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選挙の度に強くなってきたカンボジアのフンセン体制だが(3/3)
そして前回のカンボジアの総選挙は2008年に行なわれました。

筆者もちょうどカンボジアを訪れていましたので憶えています。
すでに選挙時の暴力は減り、脅しがこれに代わってきたと報道されましたが、
前3回に比べて、いっそう平穏に行なわれたようです。

結果は、人民党が90議席(58%)とついに過半数を獲得、
SRPは26議席(22%)、その他3党で残りの7議席を取りました。
与党人民党の圧勝です。1993年の第1回選挙でトップをとった
フンシンペック党は、すでにラナリットも去り、2議席に激減しました。

その2年前の2006年に、フンセンは憲法を改定し、
議会では単純過半数で内閣を組めるようにしていましたので、
選挙後の組閣は簡単でした。

フンセンはついに、かつてのバックとなったベトナム共産党並みの
1党独裁に近い体制を完成させたと見られました。

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そして今年、2013年7月、5回目のカンボジア総選挙が行なわれました。

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その前に、28年にわたる長期政権の下、独裁的地位を固めた
フンセンは、「74歳まで、あと13年首相を続ける」と表明しています
(以前は90歳までやると言っていましたが・・)。

対外的にも、ベトナムや中国と近しくして、隣のタイを
巧みにあしらうなど、リーダーシップを固めてきました。

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2013年の総選挙前においても、アメリカの議会からは、
フンセン体制の“できあがった”選挙をけん制するために、
年7300万ドル(70億円)の援助をカットせよとの声も
上がりましたが、かつてのクリントン政権同様、オバマ政府は
明白な行動は取りませんでした。

カンボジアの外務大臣は、これに対して、
「アメリカが援助するかどうかは、アメリカの勝手でしょう。
彼らが何と言おうと、カンボジアの未来は、我々が決めるのです」と、
中国から数十億ドルの援助を受けているせいか、
意気軒昂でした。

今回は欧米諸国は、選挙監視団は組織しなかった
もようです。選挙監視団が行って見て、結果的に認めるとなると、
選挙結果が正当なものと評価されたと取られるからです。

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今回2013年の選挙結果は、与党人民党68議席、
野党CNRP(カンボジア救国党)55議席という
結果が出ました。

カンボジア救国党は、国外に逃れていた
サム・ランシーが、昨年自身の「SRP」に「人権党」を
加えて、成立させたものです。

これで、人民党の4連勝となりましたが、その差は
前回2008年の選挙時の90対29から、68対55へと
大きく縮まりました。
CNRPの得票率は、人民党の49%に対して
44%でした(CNRPは、63対60で
自分たちが勝ったはずだと言っていますが・・)。

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「驕れる者は久しからず」と言われますが、2008年の選挙で
独裁的地位を不動のものにしたストロングマン、フンセン体制も
ピークを過ぎてきたのでしょうか?

今までと違って、今回は野党がボイコットする意向の
議会運営について、フンセン首相が、野党の党首
サム・ランシーと5時間も話し合ったと言うのは、今までに
なかったことでしょう。

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カンボジアの変化が動き出したように見えます。

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今年の6月、選挙前のカンボジアのシェムリアップに行ったときの
インテリのカンボジア人の言葉が、心に残っています。
「みな、フンセンにはもう飽きたというのが本音だ。
でも彼に代わる人間がいない。
変なのが出てくるなら、フンセンの方が安心だ」と言うものでした。

2009年のリーマンショック後の凹みを乗り越え、
フンセン政権下でカンボジアは6%を越える経済成長を
達してきています。

フンセン首相が仮に失脚するなら、
再びカンボジアの国内が混乱する恐れがなお
彼らの頭に残っているのでしょう。
でも、28年も経てそろそろ代わってもらいたい、と言ったところでしょうか。

野党カンボジア救国党の人気は、都市部だけではなく、
今回は、サム・ランシーと組んだ旧人権党の人権活動家
ケム・ソカーの人気も加わり、農村部でも伸びたようです。

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カンボジアの変化の兆しは、メディアが限定された国において、
若い層によるインターネット、ソーシャルネットワークの活用により
もたらされた面が大きいようです。

有権者960万人のうち、150万人はクメール・ルージュの内戦も
知らない若い層でした。
カンボジアでも安くインターネットに接続できます。
フェイス・ブックの利用者は75万人に達すると言われます。

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かつて、フンセン首相は、ベトナムの支援を背景に伸してきました。
野党は、ベトナムの影響排除をテーマに闘ってきました。
しかし、もはやそういう時代ではないようです。

2015年はアセアン市場統合を控えています。
若い層の国境を越えた経済的価値観が、旧い内戦の怖れや脅しを
超えていく時代に入ってきたように見えますが、どうでしょうか?

 「国産車第1号誕生、工業化に入るカンボジア 2013-6-28」
  http://uccih.exblog.jp/19085963/

(終わり)
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by ucci-h | 2013-10-04 13:44 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
選挙の度に強くなってきたカンボジアのフンセン体制だが(2/3)
1993年の第1回カンボジア総選挙の敗北を
乗り切ったフンセン第1首相だが、
第2回の選挙は、その5年後の1998年にやってきた。

今回も反対党の得票が上回りそうなことから、
フンセン人民党は、権力基盤の充実にそれ以前から
進めていたようだ。

1996年には、フンセンはなお残るポルポト派の武装勢力の
取り込みに成功、1997年には武力クーデターで
政敵ラナリット殿下を海外に一時追いやります。

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そして、1998年の選挙結果では、
人民党64議席(41%)、ファンシンペック43議席、
サム・ランシー党(SRP)が15議席と、人民党が勝利しました。
反対派のラナリットとサム・ランシーは、すでに1994年に
分裂していました。

選挙の不正を防ぐため、EU(欧州連合)が
選挙監視団を送ったもののあまり機能しなかったようで、
反対党からの選挙委員からの票の数え直しは要求は
退けられ、またカウント前に情報相から実際の結果と
1票違いの“選挙結果”が間違って出てくるなどの
ハップニングもあったようです。

結果に対する反対派からのデモや抗議が出ましたが、
プロテスターは武力で追い払われました。

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人民党が多数を占める選挙委員会が、選挙直前に選挙区の
区割りを自党に有利に変更するなどがあったことから、
西欧諸国からも選挙の有効性について疑問の声が上がりましたが、
フンセンの強い力を目の当たりにして、欧米は選挙結果を認めることに
なったようです。

@@@@@

組閣の段になると、当時の憲法では、3分の2の多数が
必要でした。
ラナリットは、最終的に米国の要請を受け、フンセンと組むことに
なりました。フンセンが首相、ラナリットが議会の議長です。

議会運営は、以前と変わりませんでした。
フンセンは、ポルポト派の兵士を投降させ、国軍に組み入れる
ことにより、バックとなる軍隊を充実させていました。

@@@@@

次の選挙は、2003年にやってきました。
いっそう選挙戦術に巧みになった与党人民党は
73議席(得票率47%)と前回よりも票を伸ばし、
ファンシンペックの26議席(21%)とSRPの24議席(22%)を
上回りました。

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前2回の選挙より比較的平穏に行なわれましたが、
それだけフンセン人民党が巧みになり、力をあまり用いずとも、
勝利できたということでしょう。
当時のエコノミスト誌は、フンセンの勝利を“ストロンガー、ストロンガー”と
報じていました。

@@@@@

むしろ特徴的なことは、ラナリットのファンシンペック党の
退潮でした。ラナリットはこのあと2005年には党首を解任され、
ファンシンペック党の議席は、2008年2議席、2013年ゼロと
消えていきます。
フランス語の略称の政党が国を治められると王族は思っていたのでしょうか?

王党派に代わって票を伸ばしてきたのが、首都プノンペンで
トップ議席を取ったSRPです。
野党の中では、民主路線を目指すサム・ランシーの方が、
王党派で基盤がぶれがちなラナリットより、選挙の度に
人気が増えてきたとも見れましょう。

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しかし、それでもSRPは、農村地帯や東部のベトナム系住民の
フンセン人民党への堅い支持を崩すには至りませんでした。

フンセン人民党は、3度の選挙の洗礼を受けて、1党独裁の
権力基盤を固めて来ました。

(次回へ続く)
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by ucci-h | 2013-10-01 17:57 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
シェムリアップの近況(後編):アンコールワットの街で気づいたこと
「ますますカンボジアが好きになった」と
前回記したが、今回シェムリアップで気づいたことを
列挙すると、以下のような5点になります。

 「カンボジア・シェムリアップの近況(前編):アンコールワットって? 2013-7-3」
  http://uccih.exblog.jp/19151866/

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1.カンボジア人はフレンドリーで気持ちがいい。

シェムリアップは観光地のせいもあるが、ホテルのカウンターだけでなく、
ドアマンから料理人まで、フレンドリーに声を掛けてくれるので
親しみやすい。英語も米ドルと一緒で、広まっているのだろう。

タクシーの運転手君は、結婚2年目。美しい奥さんとの間に11ヶ月の
男の子がいる。
彼は英語の上手なインテリなので、4日間ずっとつきあってもらった。
ずいぶんカンボジアを知るのに勉強になった。

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2.街は他の観光地より走りやすい。

車で毎日回ったが、以前に比べてカンボジアの道路は
ちょっぴり良くなってきている(まだ未舗装のところも多いが)。
それよりも、車の渋滞がないので、街中も郊外も走りやすい。
昨年行ったバリ島の渋滞とは対照的だ(向こうは島だけど)。


3.チーズ、ワイン、ハムが安くて豊富にある。

フランス領であったため、ワインやリカーが豊富で、
チェンマイなどよりずっと安い。1000円未満のワインも多い。
またチーズやハムも安く出回っている。外で食べるビーフもうまい。
いい意味でのフランス食文化が残っている。

カンボジアはすべて米ドル表示。分かりやすい。
コンビニには、なぜかお酒がずらっと並べてあった。
コンビニの名は、セブンイレブンならぬ「シックス・イレブン」である。

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4.シェムリアップ観光には入場料が取られる。

空港でのアライバル・ビザ20ドル(写真が要る)はしかたないとして、
遺跡群を回るのに1日20ドルの入場パスが要る。
これも遺跡群保護のためなら必要かもしれない。
ただし、この入場料の総額と使い道はカンボジア内でも
公表されていないというのが運転手君の話だった。


5.遺跡は、「アンコール・トム」と「プレ・ループ」、
それに「クバール・スピアン」の山登りがいい。

アンコール・ワットより1世紀ほど後に、仏教寺院としてできた
大規模な北側の「アンコール・トム」がいい。
壁に描かれたレリーフを見ながら城壁の中の岩を歩くと、
昔の人々の有様がなんとなく目に浮かんでくる。

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10世紀に、アンコールワットより先行して建てられた
東にある「プレ・ループ・ヒンドゥー」教寺院。
ピラミッド型の寺を登ると、周りはカンボジアの森の緑、緑。
寺院の岩石の赤い色と緑の対象が素朴で美しい。
中に、荼毘に付す石壇があり、何か、昔の人の短い一生が偲ばれる。

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街の東北の郊外、シェムリアップ川の源流に、「クバール・スピア」
がある。川沿いにさかのぼると、源流の川底に、ヨニとリンガ(男女性器)を
彫った岩がある。命の源泉といった森の中の雰囲気だ。
「ひとつのヨニになぜ5つものリンガが入っているの?」と
ガイドの人に聞いたら、「なるべく多く命が生まれるように」とか(笑)。

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また、東バライの南にある「バンテアイ・クデイ」の壊れかけた仏教寺院もいい。
調査団の研究対象だそうだが、荒れた僧院を歩くと、盛者必衰の雰囲気が伝わってくる。

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ーーーーー

実質2日しかなかったから、クーレン山登りと、同じく北東郊外の
ベンメリア大寺院、それにロリュオス遺跡群は、次回の楽しみとした。
ベンメリア遺跡は、映画「天空の城ジュピタ」の舞台になったということで、
日本人の観光客が多いそうである。

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今度は、道路がなお良くなった頃、チェンマイからアランヤプラテートまで
(900kmほど)車で行き、カンボジア側のポイペトまでブーントーン君(運転手)の
車で迎えに来てもらい、シェムリアップへ行こう(120kmほどだ)。
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by ucci-h | 2013-07-10 12:36 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
カンボジア・シェムリアップの近況(前編):アンコール・ワットってどういう意味?
カンボジアがいっそう好きになった。

6月半ば、ほぼ7年ぶりにカンボジアに行ってきた。
タイ人風に言えば、「カメーンの“タイ人をやっつけろ”の街へ行って、
ナコン・ワットやナコン・トムを見てきた」。

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カンボジアのことは、タイ人は「カメーン」(クメール)と呼ぶ。
そしてタイとカンボジアは、国境のプリア・ビヘア寺院の所有権争いがあり、
隣国同士で仲が悪く、タイ人はカンボジアに行くことをあまり好まない。
とはいえ、国境を越えたポイペトのカジノはタイ人で溢れ、
‘タイに死を’の意味のシェムリアップの街には、遺跡を訪れるタイ人観光客も多い。

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ナコン・ワットとタイ人が呼ぶ「アンコール・ワット」や
それよりひと回り大きい「アンコール・トム」の遺跡群は、ご存知のように、
西暦802年から1431年まで600年余り続いたアンコール王朝の遺跡である。
クメール人が作ったアンコール王朝は、日本の平安時代+鎌倉時代+室町時代を
すっぽり包む長さである。

アンコール王朝末期の14世紀後半、日本の室町幕府の時代、
シャム軍がアンコールを攻め立てた。アンコール王都は、1431年には陥落
することになる。日本で応仁の乱が起こる前だ。
歴代の王は都城を作るのに人や財を費やし、王朝は疲弊していたのだろう。
当時、アンコールを攻め立てたシャムは、新興のアユタヤ朝だった。

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しかし、シャムはアンコールを完全には攻め取れず、
200年後の16世紀後半には、ビルマに手を焼いていた
シャムにクメールが逆に攻め入ったりしている。
「シェムリアップ」(シャム軍に死を)は、シャムとの戦いの中で生まれた
地名と言われる。

もし、隣国に「日本に死を」などという名の地名があったら、
気色が悪いので、日本人は行かないだろうな。

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アンコール・ワットは、1113年、スルヤバルマン2世によってヒンドゥー教の
寺院として建てられた。アンコール王朝が最盛期に達した時だ。
源平が争っていた頃だ。

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アンコール・ワットとはどういう意味だろう?
最初アンコールという名のお寺(ワット)だと思っていた。
でも、アンコールという名のお寺なら「ワット・アンコール」になるはずだ。
タイ語の「タクシー・メーター」は、メーターのことじゃなくて
タクシーのことであるのと一緒で、
クメール後も主語が先に、形容語が後に来る。

ナコン・ワットの別名で分かった。アンコールは昔の王朝の名前になっているが、
王都、都城という意味だ(ナコンも都だ)。従って、アンコールワットは、
「寺院(パゴダ)の都」という意味になる。

1181年、平家が滅びる4年前に、ジャヤバルマン7世によって建造された
アンコール・トム(こちらはトムつまり大きい都という意味)。
この大きな都城の完成は13世紀に入ってからだ(日本の鎌倉時代になる)。
アンコールワットより大きく、大乗仏教を信じた王の新たな都だった。
当時は、都を作ることが王の威信を世の中に広めることだったのだろう。

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アンコール・トムは同じ寺院でも、ヒンドゥー教でなく、大乗仏教の寺院だった。
四面観音など、大乗仏教の大きな観音像が残る。
仏教が栄えると困るバラモン達(ヒンドゥー最高位の司祭階級)によって、
王の死後仏像は取り払われたりして、その後ヒンドゥー風になっている。

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もっとも、ヒンドゥーと仏教の差は薄く、ヒンドゥー教にとって
釈迦はヒンドゥーの神様の一人ぐらいの位置づけだから、
宗教の争いといったものでもなかったのだろうが。

そのカンボジアは、今ではタイと同じく9割の人が
上座部仏教(小乗仏教)だというから、宗教の変遷は面白い。
イスラム教やキリスト教の一神教に比べ、アジアの宗教はおおらかで
寛容だと言えるかも知れない。

なお、クメールの寺院遺跡はカンボジアにとどまらず、
広くタイ東北部にも分布している
(昔は国境もなかったのだし)。

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日本人が海外旅行で訪れたい土地で、ペルーのマチュピチュを凌ぎ、
世界第1位がアンコール遺跡だそうである。
アンコールワットが祇園精舎と重なり、日本人の心を引き付けるのだろうか。

シェムリアップ、アンコール遺跡、そしてカンボジアの良かった所に
ついては次回に。
(続く)
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by ucci-h | 2013-07-03 01:27 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(1)
国産車第1号が誕生!工業化が始まるカンボジア
人口9千万人のベトナムと6600万人のタイに
はさまれた人口1500万人のカンボジア。

70年代後半のポルポト政権下で当時の人口700万人のうち、
170万人が亡くなったと言うカンボジア。

輸出の8割が衣料品である軽工業国カンボジア。

 「カンボジアの現代版女工哀史 2011-8-25」
  http://uccih.exblog.jp/14420640/

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そのカンボジアの工業化がここにきて立ち上がり始めた。

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カンボジアで自動車が生産され始めたことは、ほとんど知られていない。
2013年1月、国産車「アンコール・カー」が誕生した。
価格が1万ドルほどの小型の電気自動車だ。
1回の充電で300kmほど走ると言う。

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カンボジアの自動車登録台数は、2012年末でわずか23万台あまりだ。

輸入にかかる税金が100%以上なので、車の価格は倍以上になる。
物品税45%、輸入関税35%、付加価値税10%がかかり、
輸送費やその他インフォーマル・コストがかかる。

グレイ・マーケットが発達し、また中古市場は販売市場の8割以上を占める。
とはいえ、自動車市場は、ここ数年、年20~25%の伸びているという。

依然として車の質は低いが、このカンボジアに自動車メーカーもやってきた。
ヒュンデは、2011年1月コーコンに、6200万ドルを投じて組立工場を建てた。
フォードは、昨年プレア・シアヌークに年産6000台の工場をオープンさせた。

また、日本の矢崎総業は、最近コーコンにワイヤー・ハーネス(車内配線)の
工場を2400万ドル投じて作った。
電装も1月、40万ドルを投じて電装カンボジアを作り、プノンペン経済特区に
センサー部品の新工場を作っていくと発表した。

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タイ、中国の労賃アップを受けて、カンボジアに進出するのは自動車関係
だけではない。

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ヤマハ・モーターやティファニーの子会社、丸三プラスチック、
日鉱金属などが現地生産を目指している。
ミネベアは、すでに2011年12月にプノンペンに精密ベアリングの工場を建てたが、
今は6千万ドルを投じ、第2次拡張に入る。
中国の日本に対する敵対的態度も、日本企業のカンボジア進出を後押ししているようだ。

プノンペン経済特区は、2012年16の新工場を迎え入れたが、
2013年は18工場以上が進出してくる見込みだ。

自動車、機械関係ばかりでなく、靴製造業や食品工業、缶工場など
業種も広がっている。

カンボジアはなお政治の行方、電力の供給、エネルギーコストの高さなど
いろいろな問題もあるが、ベトナムとタイの間という好立地条件もあり、
工業化が急速に進みそうな状況だ。
クメール(カンボジア)人の働き振りが注目される。
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by ucci-h | 2013-06-28 21:27 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
動き出したカンボジア第3の観光地シアヌークビル・リゾート
タイの東側の隣国カンボジアにも、南部には海がある。
そこにシアヌーク・ビルの街がある。

前の王様の名前とフランス語のVille(町)がくっついた
前世紀的な名前がまだ残っている。
シアヌークはまだ存命だからだろうか(89歳)。

シアヌークビルまでは、タイ東部のラヨーンからタイランド湾沿いに
400kmほどしかはなれていない。
陸路では、その間に国境の街ハットレック(タイ)とコッコン(カンボジア)が
あるが、川渡りがあり、面倒なようだ。

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カンボジアのインフラ整備は遅れているが、
空路も然りである。

以下のクイズはどれが正解だろうか?

問1:カンボジアのナショナル・キャリアーはカンボジア・ロイヤル航空である。
問2:ドメスティック航空会社は3社しかない。
問3:ナショナル・キャリアーの国際便は、6カ国にしか行っていない。

答えは、いずれも間違い。でたらめである。

カンボジアの観光資源といえば、首都プノンペン(ペン婦人の丘)と
アンコールワットのあるシェムリアップ(シャムをやっつけろ)だけである。
広大なトンレサップ湖は開発されていないし、バッタンバンの街も
NGOが行くぐらいである。

そして、第3の観光資源として、海沿いのリゾート、シアヌークビルの
開発を目指している。

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昨年、シアヌークビルがカンボジア湾として、
世界の美しい湾を選ぶ「世界最美湾クラブ」に入ったので、
いっそう力が入ってきた。

ちなみに、この1996年にできた世界最美湾クラブは、
世界でここまで37の美湾を選んできているが、
そこは作ったのがフランス人、フランスのモンサンミッシェルはじめ5湾
など独断と偏見にかまわず、フランス文化圏中心にリストアップしている。

カンボジアも、ベトナム、ラオスと並び、フランスの文化がアジアで一番残っている地だ。
アジアではほかに、ベトナムがハロン湾など3湾、中国の青島湾、インドのケララ湾、
フィリピンのプエルト・ガレラ湾、韓国のヨス(麗水)湾が選ばれている。
タイや日本からははいっていない。

クメール・ルージュ時代に荒らされ何十年も放っておかれた
シアヌークビル空港は、2007年に開業されたが、半年もたたない
うちに、墜落事故がおき22名が亡くなった。

翌2008年には、今は廃業となったシェムリアップ航空が、
EUから安全性を疑うブラックリストに載せられた。
2008年暮れ、シェムリアップ航空が廃業すると、カンボジアは
世界でも珍しい国内航空のない国となってしまった。

2009年末にようやくシアヌークビル空港が整備完成されたが、
その後2年間も定期便ゼロのままだった。

昨年暮れ、シェムリアップからシアヌークビルへの国内定期便が
はじめて飛ぶようになった。飛んでいるのは、カンボジアの
航空会社「カンボジア・アンコール・エアー」(CAA)だ。

CAAは2009年7月に設立。2001年に破産したナショナル・キャリアー
「ロイヤル・エアー・カンボジア」に代わって、カンボジアのエアラインの
主役として躍り出てきたが、ベトナム航空が49%のシェアを持っており、
今のところ、いわばベトナムにおんぶされたナショナル・キャリアーである。
所有機体数は今のところ数機らしい。

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CAAは、カンボジアのナショナル・キャリアーだが、
国際便は、今のところ、ベトナムのホーチミンとプノンペン、
シェムリアップ間を結んでいるだけのようだ。

国内便は、プノンペンとシェムリアップを結んでいたが、
2011年末からシェムリアップとシアヌークビルの間も
飛び始めたわけだ。首都プノンペンとシアヌークビル間の便はない。

国内便航空会社は他になかったが、その後、2010年10月に
カンボジアと台湾との合弁で、
トンレサップ航空がシェムリアップをベースにできたそうだ。

なお、タイのバンコクとプノンペンを結んでいるのはタイ航空とバンコク・エアー、
それにエアーアジア、
バンコクとシェムリアップを結んでいるのは、バンコク・エアーである。

シアヌークビル空港には、国際便はまだ入っていない。
CAAは、ベトナム航空の意向が強く反映されるので、
プノンペンとシアヌークビル間には興味が薄く、
次に考えるなら、ホーチミンからシアヌークビルへの乗り入れだと言う。

2011年末からシェムリアップとシアヌークビルの定期便が
運行されるようになったが、年間70万人を処理できるという
シアヌークビル空港の2012年上半期にやってきた客は
5,741人に過ぎなかったという。

エアーアジアに言わせれば、シアヌークビル空港の
並外れた空港チャージが乗り入れをためらわせているという。

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(バンコクポスト紙より)

それでも、2011年末の定期便乗り入れに続いて、
この7月には、陸と1km離れた島を結ぶ橋も完成した。
また8月はじめには、1,000人の中国人旅行客を乗せた
船が着岸するようになったという。

マリオットは、来年18ホールのゴルフ場つきの
リゾート・ホテルをシアヌークビルに開業する予定だし、別に
カジノ付きの高級リゾートの建設も開始された。

シアヌークビルへの旅行者は、2011年18万人だったが、
これから増えていくものと予想される。

中国の援助を受け、ベトナムの力を借りて立ち上がりつつある
カンボジアだが、いよいよ第3の観光地の開発に本腰が入りそうだ。
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by ucci-h | 2012-09-19 20:07 | アジアのリゾート | Comments(0)
タイのストリート・チルドレン
アジアの“ストリート・チルドレン”(宿無しの子供たち)と言えば、
70年代後半の内戦で人口170万人を失ったカンボジアが有名だ。
ストリート・チルドレンが多いといっても、数は定かでない。
家もなく道路で物乞いをしている子供、物売りをしている子供、
身を売られている子供、いろいろある。

ユニセフなどによると、世界では1億人を超えるストリート・チルドレンが
おり、その数はなかなか減っていないと言われるが、
カンボジアでは、働いている未成年の子供たち(5~17歳)の数は、
60万人を超えるといわれる。多くは家はあるが。
プノンペンのホームレスの子供は、20000人近くと見られる。
バッタンバンなどの街も含めれば、カンボジア全土では、数万人以上は
いるのだろうか?

もっともアジアには人口の多い国が多いから、
ストリート・チルドレンの推定数は、以下のようになるのかもしれない。

1位 インド 100万人~1000万人?
2位 バングラデッシュ 40~50万人以上?
3位 インドネシア 17~20万人?
4位 中国 15~20万人?
5位 カンボジア 3~5万人?
6位 ベトナム 2~3万人?

あまり、あてにならない数だが、
ミャンマーやネパール、フィリピンの数も不明だ。

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タイのチェンマイにもストリート・チルドレンは居る。
タイとカンボジアの違いは、道端のゴミの山の違いだ。
バッタンバンなどでは、ゴミの山は、子供たちの職場だ。
ゴミの山から、目ぼしい物を探し、拾っていく。
一方、チェンマイにもゴミが捨てられ山になっているところは
あるが、誰も見向きもせず、放置されたままだ。
ストリート・チルドレンの多さの違いだろうか?

あるNGOの推計では、タイ全土には、
3万人ほどのストリート・チルドレンが居ると言われるが、
チェンマイにも何千人かはいるのだろう。

貧困さや家庭暴力から逃げて、
道路暮らしをする子供たちも多い。
インターネット・カフェでゲームをしたり、セブン・イレブンあたりで
たむろする子もいる。

そして、物乞いしたり、花を売ったりしてお金を稼ぐ。
旅行者が多い街なので、セックスを売る子も居るという
(タイでは、物乞いは、インドなど他国のようにあまり見られないが・・)。
ストリート・チルドレンには危険が付きまとう。
暴行、虐待、搾取、ドラッグ、エイズと、危険は付きまとう。

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対策としては、若いボランティアが、
「ドロップイン・センター」に行くよう勧めている。
ドロップイン・センターに行けば、絵を描いたり、勉強したりも
できるからだ。
泊まることも出来る。
毎日、チェンマイでは20人ほどのストリート・チルドレンが
やってくるという。

また、ボランティア達にとって、親元と話し合うことも重要だ。
「子供の権利」を理解させ、学校に行かせるようにする。
ソーシャル・ワーカーは、この国では不足している。

しかし、ストリート・チルドレンの生まれる根本的原因を正すのは
ボランティアたちには無理だ。
政府のより良い経済対策が重要だ。

「ストリート・チルドレンに金品をやるより、
子供らを更生させる組織をサポートしてくれる方が
効果的だ」と、ボランティアは言っている。
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by ucci-h | 2012-05-11 10:30 | アジア的な生活 | Comments(3)
タイとの関係は改善した後のカンボジアの課題
2012年、今年のアセアンの議長国は、昨年のインドネシアから
バトンを受け取ったカンボジアである。
さっそく、1月10日よりアンコールワットのあるシェムリアップで
今年の議題を決めるアセアン外相会議が開かれた。

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タイとの国境紛争が、インラック政権が出来たことから落ち着き、
ミャンマーでは開放路線が進み、
南シナ海の中国との共通の領海問題があるが、
カンボジアも成長への道を辿ろうとしている。

タイから見ると、2003年1月のタイの女優の発言問題、
タイ大使館襲撃事件でタイ・カンボジアの関係がこじれて以来、
カンボジアの市場は、中国、ベトナム、マレーシアなどに
食い込まれてしまったことになる。
 「小国カンボジアに操られるタイランド 2011-2-13」
  http://uccih.exblog.jp/12866207/

タイの企業はカンボジア進出に、政府の後ろ盾もなく
消極的で、現在でもカンボジアに進出しがんばっているのは、
大手のCPグループや、サイアム・セメントくらいである。

しかし、カンボジアの事業環境にも問題は多い。
以前見たように、カンボジアでがんばっているのは外資系の衣料産業くらいである。
カンボジアの課題は、税制等の改革もあるが、民主化にありそうだ。
フンセンの率いる人民党(CPP)は強権政治を行ない、
司法や裁判所も政権の下に置き、言論の自由も抑えているようだ。
 「カンボジアの強い首相 2011-2-5」
  http://uccih.exblog.jp/12820012/

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一番の証拠は、最高裁の裁判長ディット・ムンティーが
人民党のトップクラスの人間だということだ。
昨年は、「国際婦人デー」の100年祭が世界中で祝われたが、世界で
これを禁止したのは、アフリカのジンバブエとカンボジア2カ国だったそうだ。

経済面でも、政権に近い人間の土地の収用が多いといわれる。
政治力の強いものが経済利権も手に入れるという
後進国の伝統から抜け出ていない。

民主化という面で、一党独裁のベトナムにすら後れを取っていると、
そのうちミャンマーにも追い越されてしまうかもしれない。
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by ucci-h | 2012-01-24 22:16 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(0)
タイ、カンボジアの洪水被害広まる
今年は世界的に異常気象・天災の年だ。
チェンマイもついに、9月28日より洪水につかった。
ダムの貯水量が90%を超え、支えきれなくなったようだ。
街は水につかっているが、地方での被害の割には、
街の人々は、つかの間の水溜りをむしろ楽しんでいる。

タイではここまで170人以上亡くなったようだが、
お隣のカンボジアも10年来の洪水で、105人以上
亡くなっている。
タイのピン川・チャオプラヤ川が氾濫しただけでなく、
大河メコン川も氾濫したようだ。

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タイの田んぼだけでなく、
カンボジアでは数万ヘクタールの田が冠水したという。
おコメの収穫が心配だ。

観光地アンコールワットでは、
道路が途絶され、200人近くの観光客が
空から救出されたという。

雨季もあとひと月だが、
これ以上被害が拡大しないように・・・。
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by ucci-h | 2011-09-30 10:03 | アジア的な生活 | Comments(0)
変わるかカンボジアの輸出を担う衣料品産業
カンボジアの輸出品の84%は、以前見たように、衣料品である。
ほとんどが外国資本による工場立地であるとか、
働く女工は、きつい労働条件の中で苦労しているとか、
いろいろ問題はあるが、カンボジア経済の牽引産業である
ことは間違いない。
今年前半のカンボジアの衣料品の輸出額は、18.6億ドル。
前年同期より32%伸びている。
 「カンボジアの現代版女工哀史 2011-8-25」
  http://uccih.exblog.jp/14420640/

そのカンボジアの衣料品産業にも変化が見え始めている。
衣料品製造は、資本の蓄積のない国の産業が立ち上がるとき、
最初に手がけられる軽工業だから、バングラデッシュやアフリカの国
の追い上げもきつくなってきている。
それらの国の労賃は、カンボジアに負けずに安い。

そういう中で、カンボジアの衣料品産業は、当然ながら、
生産の機械化と、付加価値の高い製品へのシフトを強める。
とは言え、単一品、短期集中的受注が多い中で、
新しい生産体制への切り替えは、言葉で言うほど易しいことではない。

その中で、スペインへ「マンゴ」ブランドの衣料品を輸出している
「イベラジア社」(イベリア+アジアか)は新たな生産体制を
築こうとしている。
1台6万ドルのコンピュータ化された機械を数台導入し、
高品質衣料品の小ロット生産に乗り出した。

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タイも含め途上国では、機械化にあたって、「機械よりも人手のほうが
安い」という現象が見られるが、生産の柔軟化、多品種生産への対応、
将来の労賃アップを見据えれば、いつまでも人手に頼ってばかりは
いられないだろう。
カンボジアも、近隣諸国に比べ、労賃だけがアドバンテージだと
言っていると、近い将来どこかに追い抜かれるかもしれない。

しかし、先行投資には金がかかる。
資本の蓄積が少なく、ローンにも高い金利を払わなくては
ならないこの国では、思うままには行かない。
また、電力料金、インフラ未整備から来る輸送コストの大きさ、
そして税関のプロセス、と障害は多い。

多品種少量生産になると、海外からの材料・仕入れ品の輸入
頻度、回数も毎週のように多くなるという。
この会社の輸送コストは、労働コストにほぼ匹敵するという。
インフラの未整備が、ロジスティックスをなお費用のかかるものにし、
腐敗の横行が、輸出入プロセスを同様にしている。

しかし、考えてみれば、なお障害が多くあるということは、
改善の余地が大きいということである。
なお外国資本リード型の輸出産業の地固めだが、
これが、国内資本の蓄積になっていくとカンボジアの
発展につながろう。
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by ucci-h | 2011-09-27 12:28 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(2)
  

北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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