<   2013年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧
ひまわり満開の山と日本兵の遺跡を訪ねて(3/3)
メーホンソンの街は、冒頭に記したが、
小さな昔の北タイの面影を色濃く残したいい街である。
クルマが少ないことがこんなにもほっとさせられるものか。

d0159325_21513680.jpg


メーホンソンの街は歩いて回れる。
メーホンソンの街にはあまりアトラクションはない。
古い板張りの北タイの家が並んでいる。
また、西洋人向けか、落ち着いたオープン・バーが街角にある。

d0159325_22171672.jpg


街の西側にある標高424mのコーンムー山の丘の上に建つ
ワット・プラタートの真っ白な仏塔は、金色のビルマの
仏塔ばかり見てきた目には、とても新鮮だ。

d0159325_21524032.jpg


丘の上からは、西にミャンマーの山並み、
そして東側には、こじんまりとしたメーホンソンの街が、
空港や小さなチョーンカム湖を含めて、見下ろせる。

d0159325_2153341.jpg


湖の南側には、ナイト・マーケット沿いに、ツインの
ビルマ風寺院が建っており、その金色の仏塔は
夜間ライトアップされ、湖に写る姿がきれいだ。

d0159325_2229498.jpg


@@@@@


メーホンソンの街から北側の郊外にはいろいろ見る所がある。
友人と一緒だったので、マイクロバスを1日借り切って
(燃料代別で9時間2000バーツ)、パーイ方面にドライブに行ってみた。


最初に行ったのが、メーホンソンの街からすぐの
スートンペーの竹の橋。
いなかの田んぼの上に架けられた細く長い竹橋。
丘の上のビルマ風寺院の丘まで続く。

d0159325_22202293.jpg


田舎風のなんとも風情のある風景だ。とても気に入った。
田んぼでは村人が刈り取った稲を集めていた。
愛犬のプードルのクロは、どんどん竹橋を歩いて行き、
最後の急な丘への階段も、とんとんと登って行った。


@@@@@

竹橋の近くに「フィッシュ・ケーブ」(魚の洞窟)がある。
洞窟の底や周りの池には鯉がいっぱいだ(洞窟には入れない)。
ここは、「タム(洞窟)プラー(魚)国立公園」でもあるので、
敷地内はきれいに整備されている。木々と背景の山がきれいだ。

d0159325_22213819.jpg


フィッシュ・ケーブの近くに、
「プー・クローン」(マッド・スパ)がある。
ここでは顔に泥を塗り、足湯につかる。
数十分して出てきたご婦人たちの顔は、見た目にも
白くなっていてびっくりした。何時間持続するのだろうか?
木陰で飲むコーヒーはおいしい。

d0159325_22223662.jpg


@@@@@


時間があるので、さらに北方(1095号線を北東へ45kmほど)の
パン・マパ(ソッポン)の街にあるもうひとつの大きな洞窟、
洞窟の中を小舟で行ける「ロート・ケーブ」へ足を伸ばすことにした。
パーイの街へはそこから45km行ったところだ。

d0159325_22235619.jpg


パン・マパ(ソッポン)の街から9kmほど入った
「ターム(洞窟)ナム・ロート(水の流れる)」は、
広い洞窟の中の水流を竹の小舟で行ける珍しいところだ。
浅い水流の中は魚でいっぱいだ。
天井もとても高い。


ついでに、パン・マパ警察署の前のお店「ロック」は、
コーヒーだけでなく、食事も出来、裏にはコテイジや
庭が川に面し、きれいな休みどころだ。

d0159325_22245211.jpg


この日本軍が作ったという1095号線。
やはり、急カーブに加えアップダウンが多く、きついコースだ。
‘1864カーブ’が誇張でないことがうかがえる。
夕方メーホンソンの街へ帰り、ほっとしたものだ。

d0159325_22255296.jpg


@@@@@


メーホンソンの車の少ない、小さな古い町並み。
メーホンソン郊外のいなかの竹の橋。
クンユアムの小さな町に残された日本兵の足跡。
山一面に咲く黄金色のひまわりの花。
変化に富んだ、楽しい2泊3日の旅だった。


(終わり)
[PR]
by ucci-h | 2013-11-29 22:33 | チェンマイ近郊お勧め所 | Comments(2)
ひまわり満開の山と日本兵の遺跡を訪ねて(2/3)
チェンマイを朝7時半頃出たが、途中小休止を入れながら、
クンユアムまでの286km、5時間ほどかかった。


11月中旬から12月初旬まで、メーホンソンの南67kmクンユアムの街から
東へ30kmほど入ったメーウコーの山を登っていくと、
頂上1600mの山一面に、
黄金色のひまわりが山を覆うという。

d0159325_0554145.jpg


実際行ってみたらすばらしかった。
大げさに言うと、この世の景色かと疑うほどの壮大さだった。


@@@@@


ひまわりと言っても、正確にはメキシコヒマワリだそうだ。
同じキク科の植物だが、ヒマワリ属ではなく、ニトベギク(チトニア)属に
はいるようだ。確かに葉の形が違う。
こちらタイでは、「ブア・トーン」(金色のハス)と呼ばれる。


日本ではニトベギク属の名にあるように新渡戸稲造が持ち込んだ
赤いメキシコヒマワリが有名だが、ここクンユアムの丘のものは
まさにひまわり同様の黄金色で一杯だ。

d0159325_0562469.jpg


山一面のひまわりの中に身をおくと、往生するなら
こういう花の中がいいと思うほどである。


@@@@@


この季節、すでに寒季(乾季)に入っているはずなのに、
行った日の午後は、山の気候ゆえ雲が厚くなり、雨が降ってきた。
肌寒くもなり早々に切り上げ、2日後の帰途、午前中にあらためて寄った。


晴天の高原は涼しく、いろいろと新鮮な野菜を山岳民族の人
たちが売っている。
花畑を渡る風を受けて飲むビールの味は一味違う。

d0159325_191755.jpg


@@@@@


クンユアムの街は、第2次大戦中日本軍の病院なども置かれた
日本に縁のある北タイの小さな街である。
ビルマへの進攻拠点になるべく、5千人以上の日本兵が
やってきて、病院を作り、滑走路も作った。


この街に、昨年、日本兵の遺品を集めて展示した
「タイ日友好記念館」が完成した。
それ以前に、かつてのクンユアム警察署長だった
チューチャイ氏(現在72歳)が、個人的に日本兵の
遺品を1000点以上集め、保存してくれた話は有名だ。

d0159325_1101424.jpg


日本兵の鉄兜や飯盒や銃その他を展示した地味な記念館だが、
ビルマ戦線からこの地に敗走して来た日本兵を暖かくもてなして
くれたタイ人と、またそれに友好的に対処したと言われる日本兵達。
悲惨な戦争の中で、心温まるエピソードが残るのはありがたいことだ。

d0159325_111696.jpg


@@@@@


タイの娘と日本兵のロマンスでは、「メナムの残照」(クーカム、運命の二人)が
有名だ。タイ人ならコボリ大尉とアンスマリンの悲話を誰でも知っている。
コボリほど有名ではないが、この北タイのクンユアムにも
村娘ゲーオとフクダ軍曹の実話が残されている。


フクダ軍曹は、戦いで傷を負い、ゲーオの父親が薬草に詳しかったので、
助けてもらい、ゲーオにも看病を受ける中で恋が芽生えたと言われる。

 「北タイの村娘と日本兵の実話ロマンス 2012-8-25」
  http://uccih.exblog.jp/16690686/


当時15歳だったクンユアムの娘ゲーオも、
昨年記念館の開館式への出席を前に86歳の生涯を閉じた。
二人の間の子供ふたりはクンユアムにいるが、フクダ軍曹は
1950年に脱走兵として捕まり、バンコクの病院で病死したと言われる。
クンユアムの村娘のロマンスも悲劇で終わっている。


もちろん戦争中のことだから、実際はカレン族の娘たちが
調達されたのだろうとかの見方も出るだろうが、
タイ娘と日本兵のロマンス話は大事にしたいものだ。


@@@@@


「戦場にかかる橋」のカンチャナブリは、日本軍がいかに捕虜たちを
こき使ったかが過大に宣伝されているのに対し、こちらクンユアムの
タイ日友好は、もっと広められてもいい。


もっとも、今見るこの山あいの小さな平和な村の雰囲気は、
70年前鉄兜と銃剣がやってきた事実と、なんともそぐわない。
それが、こんな小さな村を巻き込む戦争という怪物の正体なのだろう。

d0159325_1133297.jpg


記念館の前のムエイトー寺院の境内には、
日本兵の慰霊碑がいくつか建てられている。
明日は日本の領事が見えるとかで、放水車で
清掃していた。


クンユアムから67km北のメーホンソンへの道は
いい道だが、ここもところどころ急坂だった。
メーホンソンの街へ着くころはすっかり暗くなっていた。


(その3へ続く)
[PR]
by ucci-h | 2013-11-29 01:16 | チェンマイ近郊お勧め所 | Comments(0)
ひまわり満開の山と日本兵の遺跡を訪ねて(1/3)
チェンマイから近くて遠いメーホンソン。
北タイの地図を見ると直線距離で、チェンマイの
西北西100kmもないメーホンソンだが、遠い。

d0159325_23463158.png


メーホンソンの街は、東西の山に挟まれた盆地にある。
東側の山なみの南には、タイで一番高い
標高2565mのドイ・インタノンの山があり、
メーホンソンの西側はミャンマーとの国境の山々だ。


このビルマ文化圏の山あいの街に行こうと前から
思っていながら、毎年交通の不便さを理由に
逃してきた。


@@@@@


しかし今年は、11月下旬の‘ひまわり満開の山’に
標準をあわせて、2泊3日のドライブ旅行で行ってきた。
結論から言うと、こんなにいい田舎町はタイでも珍しく
とても気に入った。

d0159325_23395839.jpg


テーマは、「ひまわり満開の山と日本兵の遺跡を訪ねて」
だったが、同時にメーホンソンの街自体とその郊外も
豊かな自然の中でゆっくりした時間が流れ、最高だった。


特に、最近はチェンマイの街には車、住宅が増え、都会化した。
山を越えて行くと、時計の針が数十年戻った別世界だ。
メーホンソンの街中は歩いて回れるし、車も少ない。

d0159325_23503661.jpg


人々はゆったりとしていて、親切で優しい。
70年前、日本の兵隊がこの街にやってきたときも
親切で優しい人たちと出会ったと手記などには書かれている。


戦時中、メーホンソンの街の67km南にあるさらに小さな
クンユアムの村に、ビルマへの進攻路を求めて、
5千人以上の日本兵がやってきたのだ。


@@@@@


タイの最北西部に位置し、ミャンマーと国境を接する
メーホンソン県は、タイの77の県のひとつだが、
人口はわずかに22万人ほどと言われる。


県庁のあるメーホンソン市で4万人、北タイの‘シャングリラ’として
旅行者に人気のパーイでも3万人、旧日本軍に関係の深い
クンユアムも2万人と、山と森林に囲まれた、人の少ない県である。


住んでいる人は、国境の街だから(もともとは国境いなどなかった)、
ミャンマーのシャン州に多いタイヤイの人が多い。
シャン族はミャンマーでの用語で、シャム(タイ)がなまったものだし、
タイヤイ族は、大タイという意味だから、広い意味ではタイ系民族である。

d0159325_23532097.jpg


ちなみに、他民族国家ミャンマーで、ビルマ族に続いて多いのは
シャン族(300万人前後か)で、カレン族がこれに続く。
メーホンソンにはカレン族も多いという。


@@@@@


チェンマイからメーホンソンへ行くルートは
北回りと南回りがある。


北回りは、パーイを経由してメーホンソンまで行く1095号線だが、
距離は南回りより短いものの(全長241km)、日本軍が作ったこの
山岳道路は、カーブとアップダウンの連続で、きついドライブ・コースだ。


メーホンソンの街のナイト・マーケットやお土産屋に行くと、
1864の数字の入ったTシャツやステッカーが売られている。
メーホンソンへの山道は、実に1864のカーブがあるというわけである。


第2次大戦の開戦後、日本軍は、友好国タイからビルマへ攻め入るのに、
南方の泰緬鉄道(バンコク⇒カンチャナブリ⇒ラングーン)と、
この北方の道路(チェンマイ⇒メーホンソン⇒クンユアム⇒ビルマのトングー)
の2つが建設された。


ちなみに終着地トングーは、ヤンゴン(旧ラングーン)の北東75kmにある
バゴー(旧ペグー)管区にある街(現名はタウングー)で、
16世紀なかばタイのナレスワン大王が幼少時人質に取られ、
学んだ土地である。

 「タイと因縁深い古都バゴーは今どうなっている? 2013-10-21」
  http://uccih.exblog.jp/19855178/


@@@@@


いずれも1942年に建設が開始されたが、カンチャナブリの泰緬鉄道が
突貫工事で1943年10月には完成されたのに対し、
この北方道路は難工事で、完成したのは終戦近くの1945年と言われる。


泰緬鉄道が、「戦場にかける橋」で有名になり、また工事に狩り出された
連合軍の捕虜などから死者が出たため、戦後「死の鉄道」と過大に
宣伝された(一番多い死者は出稼ぎに来たマレー人だったが)。


これに対し、この北方道路の工事も多くの犠牲が出たものの、
日本軍とタイ人の間で建設されたため、戦後も友好国の関係は
崩れず、対照的である。


@@@@@


この道路(1095号線)は今では観光道路だが、
“白骨街道”と呼ばれてきた。
工事で多くの犠牲者が出たからとの説もあるが、
日本のビルマからの敗残兵の帰路となり、多くの兵が倒れたからだろう。
この急な山道を走ると、白い道路標識が墓標のように見えてしまう。

 「チェンマイの空の下、66年前には敗残兵が 2010-1-25」
  http://uccih.exblog.jp/11261905/


ビルマへの進軍路として建設したはずが、実際は敗残兵の帰路となった。
「弓兵団インパール戦記」という本を読むと、ビルマから食糧も医薬品もなく、
負傷兵を抱えて逃げ帰る敗残兵の姿が痛ましい。
英軍機が迫ってくると、「むしろ弾が当たってくれた方がよほど楽だ」
という気持ちが胸に迫ってくる。

d0159325_23483681.jpg


現在の我々はチェンマイの地でゴルフをやったり
温泉地に行ったりしていられるが、
もし実際より20年ほど早く生まれていたら、
同じ土地を逃げ延びていたかも知れない。


@@@@@


無謀なインパール作戦を中心にビルマ戦線での死者は19万人にのぼると言われる。
ビルマ戦線に従軍した30万人のうち、帰還できたのは11万人だったそうだ。
タイに3万人以上が逃げ延びてきたが、7千人以上が
タイ領内で亡くなったと言われる。


北回り道路の話が敗残兵の話になってしまったが、
今回は南回りでクンユアム、そしてメーホンソンに行った。


南回り、それもメーサリアンを経由して北に上ってゆく
この南大回りコースが、チェンマイからの標準コースだ。

d0159325_23373845.jpg


もうひとつの南回りで、ドイ(山)・インタノンの南麓から
メーチェムを経由してクンユアムに行く道がある。
この道は、ヒマワリの山麓の道で、チェンマイからクンユアムまで180km、
メーホンソンまでは247km。帰りに通ることにした。


南大回りは、距離は353kmと一番長いが(北周りより100km以上、5割近く長い)、
道が比較的平坦で走りやすい。
メーホンソンの南67kmのクンユアムが最初の目的地だったので、
行きはこのルートで行った。


(その2に続く)
[PR]
by ucci-h | 2013-11-26 23:54 | チェンマイ近郊お勧め所 | Comments(4)
林住期を過ごす――現役の君へ(3/3)
家住期と林住期を比べたとき、
明らかに違うものがふたつほどある。
「身体」と「頭の中」である。


林住期になれば、肉体的には明らかにピークを過ぎている。
「こんなことで身体が痛いなんて、若いころにはあったかなあ?」
という思いに囚われる。


老・病・死は、林住期以降の3大忌み嫌われるものとなる。
しかし、誰にも、若い連中にも、これらはいずれやってくる。
これをどうとらえるかだ。


d0159325_2349042.jpg


@@@@@


アンチ・エイジングや若返りの努力もいいだろう。
身体をよく動かし、親からいただいた丈夫な足を使い切らないで
死んでいってはならない。


しかし、むだに若作りしたり、若い世代の流行を追うのは、
無駄足掻きに見えて、本人の思っているように格好良くはない。


@@@@@


と言って、同期の連中が集まれば、身体のどこが痛いの、
病気とどう闘ったのだの、誰それが亡くなったのの話ばかりでは
気が滅入る。


老・病・死というネガティブ・ファクターをどう受け入れていくか?
林住期のテーマである。


ここで、仏教哲学が助けてくれる。
仏教は、「人生は苦である」と教えてくれる。
老・病・死だけではない。幼少の時にも、人生の働き盛りにも苦は多い。


発想の転換が求められる。
老・病・死は自然の流れであり、毛嫌いすべきことではない。


人間いつまでも死ななかったら、それこそ最大の苦痛だ。
また身体の衰えが出てくるからこそ、身体を鍛える楽しみも増す。
「苦があるからこそ楽が大きい!」と人生を見たい。


@@@@@


老いて行くことは、人生の衰退と見える。
でも若い頃にはない知恵と人生への新たな見方も出てきて、
自分でも驚かされる。


「なぜもっと若い頃に気がつかなかったんだろう?」という
思いにとらわれる。
ダテに歳をとるわけではない。


病や痛みは嫌なものだ。
最終的には死が救済してくれるにしてもだ。

d0159325_005435.jpg


しかし、ポンコツ車(部品を取り替えるしかない)と違い、
人間の生体の自己治癒力には、すばらしいものがある。


はなから「歳だから・・」と精神的に後退してしまうか、
直してみようと前向きになるかで、反応は変わってこよう。


@@@@@


死は最終の解決である。
やりとげられなかったことも、人へのうらみも、人からの借りも
すべて水に流してくれる。


高齢社会の中で“孤独死”がニュースになっている。
亡くなる環境は確かに問題だが、人間、孤独で生まれたのだから、
死ぬときは、どこで一人で死のうと、何でもないことだ。


林住期は、ネガティブなことばかりがクローズアップされがちだが、
人生は苦であると思えば、若い時とそう変わりはない。
むしろこの歳まで生き延びたのだから、余裕が持てる。


老・病・死をポジティブに捉えられるよう心を強めたい。
「病気を避け、心を枯らさずに生きるだけでも一苦労なのだ」(五木寛之)。
人間ほんとうに老いるかどうかは、身体の問題ではなく、心の
持ちようのようだ。


@@@@@


林住期のもうひとつの特徴は、
家住期のときに比べ、頭の中を常に空っぽにして、
中に何を入れるかをいつも変えられるということだ。


働き盛りは、仕事の段取り、人との約束などで頭が一杯、
手帳が空白だと大丈夫かと強迫観念にかられたものだ。
いつも頭の中は、先のことでとらわれていた。


林住期は、毎日が日曜日。
仕事と言う歯車の装置に組み込まれていたのが一転、
野原に投げ出された感じとなる。


ディズニーランドのアトラクションをどう効率的に見て回るかが
得意な仕事人間にも、何もない好きなように遊べる野原では
当初面食らってしまう。


しかし、自由な精神が発揮できるのも、仕事がなくなった
林住期である。


@@@@@


とは言うが、自由な精神はさまよう。
「小人閑居して不善をなす」で、往々にしてろくなことしかできない。
迷い、退屈し、屈折し、ときに鬱積しがちだ。


歳をとるとうつ病が増えるという。
人間は、人類の誕生以来、大きくなりすぎた脳をもてあましがちだ。


高齢化して、‘濡れ落ち葉’だの‘ワシ族’だの負のフレーズが
空っぽになった脳にしみこんでくれば、だんだんと、その先
希望の持てない高齢期になってしまうだろう。

d0159325_2350176.jpg


せっかく仕事の雑事が抜けて空っぽになった頭を
自由に使わないのももったいない。
もっとも人の頭は死ぬまで雑事に追われ続けられがちだが・・。


@@@@@


20世紀のこの世に、なぜか難関であるはずの生を受け、
ここまで生きてきた。
林住期には、人間や、宇宙や万物を考える
贅沢を味わってもいいだろう。


犬を見て、虫を見て、何を考えているんだろう、
いや考えていないのかな、何を感じて生きているんだろう、
人間と何が違うんだろうと、時々考えてみる。
きのうはカタツムリのこと、今日はミミズのこと・・。
どこで生まれ、いつ死ぬんだろうか?


同じ人間でも、日本の人、タイの人、アメリカの人、それぞれ
考え方が違う。どうしてなんだろう?
他国の人の考え方は、当初違和感を覚えるが、けっこう教わる点も多い。


あれやこれやで、宇宙から地質、動植物、人間哲学と
いろいろ頭をめぐらすと面白い。
いかに常識と言うものが一面しか見ていないことに、
ある日気づかされる。


だからどうなる、何かが究められるというものではない。
開放された脳と精神を自由に遊ばせてやる贅沢は
林住期だからこそ出来ると思う。


@@@@@


林住期は、一見ネガティブに見えることを乗り切りながら、
精神を自由に飛躍させる、まさに“人生の黄金時代”に違いない。


もっとも、タイ人に言わせれば、「考えすぎるな!」となる。
ちょっと考えただけでもそう言われる。
やたらと考えて日本人らしく“テンション人生”を送るのは、
気楽に人生を楽しむ彼らの哲学からすれば、
あまりほめられた事でもないようだ。

d0159325_23543848.jpg


確かに人間の歴史は、錯誤とやり損ないの歴史だ。
「人間は考える葦である」とパスカルは言ったが、
そのことがいつも優れたこととはならないだろう。


いずれにしても、自由な精神を発揮しながら、
林住期を過ごしたいものである。


(おわり)
[PR]
by ucci-h | 2013-11-24 23:47 | アジア的な生活 | Comments(2)
iPadのゲーム「Hay Day」にはまる
娘からもらったiPad上のゲーム
「Hay Day」にはまっている。

d0159325_1113555.jpg


iPadには、Android機のゲームよりも
豊富なゲームがある。
しかも、細かい絵がきれいで、可愛い。


@@@@@


Hay Dayは畑に種をまき、穀物や野菜を
収穫し、それで鶏や牛などの家畜を養い、
家畜の生んだ卵や牛乳やベーコンで
加工品を作り、出荷したり、販売したりする
ゲームだ。
iPadのゲームでも人気上位にある。

d0159325_11134115.jpg


かつてMIXIで同様な「○○牧場」とか「○○農場」といった
いわゆる‘育成もの’をやったことがあるが、
それより格段に絵が可愛く、展開が複雑になっている。


@@@@@


レベルが上がるに連れて、加工機器類が増えると
同時に、トラックの出荷だけでなく、船の大量出荷も
始まり、時間で進むので、ときどき手入れをしなくてはならず、
はまるようにできている。
釣りもやらなくてはならない。


さて、レベル37までやってきたが、
この先どこまでやったら飽きるのだろうか???
[PR]
by ucci-h | 2013-11-22 11:14 | アジア的な生活 | Comments(0)
一筋縄ではいかない(?)ミャンマーの国際合弁事業
開放ミャンマーでは、1年前の2012年11月に
「外国人投資法」ができ、2013年2月から運用と
なっている。

 「ミャンマーの新しい外国人投資法出る 2012-11-11」
  http://uccih.exblog.jp/17150457/


必要な外国資本(及び技術)に門戸を開いた形だが、
過去の軍政下での既得権のしがらみもあり、
一筋縄でスムーズに展開するとはいかないようだ。


@@@@@


人口6千万人をかかえ、ビールの一人当たり消費量が
なお低いミャンマーは、ビール会社にとって垂涎の
マーケットだ。


現時点でも、トップの「ミャンマー・ビール」社は
独自の財務諸表は公開していないが、ミャンマー最大の
納税企業だ。

d0159325_22445941.jpg


ミャンマーにおけるビール消費量は、年間一人当たり
わずか4リッターと言われる。
大瓶わずか6本強だ。赤ん坊から年寄りまで入れた一人当たりでである。
日本のざっと10分の一だ。


ミャンマーのビール消費水準が低いのは、
タイに似ている(それでもタイはミャンマーより6.6倍高いが)。
高いビールより、安い国産蒸留酒が好まれるからだ。
しかし、ミャンマーのビール消費は、経済開放にあわせ、
今後大きく増えていきそうだ。


@@@@@


このミャンマー・ビール社は、以前お伝えしたように、
シンガポールの「フレーザー・ニーブ」が55%、
ミャンマーの軍の経済組織である「UMEHL」(または単にMEHL)が
45%を持つ国際合弁会社となっている。

 「外国企業に門戸を開いたミャンマーのビール業界 2013-5-22」
  http://uccih.exblog.jp/18823538/


ミャンマーへの外資進出は、資本の過半数を超えてもいいが、
ミャンマーの企業との合弁が条件となっているものが多い。


UMEHLは「MEC」と並ぶ、軍の2大企業組織である。
ヒスイやルビー、サファイアの鉱山も持っている。
MECの方は、第2位のダゴン・ビールを持っている。
またこちらは、セメント、鉄鋼事業も持った同じくコングロである。


@@@@@


この合弁会社ミャンマービールを巡って係争が起きている。
フレーザー・ニーブは、2012年9月から2013年初めにかけて
タイ・ベバレッジ社(タイの富豪、チャーン・ビールでタイでのトップシェアに
のし上げたチャルーンが創業)が、子会社化している。

d0159325_22465248.jpg


2013年8月末にUMEHLからクレームが来た。
合弁を営んでいるフレーザー・ニーブが、UMEHLの事前承認なしに
自社株をタイ・ベバレッジに売り渡したのは、合弁契約の規約違反で、
UMEHLの方に株式獲得の優先権がある。
契約違反だから、合弁会社ミャンマー・ビールの株式も
引き渡せということになる。


係争の結末は未定だが、
UMEHLがミャンマービールを100%子会社にしたい
(ビール製造の技術はそう要らないだろうから)との
思惑からクレームをつけたのだとしたら、
その他の外資との合弁事業にも不安を与えかねないと見られる。


@@@@@


UMEHLは、中国の国営「Norinco」(北方工業)の子会社とも
合弁で、中部サガインで銅山開発を行なっているが、
土地収用費未払いとの地元民の抗議から、開発が
一時ストップしたりしている。


また、ヤンゴン市の北部の住宅地で
ベトナムの資本による商業コンプレックスの建設が
この6月にスタートしたが、うわさによれば、
政府(担当は観光省)は、この建設に10月待ったをかけた
と伝えられる。


ミャンマーの外資開放路線も、
既存権益グループの抵抗などもあり
ストレートには進まないようである。
[PR]
by ucci-h | 2013-11-21 22:47 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
林住期を過ごす――現役の君へ(2/3)
「林住期も家住期に比べれば、けっこういいもんだ」という意識は、
リタイアした5~6年前からあった。


「リタイアして北タイに住んでいると、暇でしょう?退屈しませんか?
日本に戻りたくなりませんか?毎日何をしているんです?」と
いったような質問をよく受けたものだ。


その度に、「いえいえ、タイ語やアジアの経済の勉強、ゴルフの稽古、
体力の維持、犬や虫とのつきあいなどいろいろやることがあって、
けっこう忙しく、時間が足りません」、
「日本にいるよりこちらにいる方が、生活に新たな発見があって
面白いですよ」と、まじめに答えていたものだ。


そして、毎日朝起きて、その日の気分で生きられる幸せ、
在職中のように、今日は朝早く仕事に行かなければならないこと
から開放された喜びを味わってきたものだ。


‘退屈’(ひま)と感じられれば、これは最高の幸せとなる。
なぜなら、義務に囚われず、何でもできるからだ。
ちょうど、神様から「さあ、今日の一日、あなたの好きなように
お使いなさい」と白紙委任状をプレゼントされたようなものだから。


d0159325_1347383.jpg


@@@@@


とは言いながら、やはり何か欠けているものがあることを
うっすらと感じて来てはいた。
ひとつは、気の合った日本の友達だ。


こちらでも、日本人、タイ人、その他外国人の友人は
できたが、やはり長くからのつきあいの気心の知れた旧友はいいものだ。
日本へ帰国したときに会うくらいになった。


特にこちらに長居するようになった当初は、
友人が少ないことが、新しい土地での暮らしの上でも、
楽しみの上でも、ハンディキャップに感じたものだ。


@@@@@


この人間関係不足感は、実はつい最近まで
続いてきたが、5~6年を経て、林住期を改めて
意識することになって、前回述べたように、自分の中で
何か認識が変わってきた。


折りからインターネットの時代。
インターネットは、人を“つなぐ”ツールだという。
仕事でのつながりよりも、心のつながりを求める
現代人がそれだけ多いということだろう。
‘人とつながっていないと不安でしかたがない’のが
現代人の特徴らしい。


特にインターネット上での「タグド」や「バドゥー」、
「ハイ・ファイブ」、また「フェイスブック」などの
SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)は、
タイ人や欧米人も多く使っており、出会いの場を
提供してくれる。
友達は作りやすい時代だ。


@@@@@


こちらに来て、SNSは友人のきっかけを作るのに
便利なツールとなった。
そして、これらを使い始めると、友人を増やすことが
あるべき姿の様になってくる(実際、フェイスブックやMIXIは
商売上、そういう仕掛けになっている)。


在職中は、転職も多かったので、人脈は広い方だった。
「顔が広い」のが自分の特徴だった。
もちろん、飯を食べたり、会合に出たり、それなりの努力もした。
だから、リタイアしても、SNSなどを使って、人とのつながりを
太くして行こうという気持ちがあった。


しかし、ここにきて、林住期を改めて考えるとき、
ここに至って人とのつながりを増やすことは、
何か林住期の行き方に逆らって、家住期をよきものとして、
悪あがきしているのではないかと思うようになった。


d0159325_13482714.jpg


人とのつながりを増やす必要性は、
家住期と林住期では違うのだ。


@@@@@


もちろん、よき友人はうれしいものである。
ことに異国に住んでいると、日本から訪ねてくれる
日本の友人は、まさに「友あり、遠方より来る」で
大歓迎で、楽しくなる。


しかし、リタイアして林住期の暮らしの中で、
さらに多くの友人作りが必要だろうかと考え直す。
もともと人付き合いは得意な方ではなく、
「少数のよい友達がいい」派であった。
顔が広かったのは、仕事上必要だったからに過ぎない。


物事には、ポジティブな面とその裏にネガティブな面がある。
少ない親友は貴重だし、友人が多いこと自体は悪いことではない。
しかし、量が多いと、つまり触れる面が多いと、
人間関係は軋轢や誤解、妬みなど面倒なことが生まれやすい。


リタイアして、仕事はもう卒業したのだから、
ここにいたってまで気の合わない人間と付き合うことはないと
決めていても、量が増えれば軋轢が増す。


@@@@@


「仕事をしていると良い。新しい知り合いが増えるから」と
よく言う。その通りだが、仕事をこなすために増えたとも言える。
会社を替れば、それまでかもしれない。


リタイアして仕事が無くなったのだから、
余計な知人を増やしたくもない。
ちょうど、食事も体にいいものを質素に食べたい気持ちと似ている。
贅沢な濃い食事は、パリやマンハッタンや東京で、働いていたとき
十分楽しんできた。


誤解しないで欲しい。別に人間嫌いになったわけではない。
社会に背を向けて、林の中にこもり隠遁生活を
おくろうというのではない。
出会いがあれば挨拶はするし、人と逢ったらその人のいい所を
汲み取るのも楽しみだ。
でもあまりややこしい人間関係に積極的に入りたくはないし、
入る必要もないということである。


@@@@@


人間関係、「人とのつながりがなければ、孤独でさみしい
生活になる」という怖れが、世の中では喧伝されている。
でも本当にそうだろうか?そんなことはない。
日本でも、一人暮らしでせいせい暮らしている人は多いはずだ。
‘お一人様’は、自分の好きなときに好きなことが出来る。


現代社会は、システム化されている。
一人で暮らしていても、別に‘孤立’しているわけではない。
娯楽のためのテレビ番組や映画、音楽はたくさんある。
人恋しくなれば、飲み屋でもカラオケでもディスコでも、
いやそれこそSNSを開けば良い。


家住期と林住期での暮らし方の違いは、
面倒だが刺激のある濃い生活をおくるか、
面倒のない最小のもので事足りる淡々とした生活を
志向するかの違いだろう。
年代が変われば、暮らし方も変わっていいはずだ。

@@@@@


我々は、「個の独立」をあまり奨めない教育を受けてきたようだ。
集団で波風立てず仲良くやっていくことが最善とされた。
自分の好きなように生きることは、‘自分勝手’、‘身勝手’と
みなされ、はなから受け入れられない風土の中で育った。


リタイアしても、なかなかその先入観から抜けられないが、
林住期は自分を解放し、貴重な生を受けた自分のために生きる
“黄金期”にしたいと思う。


(続く)
[PR]
by ucci-h | 2013-11-18 13:49 | アジア的な生活 | Comments(0)
チェンマイのショッピング・センターのおおとり「セントラル・フェスティバル」がオープン
2013年11月14日、タイのお祭り「ローイ・クラトン」の週末を前に、
チェンマイのスーパーハイウエイのアーケードのあるサーンデック交差点角に
新しい「セントラル・フェスティバル」ショッピング・センターが
予定通り、オープンした。

 「チェンマイで進むショッピング・センターの開発 2013-3-24」
  http://uccih.exblog.jp/17883845/

d0159325_20155078.jpg


昨年から今年にかけていくつか続いてきた
チェンマイのショッピング・モール開店の
おおとりを務めるかのように、
さすがは大資本セントラル・グループだけに
予定通り、しかもテナントはほぼ一杯での
オープンとなった。

 「洪水にめげず伸びるセントラル・グループ 2011-12-11」
  http://uccih.exblog.jp/15093763/


@@@@@


バンコクにはある吉野家や大戸屋という日本の
レストランがこれでチェンマイでも味わえるようになった。
もっとも、ユニクロと一緒で、これらの日本では
廉価の食堂も、こちらでは割安感はない。
かわりにしゃれた店作りになっている。


ダイソーもやや広い店で日本と同じピンクカラーで
統一されている。こちらは65バーツ(206円)だから
日本の倍の‘二百円ショップ’となる。

d0159325_20165353.jpg


1階にフード・ホールと称して、外国製品も含めた
広い食品売り場を設け、また食堂もその隣りに、
またレストランは3階、4階にも多い。
チェンマイでは食が変化の中心となっているようだが、
プロムナーダと同じく、日本レストランが軒並みなのに
驚かされる。
今やチェンマイは日本風レストランばかり増えている。


@@@@@


レストラン、電気・モバイル店、美容クリニックの
出店が目立つ。
服飾店や靴屋などの伝統的なお店は
むしろ影に隠れた感じだ。

d0159325_20175821.jpg


オープン2日目で人も一杯だったので、
お昼は、プロムナーダへ行き、センタンにも
入った「みやび」で食べた。


プロムナーダは、センタン(セントラル)に
客をみな吸い取られたように閑散としていた。
プロムナーダも規模は広いが、テナント数が少ないので、
買い物客は今後もセントラルに取られていきそうだ。


@@@@@


2013年、チェンマイの街は、
住宅ブームに加え、ショッピング・モールの増加で
大きく姿を変えた年になりそうだ。
[PR]
by ucci-h | 2013-11-15 20:18 | アジアの流通小売業 | Comments(7)
タイに景気サイクルはあるのか?
2013年、タイの景気は冴えないままである。
前年、タイ貢献党政権がとった自動車、住宅販売
先食い政策が、今年になって影を落としている。


そもそも、自動車や住宅がよく売れていた2012年に
これらの税還付販売促進策を取る必要は、
景況から見ればなかった。
政府の人気取り政策でしかなかったと言われてもしかたがない。


このつけが今年回ってきている。
自動車は、街中だけでなく中古市場にも溢れ、
中古車価格は3割も下がっている。


@@@@@


2013年のタイのGDPの成長率は、3%台と低位にとどまりそうだ。
年初の予想の5%台をはるかに下回る。
自動車だけでなく、耐久消費財の販売奨励は
家計の借金を増やし、タイの家庭の購買力が低下している。


輸出環境も良くはない。
欧米の景気回復ペースはいまいちだし、
中国の成長力も落ちている。
2013年のタイの輸出の伸びも、2~3%にとどまろう。
コメの高価買取り、国家管理政策は、コメの輸出を減らしている。

d0159325_221149.jpg


さらに、景気を後押しするはずだった公共投資も
今年は始動しなかった。
政策の実行が遅いことがあるが、ポピュリスト政策の
大盤振る舞いで、国庫の赤字が拡大してきている。


@@@@@


ところで、いまや‘中年国家’となったタイだが、
成長するアセアン経済の中心にあって、なお成長ポテンシャルは高い。
2013年9月に、TMB銀行の経済調査部が、
タイの景気サイクルの分析をやっていた。


グラフが載せられないのが残念だが、
過去14年ほど、タイ経済はそれなりの景気サイクルを描いてきている。


2001年(実質GDP成長率2.2%)がボトム、
2003年(7.1%)がピーク。
2009年(リーマンショックでー2.3%)がボトム、
2012年(6.5%)がピーク。


そして、2013年からは低下していきそうだが、
そのサイクルに今は乗っていると見れば、
景気の減速は来年も続きそうだ。


@@@@@


景気がこれ以上過熱しないのはいいことだが、
上がってしまった物価は下がりにくい。


タイの物価上昇率は、商務省の統計によれば、
ここ数ヶ月2%以下だが、実感にそぐわない。
久しぶりに行ったレストランのメニューがまた10バーツずつ
上がっていた。


政府の経済政策は、あえて人気取りの愚策と言いたい。
車の増加による道路の混雑と、最低賃金他の大幅アップによる
諸物価の上昇は、生活に打撃を与えている。
[PR]
by ucci-h | 2013-11-12 22:12 | タイの政治・経済・金融・為替 | Comments(0)
林住期を過ごす――現役の君へ(1/3)
現役の君は、毎日忙しく過ごしているのだろうか。
私は今、‘林住期’を北タイで過ごしている。


古来インドには、人生を4つの時期
(学生期、家住期、林住期、遊行期)に分ける
考え方があると、6年ほど前に出された五木寛之の著書
「林住期」でも紹介されている。


今や人生の長寿化が進み、人生100年に迫っているのだから、
この4期を25年ずつに分けて考えてもいいだろうと彼は言っている。
最初の25年の学生(がくしょう)期は、親や世間、学校や先輩に
いろいろ世話になり、主に教えてもらう時期。


次の家住期は働き手となって、家族や子供を養い、
世の中に貢献する時期。


そして、林住期にいたれば、もはや社会や他者への貢献から
開放され、貴重な生を受けた自分の人生を自分のために生きる時期と
五木氏も言っている。

d0159325_13294362.jpg


@@@@@


チェンマイに6-7年前から暮らしを始めたのも、リタイヤして自分を
見つめて生きる「林住期」での暮らしをしたいからと自分でも思っている。
しかし、この林住期、言葉の割には、具体性にいまひとつ乏しく、
試行錯誤でここ5年ほど過ごしてきたといったところだ。


イメージ的にはある。
世間のつきあいからやや失礼し、鳥や花や虫や動物に囲まれて
暮らすのが、林住期のイメージだ。
まるで仙人生活のようだが、車の増えたチェンマイの街に住んでいるので、
これは少し現実離れしたイメージだ。


イメージだけにとらわれて、‘林住期’生活をおくってきたが、
5年たって、林住期の生き方について、なにか少し目覚めてきたような気がする。
林住期だけをイメージするのではなくて、学生期、家住期との
比較で、人生全体の中での位置づけが欠けていた。


@@@@@


先進諸国、ことに日本、は高齢社会に入った。
歴史上今までになかったことだから、いろいろ無理解や
軋轢も世代間で生じるはずだ。


戦後の日本の高成長に寄与したはずの団塊の世代は
今や高齢化団塊となっているから、若い世代からは
時にうっとうしく「おじん、おばん団塊」と見られるだろう。


人生は、働き盛りである「家住期」が黄金時代に見える。
仕事で重要なポストにつき、肩書きを持ち、収入も多い。
そして、仕事柄、人とのつながりも多く、体力もなお壮年期だ。


これに対して、「林住期」となると、まず体力が落ち、
収入も減り、人脈も細り、人生の“たそがれ時”と映る。
林住期はネガティブな面が表面に出やすい。


しかし、家住期が人生のピークで、林住期は下り坂なのか?と
五木寛之は疑問を呈する。
「林住期こそ人生の黄金時代ではないか!」と彼は見る。

d0159325_13321621.jpg


@@@@@


家住期がいいか、林住期がいいか比較してみてもしかたない。
物事には、プラス面とマイナス面がある。
林住期のネガティブな面は上に書いたようなことだが、
家住期にだって、客観的に見れば、マイナス面も目立つ。


「いつも時間に追われている」、「体調が少し悪くても、朝勤めに
出なければならない」、「職場で気の合わない人間とも付き合わねば
ならない」、「仕事の先行きにリスクがつきまとう」、
「家を顧みないと家族から疎まれる」・・・等々、家住期には苦労がつきまとう。


どちらが黄金期かを競い合う議論ではない。
ネガティブな面ばかり見ていたら、家住期も林住期もミゼラブルな人生だ。
ポジティブな面をありがたく思えば、どちらも黄金期となる。


学生期、家住期と比較すると、
林住期が浮かび上がってくる。
年代によって、生き方は変わって行って良いようだ。
いや、変わるべきかもしれない。

(次回へ続く)
[PR]
by ucci-h | 2013-11-11 13:32 | アジア的な生活 | Comments(0)
  

北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
by バンディ
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索
ブログパーツ
ファン
ブログジャンル
海外生活
時事・ニュース