの観光業は拡大したと
運転手さんは言っていた。

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もっとも、中央統計局の統計数字を見たら、日本からの観光客は、
不景気ゆえ、2011年は、第1位の座から第3位(183,000人)に落ちたと言う。
前年比26%の下落率は、震災の影響も多いだろうが・・。
以前、日本人は30万人以上来ていたが。

2011年総計249万人(11%増)のバリ来訪者
(この島の人口390万人の64%にあたる)のトップは、
オーストラリア人で、なんと791,000人(+22%)。32%のシェアだ。
パースから飛行機で3時間で来れる。
一部のオーストラリア人にとって、バリは第二の家のようだ。

2位は、中国人で237,000人(+20%)。
4位はマレーシア人で170,000人(+10%)
5位は台湾からの129,000人(+5%)
6位は韓国人で127,000人(+1%)だそうである。

タイの観光地で目立つロシア人は、まだ国別で11位の76,000人。
しかし、16%と高い伸びを示している。

3.物価はやはり安い。物によってはチェンマイに負けずに安い。
スーパーに行ったら、靴、サンダルがワンフロアーを占めていたので
びっくりした。物がよく安い。

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4.観光地だが、入国に際しアライバル・ビザで25ドル(2100円)、
出国に当たって、出国税15万ルピア(1250円)取られる。
計3350円は、南の楽園への入場料か。

5.島の中の交通はタクシーになるが、幸い
日本語の本当に上手なアセタワさんのハイヤーを雇えた。
一日8時間4000円で、いろいろ行ってもらい、
いろいろバリのことを教えてもらえた。

短い日程だったが、雨も着いた夜だけしか降らず、楽しかった。
何が楽しかったかって?
それは山国チェンマイから行ったので、
きれいな海で波で遊べたことと、えびやかにをたくさん
食べれたこと。

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足代は余計かかるが、ビンタン島も含め、インドネシアのシーフードは、
プーケット、パタヤよりも良いかもしれない。
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by ucci-h | 2012-10-15 18:55 | アジアのリゾート | Comments(2)
タイ近代史の大立者プリディとピブンの友情と対立(後編)
タイの近代史、1932年の立憲君主制へのクーデター、
そして戦前、戦中の不安定な世界を乗り切った2人の
大立者、ピブンとプリディは、戦後のタイの政治史の中でも、
しばらく活躍することになる。

 「タイ近代史の大立者プリディとピブンの友情と対立 2012-10-5」
  http://uccih.exblog.jp/16937710/

戦後は、“戦勝派”のセリタイ(自由タイ運動)派が政権を握る。
人民党中心に内閣がつくられ、中心人物プリディは、影で力を振るう。
1946年3月には、政権不安定さの中で、プリディ自身が、年末まで
首相を務めるが、在任期間中に「事件」は起きた。

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当時、スイスから戻りラーマ8世として座についていた現国王の
兄王が、1946年6月9日朝、20歳の若さで王宮で就寝中に
頭部を打ちぬかれ殺害されたのだ。
当時、野に下っていたが、枢軸派だったピブンにも嫌疑がかかったが、
プリディの助力により事なきを得た。

1947年11月になると、このピブンの影響下にある軍がクーデターを起こした。
軍は、プリディの邸宅まで押し入ったが、プリディは海軍に匿われ、
その後英米のエージェントの協力で、シンガポールに脱出し、事なきを得た。
1948年4月の再度の将校団によるクーデターを経て、
ピブンは、戦中時代に続き、4年ぶりに首相の座についた。
ピブンの下で、今度はプリディが王と対立していたとのうわさから国王暗殺の
嫌疑が回ってきたが、結局、ピブン政権は国王の執事ら3人を処刑し決着させた。

ピブン第2次政権は、48年、49年のプリディ派からの反クーデターの試みを
退け、57年まで続く、再度タイでは珍しい長期政権となる。
戦中の第1次の時はファシスト寄りの政権だったが、戦後のこの時代になると、
この反共政権は、折りしも冷戦時代に入り、むしろ西側の後押しを得ることになる。
1950年の朝鮮戦争においては、タイは米韓国連軍の方に参加した。

プリディはと言うと、ベトナムのホーチミンの対仏独立運動に加担したりする中で、
その容共的姿勢は、冷戦が進む中で、米国など西側から警戒されるようになる。
亡命後、1949年にひそかに帰国し、49年2月には海軍と組んで、
ピブン政権を倒すクーデターを企画するも失敗し、中国に亡命することになる。

第2次大戦を戦勝国に導いた英雄も、時代の変化から逆風を受けるようになり、
その後はフランスに渡り、タイに再び戻ることなく、最後はパリ郊外で、1983年5月
82年の生涯を閉じた。

ピブン首相のほうは、その後1951年6月の海軍によるクーデターでは、
軍艦にとらわれたが、泳いで脱出した(このマンハッタン号クーデター後
海軍の力は弱められたと言う)。
同年11月の陸軍による“静かな”クーデターなども乗り切り、長期政権を維持した。

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しかし、1950年後半に入ると、冷戦下、共産圏への脅威がタイでも一層強まった。
1957年9月になると、汚職と共産主義との密通を理由に、
陸軍が巻き返しを図る王党派と組んでクーデターを決行、ピブンを退かせた。
さらに翌1958年10月のサリット元帥の再度のクーデターで、
ピブンは日本に亡命を余儀なくされた。
かつて親しくした国において、1964年、66年の生涯を閉じた。

プリディとピブン、この2人なしには、タイの近代史は語れないだろう。

反共派ピブンは、第2次内閣の首相の時、友人の子供たちを
中国の周恩来首相の下へ送り、ひそかに共産党中国とのラインも
つないでいた。
経済成長を果たした21世紀の今、タイは中国と極めて友好的な関係にある。
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by ucci-h | 2012-10-14 23:28 | タイの政治・経済・金融・為替 | Comments(0)
バリ島へのアプローチ、4つの問題に出くわす
休日を利用して(これは単なる枕詞。ほとんどいつも休日みたいなものだけど・・)、
チェンマイからバリ島へやってきた(日本語で書くとバリとパリが見分けにくいので
島を付けよう)。

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バリ島は、インドネシアの首都ジャカルタのあるジャワ島のすぐ東に位置する島だが、
島嶼大国のインドネシア(インド諸島の意)では、30位くらいの大きさの島である
(インドネシアには島が1万8千余もあると言われるが、
その正確な数はインドネシア政府でさえ把握していないそうだ)。

面積5,561平方kmのこの島の大きさは、アジアのリゾートの島々の
中では、3位の済州島(韓国)の1,825平方kmを引き離し、
2位のセブ島(フィリピン)の4,421平方kmと並ぶ2大リゾート島である。
日本の四国の3割に当たる広さである。

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その他のアジアのリゾート島では、
沖縄本島の1,206平方kmにシンガポールの近くのビンタン島(インドネシア領)が
1,075平方kmで続き、グアム島(549平方km)に近いタイのプーケット島(543平方km)
の後には、マレーシアのランカウイ島(380平方km)が続く。
バリ島は、プーケット島(ともに高低差が大きいが)の10倍の広さと言える。

チェンマイからバリ島に行くのに、クアラルンプール(K/L)経由のエア・アジアで行ってみた。
チェンマイからK/Lまでほぼ3時間、K/Lからバリ島のデンバサール空港までも3時間ほど
かかる。
早い時期にプロモーション価格で買ったので、1航路の3時間当たり、荷物や食事も入れて、
ほぼ2250バーツ(6000円弱)ずつの価格になった。

LCC(格安航空)は、もはや空の例外から、空の大衆旅行の主役になりつつある。
エア・アジアの本拠地となるK/LのLCCT(格安航空専用ターミナル)に行って
発着案内を見ると、9割がたが赤いエア・アジア便だ。いつも混雑している。

@@@@@

LCCの問題は何かというと、サービスの悪さや安全性というわけではない。
サービスもてきぱきしているし、飯も簡素なものだがまずくはない。
問題はその時間帯にある。

たとえば、日本に行くのにK/L経由で帰ると、羽田に着くのは夜中近く。
空港を出れば、すでに電車やバスもなくタクシーになるので、
安いはずのLCCが、不便な上、タクシー代も含めると安くもなくなる。

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乗り継ぎも悪い。
チェンマイから朝の便でK/Lに着いたのが午後1時(時差1時間)。
バリ・デンパサール行きは夜の8時25分発予定で、間に6時間ほど時間が空く。
前日まで実は誤解していた。K/Lはメインの広々とした空港なのでいろいろ時間を
つぶせると思っていたが、エア・アジアだから着くのは、LCC専用の30km
離れたLCCT(格安航空ターミナル)だった。

LCCTは、設備も格安風なので、ロビーでずっと待つのは快くない。
K/Lの街まで出るか、「プラザ・プレミアム・ラウンジ」(PPL)と呼ばれる休憩室で
ゆっくりするかだ。

PPLは5時間128リンギ(3,600円ほど)と高いが、せっかくの旅行で
惨めな思いもしたくない。ソファーやシャワー、テレビ、パソコン、食事も
付いていると聞く。覗いてみることにした。
国際線の出発カウンターの脇にあったが、値段の割りには狭く、
それほど特別のスペースと言う感じではないので、やめにして
シャトルバスと列車を乗り継いで、計1時間でK/Lの街の中心の
セントラルへ行くことにした(往復22リンギ、600円ほど)。

こちらは快適だった。街で3時間ほど過ごすことができるが、
セントラルで、トイレトリー製品を買い、サブウエイをほおばってきた。
マレーシアの方が、チェンマイよりトイレトリー製品は安く多く出ている。
列車の窓から郊外の景色を見ているのが心地よかった。
もっとも、LCCTも今回は設備や売店も増え、トイレのきたないことを
除けば、ずいぶん良くなっていた。
ただマレーシアのビールは高い。
しかもビールを売っている店が少ない。やはりタイの方がいい。

搭乗待ち合いロビーもふつう。
しかし、ここで2つ目の問題が出た。
搭乗予定時間の7時45分になってもいっこうにアナウンスがない。
係員もいるかと思うといない。
けっきょく説明もなしに1時間遅れの出発となった。
待っている人たちは、いっこうに平気な様子だが、夜中に着くのが
遅くなるので、早めに出てもらいたい気持ちだった。
まあ、飛ばないより飛んだほうがいいけれど。エア・アジアはほかの
LCCに比べ遅延が少ないと思うが、夜行便が1時間遅れた。

空港に着いたのは、12時5分過ぎ。
それでも40分遅れだからよしとしよう。
バリの空港ではアライバル・ビザ25ドル(2100円)到着時に払う。
カードのマークがあったので、ビザカードを出すと、マスターカードだけだと拒否される。
バーツからだと、評価が低いので、1000バーツほどとられる。
ちなみにタイはじめアセアン加盟の9カ国はビザ免除だ。

入管で並ぶと、脇から係官がこちらから早く出られると誘導してくれる。
夜中過ぎだから、親切風の動きはありがたい。
ところが、これは3つ目の問題、チップ欲しさの抜け道だった。
でも便利なので、少しのチップで利用しようとしたら、顔をしかめ、
30万ルピア(2500円ほど)欲しいと言う。
あまりにも高額なので断り、列に戻った。そんなに長くはかからなかった。
もっともこれを利用して入国のスタンプがなかったら、出国のとき、密入国に
問われないだろうか。
堂々と係官が公然とやっているので、組織で黙認なのだろうから、
スタンプは押すようにしているんだろうが・・・。

@@@@@

10月はじめのバリは雨季入りで、外へ出ると、少し雨が落ちていた。
チェンマイの雨季(5~10月)と入れ替えにバリの雨季(10~3月)は
やってくる。
空港から、ホテルのある南の岬まではちょっと距離があるので
45分、15万ルピア(インドネシアのルピアは桁数が多く、10万ルピアが118円)。
細い上り下りの道だが、夜中なのでスムーズに着いた。
空港の外でタクシー・チケットは買っているので、その点は安心だ。

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ホテルは、新しいリーズナブルな価格のブティック風なホテル。
部屋もすっきりときれいだ。だが、ここで第4の問題が待ち構えていた。
部屋の水が出ない。早くシャワーを浴びて寝たいのに水が出なくては・・。
さっそくスタッフに直してもらうことにしたが、外に行ってポンプを
いじっているのだろうが、埒が明かない。
結局、30分ほど待たされて、部屋を代わってもらった。

こちらは、最初水が出て安心したが、そのあとが続かない。
連絡したが、スタッフ君、直せないのか、その後連絡ない。
待っていても期待できないので、ちょろちょろ出たり出なかったりの
水だけでシャワーを浴びて寝た。

翌朝。また水が出ない。
フロントに部屋を再び変えてくれと言うと、あと20分で出ると言う。
部屋の景色も悪いので、いずれにせよ元の部屋に戻してもらう。
ようやく水とお湯が出た。
しかし、水の出ない部屋なんて、昔のモスクワにもなかったよ。

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まあ、旅はいろいろなことに出会うが、
今回のような問題続きも珍しい。
厄払いとしておこう。
短い期間だが、タイとはまた違ったバリでしばし休養。
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by ucci-h | 2012-10-09 02:25 | アジアのリゾート | Comments(3)
ピブンとプリディ:タイ近代史の2人の大立者の友情と対立
タイの近代史を語るとき、第2次大戦をはさんだ
ピブン元帥首相とプリディ首相との友情及び抗争を
抜きには語れない。
最近も、「アムナート(権限)Ⅱ」という題名で、
両者の友情と対立を描いた本が、タイ語で出されている。

二人は3歳違い(ピブンが上で1897年生まれ)、
いずれも中国からタイへの移民の子である。
ともに留学生時代の1927年、パリで当時の王政の財政の
乱脈さを変えなければと意を固め、その5年後、
ともに30代の時の1932年6月、クーデターを率い、
絶対君主制を立憲君主制に立て替えたリーダーである。

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1932年6月24日早朝のクーデターの様子は、その前後も含め、
ウィキペディアの「1932年サイアム革命」に詳しい。
周到に用意され、策略を用い、一人しかけが人を出さず、
国を牛耳っていた王子たちを逮捕する有様が描かれている。
当日の朝、時の国王ラーマ7世はホアヒンでゴルフ中だったという
(最終的にはタイを離れ、イギリスで退位した)。
150年続いたチャクリー王朝の絶対君主制は、予言どおり、
ちょうど150年で幕を閉じることになった。

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絶対君主制から立憲君主制に変えたという意味は何だろうか?

日本の明治維新と同じ時期に、チャクリー王朝のラーマ5世として
タイ(当時はサヤム)の近代化に努めたチュラロンコーン大王のあと、
王室には王子が多く、権限を行使し、財政を我が物にし浪費していった
(ラーマ5世の子供だけでも77人いた。33人が王子だった)。

その後、1929年の米国の大恐慌などで国の財政は一層
悪化したが、国を治める王子たちは、自らの支出はあまり削ることなく、
役人や軍人の給与を抑えるなどの節約策をとるなどしたので、
1932年のクーデターにつながったと見られる。
当時のタイでは民衆に呼びかけての革命などは効果はないため、
留学経験者などリーダーたちのクーデターという形で革命が
行なわれた(ラーマ6世の時代から、多くを海外に留学させた)。

立憲君主制への移行に当たっては、プリディが革命時の
人民党のマニフェストを書き、その後の最初の憲法草案も
書いた。そこには、国王は憲法の下での存在となり、その
権限はおおかた廃されることになった。

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しかし、彼のやり方は国土の国有化など社会主義的色彩が
強く、翌1933年には反発を買い、最初の亡命をしたりしている。
1934年には帰国し、タマサート大学を作り、35~38年には
内閣の大臣として働いている。
このため彼は、戦後のタイ政治の中では、
共産主義者とのレッテルも貼られたりした。
その後、タイは、君主制の下で立憲民主制を行なう国になっていった。

革命当時中佐だったピブンは、その後陸軍大将になり、政権に参加し、
1933年の王族による反革命を抑え、
1938年には、第3代首相に就任、数々の愛国的近代化を行なった。
国名をサヤムからタイに変え、国歌を定め、西欧的服装や食事で今も使われている
スプーン・フォークの使用の奨励、また華人学校の閉鎖なども行なった。
今でも、朝8時と夕6時に街にタイの国歌が流れるが、これもピブンが定着させたものだ。

3歳下のプラディが容共的だったのに対し、ピブンは反共的立場をとった。

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そして戦時中は、枢軸国側につき、ピブン自らナショナル・ヒーローと名乗るなど、
独裁者とも呼ばれた。
ピブンほど自分の身に危険を感じ、王族を処刑した政治家もいないだろう。
1941年12月の日本軍のタイ上陸を許し、翌年1月には英米に対し、
宣戦を布告している。

一方、プリディはと言うと、英米への宣戦布告に対し、署名を拒否し
退任した(これが戦後、タイを戦勝国に持っていく)。そして、
英国の特別作戦部のメンバー(プリディのコード・ネームはルース)として、
タイの反日地下組織「セリ・タイ」(自由タイ運動)のトップになる。
こうして、戦中、戦後のタイには、同じ立憲革命から分かれた
二人のリーダーが違う立場から存在したことになる。

日本の敗戦とともに、ナショナル・ヒーローの立場は危うくなる。
ピブンは、日本の旗色の悪化とともに、1944年に首相の座を降りた。
連合国は、ピブン元帥を戦犯として裁判にかけようとしたが、
“戦勝国”の立役者プリディの弁護とタイを守ったとの大衆の人気により、
免れたと言われる。
ピブンは軍に残り、その後また戦後の政界で活躍することになる。

一方、プリディは、戦後「時の政府が作った英米への宣戦布告は不法であり、
無効である」と、自分らが英米を助けたことをベースに、戦勝国の地位を
勝ち取った(こういった二枚看板のしたたかさは、
生真面目な日本などはまねができそうもない)。
戦後の政治には、自由タイ運動派の内閣のアドバイザーとして参加する。

そして、その後冷戦が激しくなる戦後世界の中で、二人の絡み合いは、
40年代後半、50年代まで続くことになる。
この続きは次回に。

ちなみに、最後は2人とも外国へ亡命し、2度と祖国の土を踏まない英雄となった。
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by ucci-h | 2012-10-05 11:16 | タイの政治・経済・金融・為替 | Comments(1)
  

北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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