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三浦半島横断山歩き
日本で、亡き母の灯明守りでいる間、
台風の合間を縫って、三浦半島の山歩きに出かけた。


半島の最高峰(といっても、242mだが)大楠山に登り、
三浦半島を歩いて横断することにした。

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新逗子からバスで、半島西海岸の前田橋でおり、
前田川渓谷沿いに遊歩道を登り、
そこから大楠山に登った。
バス停からゆっくり歩いて1時間半ほどだった。

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大楠山の周りには何もないので高さの割には海の展望がいいが、
周りの樹々でややさえぎられる。
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帰りは、葉山国際ゴルフ場に沿って、
東側に下っていく。
衣笠、横須賀方面へ。
わりに時間がかかった。
計2万歩強、16kmほど歩いた計算だ。


山歩きのあとは、温泉で汗を流したい。
三浦半島の温泉は、今回調べて分かったが、
廃業したところが多い。


帰りは、衣笠駅から徒歩15分ほどの
佐野登り雲温泉に浸かった。
露天風呂もあり、ゆっくりできた。

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日本は、山と温泉がいい。



# by ucci-h | 2019-10-12 20:20 | 日本・米国・欧州 | Comments(0)
母の死
母の死


母が亡くなってひと月たった。

九月初めの朝、チェンマイの入管でビザ更新の手続きを
していた時、日本から電話があった。
母が危篤だと。

翌日早朝の飛行機で日本に戻った。
8月から入院中の母は、その後1週間頑張ってくれた。
9月12日穏やかに95歳で旅立った。

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2019年、令和元年の秋は、暑くまた大型台風が来た年と
しても記憶に残ろう。


その後、通夜、葬儀を行ない、
役所への手続その他で、四十九日まで追われる。

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親が亡くなり、あらためて感じる。
さて自分の残りの人生、どうやって過ごそうか?
やはり強靭な体作りが基本となるなと感じた。






# by ucci-h | 2019-10-12 19:43 | 日本・米国・欧州 | Comments(0)
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅(5/完) リペ島、タイ最南端の小さな島

「タイのモルジブ」とか、「タイの最後の楽園・秘境」とか
喧伝されるリペ島は、アンダマン海に浮かぶ
タイの最南端の小さな島である。

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どのくらい小さいかというと、東西3km、南北1km程度、
島中歩けてしまうという小さな島だ。

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タイの島々は、多くがリゾート地だが、
大きさでトップ3はどこだろうか?

一番大きいのは、プーケット島だ。
543㎢(淡路島593㎢の92%の広さ)のこの島だけで県を成している。
人口も40万人に及ぶ。
タイで一番物価の高い県だ。


2番目に大きいのが、タイランド湾西部、
スラタニー沖に浮かぶサムイ島。229㎢。人口7万人近く。
山あり滝ありの変化に富む島で、欧米人中心に年間100万人が訪れるが、
空港がバンコクエアウエイズの所有であることが有名。

サムイ島の北には、それより小さめだが、
おそらくタイで4番目の大きさのパンガン島(125㎢、人口1万人)が浮かび、
さらにその北には、2014年英国人男女の殺人事件や
2017年のベルギー人女性自殺事件で有名になった
より小さなタオ(亀)島(21㎢、2000人ほど)が横たわっている。



3番目が、カンボジアとの国境のトラート県にある
チャーン島(象島)。213㎢。22万人が住んでいる。
交通がやや不便だが、最近人気が出てきているようだ。




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さて、リペ島は、タイの最南部アンダマン海沖の
タルタオ諸島の端にある小さな島である。
ここには、タルタオ島という一番大きな島(100㎢くらいあろうか)や、
リペ島の北のアダン島(15㎢くらい)というリペより
大きな島もあるが、海と砂浜の美しさから、リペ島がリゾート地となったようだ。


オフシーズン(5月~10月の雨期)にボートが通っているのは、
リペ島だけのようだ。



タルタオ島は、タイで5番目くらいの大きさになる
起伏に富んだ大きな島だ。ランカウイ島のすぐ北に位置する。
かつて戦時中、政治犯の収容所として使われたという。
ジャングルに覆われた、名前の意味する原始的な島のようだ。



リペ島のすぐ北にある島がアダン島だが、ここは
リゾート地というより、公営のバンガロー、テントのある
トレッキングの島である。




リペ島は、小さな島だが、もうマレーシアに近い。
実際、マレーシア領の自然の素晴らしい(素晴らしかった?)ランカウイ島から
北西へ40km。ハイシーズンにはランカウイからもフェリーが出ている。

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ランカウイ島は、380㎢と、サムイ島より大きい
(南側のペナン島(295㎢)より少し大きいことになる)。
人口は65,000人ほどが住んでいる。
2008年に訪れ、自然を満喫できたが、それから11年、
かなり開発が進んでいるのだろうか?

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雨期なので、雨風が強い日に島へ行ってもしかたないので、
ボートやリペのホテルは、前日まで予約しなかった。
いろいろ聞いて、また天気予報を一応見て、OKそうなので、
前日に行くことに決めた。


なお、タイ最南部の雨期は、北のチェンマイなどとは少し違うようだ。
チェンマイは、5月から10月までの雨期、雨量は各月比較的平均しており、
(8~9月がちょっと多い)、また南部でもプーケットなどは各月平均してよく降る。

しかし、ハートヤイでは、10~12月、雨期の終わりにたくさん降る。
サムイ島と同じパターンだ。
リペ島のあるサトゥーン県も、9~10月に多い(幸い8月初めの今回は晴天に恵まれた)。
先月行ったベトナムのダナンの9~11月集中に似ている。

同じ東南アジアでも気候の変化は一様ではない。




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ハートヤイからは、半島をミニバスで2時間近くかけて
西海岸のパクバラ埠頭まで横断し、
そこからスピードボートでリペまで1時間半かけて
(実際に走っているのは70分ほど)渡ることになる。

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ミニバス+スピードボートで、ハートヤイ⇔リペ島の
往復(片道4時間)1200バーツ(約4000円強)と高くない。
朝9時にハートヤイを出れば、パクバラ11時半のボートに乗り、
午後1時にはリペ島のサンライズ・ビーチの桟橋に着ける。



パクバラ桟橋からのスピードボートは、50人乗りほど。
3基のエンジンで波しぶきをあげながら、西へ走る。
途中、左側にタルタオ島の大きな島影が見える。
その向こうは、もうマレーシアのランカウイ島のはずだ。
途中、小雨や波しぶきで顔が濡れた。



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リペ島は小さな島だが、東側にサンライズ・ビーチ、
北側にサンセット・ビーチ、南側にパタヤ・ビーチ(なぜか
パタヤの名が付けられている)と3つの砂浜がある。

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コッテイジ式のパタヤビーチに面するホテルに泊まったが、
たしかに、コバルトブルーの海はきれいだ。
砂浜も真っ白で豊かな砂がある。
オフシーズンだからか、人が少ないのもいい。


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オフシーズンなので、リペ島はすいていた。
島に住む人は2,000人ほどだというが
(桟橋のそばに小学校があった)、
ハイシーズンには一日5,000人のお客が訪れるという。


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小さな島には、パタヤビーチからサンライズビーチ方面に向かって
「ウォーキング・ストリート」があり、セブンイレブンも一軒あり、
お土産屋やレストランが並んでいるが、この時期、
シャッターの降りた店もあり、閑散としていた。

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面白いのは、ホテルからウォーキング・ストリートへ行くのに
島の真ん中の道(田舎道)を行くのではなく、
砂浜沿いを数百メートル歩いて行くのだ。
満潮の午後は、波間を歩き、干潮の夜は、砂浜を踏みながら
歩いて行った。


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リペ島。
確かにコバルトブルーの海と白い砂浜はきれいだ。
しかし、最後の秘境とか言った風情はもうない。
コンパクトな海浜リゾートの島である。
ホテルの設備も悪くない。
行くのにやや不便なのが人混みを抑えているか。


自分の行った海浜リゾートでお気に入りは、
クラビ(ピピ島も含む)、サムイ島である。
これにリペも加わるかもしれない。
最悪はプーケット。物は高いし、俗化し過ぎている。



(その5終わり・完)




# by ucci-h | 2019-08-16 19:14 | アジアのリゾート | Comments(0)
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅(その4)ソンクラーは一日過ごせる海辺の街

ハートヤイの街からロットゥー(ミニバス)に乗って
海辺の街ソンクラーにやってきた。
冷房の効いたミニバスで1時間ほど。
34バーツ(120円ほど)は安いものだ。


ソンクラー郡は、ハートヤイ郡の人口の半分以下しかないが、
以前に触れたように、ソンクラー県の県庁所在地である。

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ソンクラーの地名は、シンガポールと同じく、サンスクリット語の
シンガラ(獅子の意味)からきている。シンハビールもそう。


ハートヤイの街が、20世紀初め、客家出身の謝枢泗(しゃすうし)に
よって開発されたのに先行して、ソンクラーの街は、18世紀末、
福建出身の華僑、呉譲がアユタヤ王朝滅亡と同時期にこの地の
国主となり、力を蓄えていったが、20世紀初めのチャクリー改革
(中央集権化)でソンクラー郡となった。


なお、ソンクラーは、この5月に98歳で亡くなった
タイ政界の大立て者、プレーム枢密院議長の出身地でもある。


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ソンクラーの街は、海沿いの街だが、北端は同時にタイ最大の湖、
ソンクラー湖の南端にも挟まれている面白い地形だ。
ソンクラー湖は、南北に3つの部分でつながっているが、
総面積は1040㎢と、琵琶湖(670㎢)の1.55倍に及ぶ。d0159325_22452098.png>



ソンクラーの街で面白いのは、海沿いの旧市街の街並みである。
海沿いと言っても、海水の流れ込む西側のソンクラー湖沿いだが。

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この旧市街には色とりどりの古い建物が残されているが、
また建物の壁にはいろいろな絵が描かれており面白い。
散策するのによい。何かきっかけがあれば観光ブームの地に
なるかもしれない。
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帰りは、東側に歩き、ちょっと広い通りに出れば、
ハートヤイへ帰るミニバスが拾える。

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また、ソンクラーでは、北方のタンクアンの丘に
チェンマイのドイステープのようなケーブルカーで登れば、
海と湖とソンクラーの街が一望できる。
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そしてそこから下り、東へちょっと歩けばサミラー・ビーチ。

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田舎風のきれいな海を見ながら、海鮮料理が食べられる。
イカの天ぷらがうまかった。

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ソンクラーでは、グラブでタクシーを呼んだが、
なかなか見つけてもらえず、しかもあまり安くない。
むしろ行きずりのソンテウを捕まえたほうが
安くて早かった。



ソンクラーは、見るもののあまりない街と聞いていたが、
けっこう一日楽しかった。
時間があれば、泊まるのもよい。


ハートヤイへ戻って、明日は、雨期ながら、天候も大丈夫なようなので、
マレー半島の付け根を西側に横断し、アンダマン海のリペ島に行ってみる。



(その5に続く)




# by ucci-h | 2019-08-15 22:56 | アジアのリゾート | Comments(0)
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅(3) ハートヤイというまったりした街
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅行記は、
その1では、チェンマイとハートヤイなどを含め
タイの大都市の人口比較に、
その2では、ソンクラー県が入り口になるタイ深南部
紛争の歴史を見るのに、パタニー王国にまでさか上って終えた。



ようやく3回目にして、現代のハートヤイ、ソンクラーの
街に入れる。


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ハートヤイは、タイ南部の大きな街だが、
人口構成的に面白い街でもある。
マレーシアに近いタイの南部なので、イスラム系の人が多い。
4人に一人がムスリムだと言われる。
そして、華人系。鉄道を起点に華人が作った商都である。


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ハートヤイは以前は小さな村だったが、1920年代、
タイの国鉄の南本線が建設されるにあたって、
物資および人の集散地として大きくなったという。
客家出の華僑、謝枢泗(しゃすうし)が、ハートヤイの
街づくりの立役者だった。



タイ国鉄の南本線は、バンコクのトンブリー駅から、
マレーシア国境に近いナラティワット県のスンガイコロック駅
まで、1143kmと長い。深南部の3県をまたいでいる。
北本線のバンコク・チェンマイ間751kmをしのぐタイの最長路線だ。

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バンコクから928kmのハートヤイ駅は、マレーシアと
つながる分岐駅となっている。
ハートヤイ駅から西南にわずか45kmで、マレーシア側の国境の駅
パダンブサールとつながり、ここからマレーシアの西海岸線を
930kmほど走り、マレー半島南端のシンガポールにつながる。

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チェンマイの駅が少し街の中心から外れた所にあるのに対し、
ハートヤイ駅は街の中心にある。
駅を中心に物資の集散地として栄えてきた街という感じがする。


ハートヤイの街は確かに、小バンコクと言われるように、
大きな街だが、工業立地が少ないせいか、
何か少し停滞した感じ、よく言えば古いタイの街が
残っているという感じがする。
レストランの冷房化率、通りの車の混雑度、10年前の
チェンマイといった感じだ。

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人口も増えていないのではないかと、少し統計を見たら、
ハートヤイ郡の人口は、2014年からここ数年減ってきている。
少なくとも、増えていないようだ。



しかし、旅行者にとっては、このゆったりした
やや古い感じが何とも言えない。
街中は、チェンマイと違って、歩ける距離だが、
なにかなつかしい昔日のにおいがする。
物価も、チェンマイには少し及ばないが、高くない。



ムスリムの人が多く、また華人文化の影響の多い街は、
中国風寺院が多く、モスクも見られ、多文化を感じさせる。
レストランでは、以前、マレーシアのコタキナバルで食べた
「バクテー」(骨肉茶)がおいしかった。
この町のバクテーの店は、ディムサム(飲茶)と一緒に出すので
物珍しかった。


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商都といった趣なので、特に観光名所はないが、
最後の日に、バイタクに乗って、街の北東6kmほどの
丘にある「ハートヤイ市民公園」へ行って、
町全体を展望することにした。


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しかしここで、思わぬ山歩きをさせられることになった。
ふもとの公園は、大きな池があり、市民の憩いの場所だ。
しかし、聞いていたケーブルカーの駅が見当たらない。
何人かに聞いて歩いて行ったが、ケーブルらしきものも見えない。



グーグルマップを見ると、山の上の方にケーブル駅とか出ている。
結局車道を汗をかきながら小一時間登って、頂上の見晴らし台に着いた。
ハートヤイの街が180度展望出来た。渡る風が気持ちよい。
ケーブルカーとは、ふもとから山へ登るものではなく、
頂上からもう一つの峰へ渡る最近できた山上のケーブルカーだった。
先入観が理解を誤らせた。


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下りの階段のわきには、鐘馗様や布袋様の
大きな立像が並んでいた。そして中国寺院。
ここは、やはり中華系の文化の地なのだ。

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ハートヤイに一泊した翌日には、
湖と海に挟まれた海辺の街、
ソンクラーに行ってみることにした。
ロットゥー(ミニバス)で1時間ほどで行ける。
ソンクラーも何もない港町と聞いていたが、
行ってよかった。



(その4に続く)



# by ucci-h | 2019-08-15 19:21 | アジアのリゾート | Comments(0)
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅(2) タイ深南部の暴動の根っこ
タイの深南部の暴動の根っこ


ハートヤイのあるソンクラー県は、タイの深南部3県、
マレーシアとの国境のパタニー、ヤーラ、ナラティワット3県への
入り口である。

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タイ深南部3県は、ソンクラー県の南部3郡とも合わせ、
今でも外務省の「渡航安全ページ」では、
渡航「危険レベル3の渡航中止勧告」地域になっている。

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今回訪れたハートヤイ郡、ソンクラー郡など含めた
大部分のソンクラー県も、「危険レベル2の不要不急の渡航は
止めてください」、になっている。


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今回、不要不急の旅行で行ってきたが、街は落ち着いていた。
他の都市より、空港や道路、デパートの入り口チェックが
目立った程度だ。バンコク(レベル1)の方が、よっぽど危ない。
だいぶ安全になったと肌で感じたが、外務省は保守的な
スタンスを継続しているのだろう。



実際、ハートヤイの街でも、2012年4月に町の中心にある
33階建てのリーガーデンズプラザで地下駐車場での
車両爆弾事件があり、3人が死亡、23人が負傷した。
それから7年たっている。



タイの深南部での反政府暴動は、2000年代に入って表面化し、
歴代タイ政府の頭痛の種だった。
最盛期は、2006~7年。年間770人以上、一日平均2.12人以上の
死者が出ていた。
タクシン政権末期から、プラユット・クーデター政権の頃である。



2004年から2015年までの12年間で、バンコクポスト紙によれば、
15,374件(一日平均3.5件)の反政府暴動が起こり、
死者6,543人(一日平均1.49人)、負傷者11,919人を出している。
最大の被害者は、タイ人側ではなく、現地に住むイスラムの住民たちであった。




タイの深南部は、13世紀ごろ成立したイスラム系の「パタニー王国」の地
であった。タイでスコータイ王国ができたころだ。
建国の君主であるスルタンのイスマイル・シャーが「パタ・ニー!
(土地の言葉で、この海岸!)」と叫んだので、パタニー王国になったそうだ。
スコータイ王国、続くアユタヤ王国へ朝貢していた。


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16世紀末から17世紀半ばまでの4女王の時代が
パタニー王国の最盛期。
中国への交易地として、華人の商人が増え、栄えた。
しかし、4代目の女王の死後、混乱期に入る。


そして、1688年、以前からマレー半島に眼をつけていた
シャムのアユタヤ朝(この世紀のはじめ、ナレスワン大王が
ビルマから覇権を奪回)に侵入される。
これが、現在のタイ領の始まりか。



1767年、アユタヤ朝がビルマの逆襲により滅びると、
パタニー王国も独立を取り戻すが、その後タクシン王が
ビルマをやっつけ、現在のチャクリー王朝(バンコクのラーマ王朝)に
つなぐと、1785年、再びシャムの傘下に入ることになる。



1826年に結ばれたイギリスとシャム(ラーマ3世)の「バーニー協定」
(英麺戦争下、対ビルマ協力)で、シャムは、イギリスにパタニー及び
北マレーの他の4州が自国のものであることを認めさせた(イギリスは
ペナン島を正式に獲得)。
イギリスは18世紀末よりマレーに食い込んでいたが、この2年前に
オランダとの協定でマレー半島を自国の植民地にしていた。



そして、現代タイの骨格を作ったラーマ5世(チュラロンコーン大王)に
よる19世紀末の中央集権制度化のもとで、この地の王も廃止され
シャムの1州となった。


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他のマレー4州(ケランタン、トリンガヌ、ケダ、ペルリス)は、
その後アヘン戦争などで力を増したイギリスとの
の「バンコク協定」(ラーマ5世晩年の1909年)により、
シャムの独立を維持すべく、イギリス領マラヤに割譲される。

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600年ほども続いてきたマレー最古のイスラム王朝であるパタニー王国も、
1902年に消えたわけだが、
この王国は、南のマレー領のクランタン州と言葉も共通で血縁もある。
いわばこのバンコク協定により国境で切り離されたわけであり、
これが20世紀以降のタイ離脱反乱の元となる。

中東などでもそうだが、大英帝国の勝手な植民地の国境の線引きにより、
その後に大きな禍根を残す例となった。


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第2次大戦の日本軍の英領マレーへの進駐が、この深南部反乱を
いっそうこんがらがらせることになる。

タイ、マレーへの日本軍の進撃に対して、
軍事力の少ないマレーのイギリス軍は、マレー人の
人力、インテリジェンスを活用しようとし、南タイの
反乱分子に約束する(タイは最初枢軸側日本に付いた)。
「英軍を助けてくれれば、戦後、タイ領からの離脱を手助けする」と。
1943年の“紳士協定”である。


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しかし、戦後、この約束は反故にされる。
文書のない口約束であり、しかも英国中枢の意思とは別の
現地の司令官との約束だったからと。
タイ領内のマレー人は、イギリスに裏切られたかっこうになる。



戦勝国側についたのに、イスラム・マレー人がその後も南タイ領から
離脱できなかった大きな背景は、戦後の東南アジアにおける
共産勢力の拡大があった。


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これを抑えるために、タイはマレーと対共産という協調路線を取り、
南タイのイスラム圏に対するマレーシアからの吸引は抑えられた。
もともと、マレーは連邦スルタン国家であり、首都クアラルンプールの
タイ深南部に対する意識は、マレー北部の州のそれに比べれば薄い。



1957年のマレーシア独立後、60年代~70年代と
タイ深南部でも自主独立の機運が盛り上がり、
武装組織も複数できて、分離独立運動が活発化した。
しかし、80年代以降は、タイ政府の軍を核にした処々の懐柔政策により、
安定していった。



これを壊したのが、2000年代初頭首相になったタクシン政権だった。
治安権限を軍から自分の出身である警察に切り替え、強硬策で
深南部に臨んだため、治安は悪化したといわれる。
イスラム過激派と結び付けたり、麻薬撲滅と絡めたりして
イスラム住民の反発を買った。



2000年代に日常茶飯事だった暴動が、
ここ数年、2016年以降、少なくなってきている。
死者数だけ見ても、以前の年平均545人以上から、
2016年116人、2017~18年も減少と、減ってきている。


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なぜか?
マレーシア政府も乗り出してきたことや、タイが
タクシン派から軍事政権になったことや、市内の検問が
厳しくなったことなどもあるが、
タクシン時代の挑発、強硬策のもたらした対立激化が
緩んできたからだろう。


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この先はわからないが、タイ政府もこの地への開発・投資を
活発化させる意向であり、2000年代の殺し合いは
当面下火になりそうだ。



タイの深南部の問題でその2は終わってしまった。
次回その3では、ハートヤイ、ソンクラーの現代を
記したい。


(その3に続く)




# by ucci-h | 2019-08-14 20:12 | アジアのリゾート | Comments(0)
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島、タイ南部への旅(1) タイの大都市比較

2019年8月はじめ、タイの深南部の入り口に位置する
ハートヤイ(日本ではハジャイと書かれることが多い)へ
行ってきた。


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ハートヤイは、チェンマイ(タイ北部)からバンコクをはさんで、
同じ距離ほど(ちょっぴり長い)南に行ったところにある。
チェンマイからバンコクまで直線距離で700km近くだが、
ハートヤイへは、バンコクからでも900kmあるという。

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合わせて1600kmほどの距離になるが、
日本列島で言えば、北海道の室蘭あたりから、
東京を経て、九州の佐賀市あたりまで行く計算だ。


もっとも、チェンマイからの飛行機でハートヤイまで
直通。2時間弱で行ってしまう。
ちょうど先月訪れたベトナムのダナンへ行くのと同じ時間で
行ける。



チェンマイもハートヤイもタイでは、
バンコクに次ぐ大きな都市のひとつに数えられるが、
実際どのくらいの人がいるのだろう?



タイの77の県のうち、主要県の人口ランキングを見ると、
首都バンコク府が突出して多い。

バンコク府だけで、現在推定900万人ほど。
近隣の5県を加えた首都圏となると、
1600万人と、タイ全土の現在の推定人口6900万人の
23%に及ぶ。

さらに経済規模で見ると、バンコク周辺部でタイ全土の
GDPの47%を占め、さらに拡大している。


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なお、首都圏の近隣5県とは、北から
パトゥムタニ、ノンタブリ、ナコンパトム、
サムートプラカン、サムートサコンの5県である。
いずれの県も人口は100万から200万人に及ぶ。


ややこしい県名だが、パトゥムやパトムは市、ブリは町。
タニは蓮の花、ナコンは最初、
海に面する2県のサムートは、太洋である。
プラカンは砦、サコンは湖だという。



バンコク府をタイの人口1位の府県とすれば、
2位、3位、4位、5位の県はどこだろう?


首都圏のその他の県では、
スワンナプーム空港のあるサムートプラカン県が210万人、
バンコク府の北のノンタブリ県が155万人、
さらに北のパトゥムタニ県が150万人、
首都の西方、第3の空港の予定されるナコンパトム県は110万人、
魚の街サムートサコン県は98万人ほどと多い。


なお、バンコクの東、パタヤ特別市(推定人口35万人)を
含むチョンブリ県(シラチャーなど30万人)も155万人を抱えるが
(やや北にある古都アユタヤ県は80万人ほど)、
ここはバンコク首都圏に近い。


バンコク首都圏を人口トップグループとすれば、
2位以下の地方の県はどこになるだろうか?



ここで候補に挙がってくるのが、
北のチェンマイ県、
北東部のナコンラチャシマ、ウドンタニ、コンケーン、ウボンラチャタニ
のイサーン(タイ北東部)のビッグ4。
南部のナコンシタマラート、ハートヤイ市を含むソンクラー県、となる。
現在の推定人口で探ってみよう。
地名によく出てくるナコンとは、サンスクリット語から来た市の意味である。



なお、市ではなく県単位で比べるのは、
チェンマイのように、市外が市に近く通勤圏になっているからである。

チェンマイ県全体では、175万人の人口になる。

チェンマイ県は、25の郡(アンプー)に分けられるが、
近隣の郡を含むチェンマイ都市圏だと、10年前は80万人ほどだったが、
今は115万人と100万人を超えるようだ。

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お堀の周辺の狭いチェンマイ市(ムワン)だけだと、25万人ほどだが、
例えば私の住むサンカンペーン郡(チェンマイの中心からわずか8km、8万人)
などを入れると、115万人ほどとなる。



チェンマイ県を175万人とすると、他の県はどうだろう?


人口200万人を超える第2位の県は、ナコンラチャシマ(コラート)である。
このイサーン地方への入り口の面積も最大の県は、人口260万人を超える。


第3位は、以外にもタイの東端、南ラオスと国境を接する
ウボンラチャタニである(バンコク首都圏を除く)。人口190万人。
第4位にも、東北部の大都市コンケーンが県人口180万人で入る。

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こう見てくると、イサーン地方(タイ東北部20県)は、
面積が広いだけでなく、人口も計2225万人と、
タイ総人口の3分の一を占める一大地方だとわかる。

もっとも経済は農業主体の貧しい地方が多く、
一人当たりの総生産額は、バンコク首都圏の6分の一しかない。
経済格差は広がっている。
各地への出稼ぎなどが多いわけだ。



そして、第5位に175万人のチェンマイが入ってくる。

第6位が、ラオスのビエンチャンに近いウドンタニで、
160万人。ウドンタニの意味は北方の町。ここもイサーンだが、
ベトナム戦争中、小パタヤとして米軍が駐在して賑わった街だ。

第7位には、フットボールが強い、ブリラム県。159万人。
ナコンラチャシマに近いここもイサーンだ。


第8位には、ナコンシタマラート(155万人)。ようやくタイ南部の県が出てきた。
今回行ったハートヤイのあるソンクラー県の北側の県。
かつて山田長政が左遷された南部の街だ。

第9位が、バンコクの東にあるチョンブリ、154万人。
第10位は、シーサケット、147万人。ウボンラチャタニの西側だ。
そして第11位が、今回行った人口142万人のソンクラー県となる。


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こう見てみると、バンコクを除いた10県のうち、
実に人口の多い6県が、タイ東北部、イサーンにある。
残る4県が、北のチェンマイ、中部のチョンブリ、
南のナコンシタマラートとソンクラー県ということになる。



チェンマイは第5位、ソンクラーは第11位となる。
繰り返すが、厳密な意味での都市圏の人口比較は難しい。
あえて都市圏単位で見れば、バンコクが900万人。
チェンマイが115万人。ナコンラチャシマも同程度だろう。
ウボンラチャタニの都市圏人口も100万に行くのだろう。
コンケーンの街も大きな町なので、これに近いだろう。


チェンマイ首都圏は、100万都市圏の一つで第2グループに
あるといってもいいのだろう。
ハートヤイはソンクラーと別の行政区分になるが、
合わせれば2つの町で60万人ほどになる。
100万人都市圏に次ぐタイ南部の中心地となる。


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ハートヤイのあるソンクラー県はちょっと変わっている。
県庁所在地は、人口の一番多いハートヤイではなく、海辺に近いソンクラーである。
ハートヤイ郡の人口は40万人。ソンクラー郡の18万人の倍以上ある。


ハートヤイは、「大きな浜」の意味である。
それなのに、ハートヤイは海辺から20kmも離れている。
海辺の町がソンクラーである。
もっとも、ハートは、浜ではなく、マハート(パンの木)がなまったものとの説がある。


ソンクラーという地名は、タイ正月のソンクランに似ている。
もっともタイ語で書けば、ソンクランは、クラがgraであるのに対し、
ソンクラーのクラは、khlaで違っている。ソンは一緒。



第一回目は、ソンクラー、ハートヤイへ入る前の
導入部として、タイの主要県の比較を行なった。
ソンクラー県は、5~6年前までは内紛の絶えなかった
深南部3県パタニー、ヤーラ、ナラティワットへの
入り口である。
深南部の危険度は減ったのだろうか?

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(その2に続く)


# by ucci-h | 2019-08-10 00:34 | アジアのリゾート | Comments(0)
ベトナム中部ダナン、フエへの旅(その3最終回.ミーソン遺跡、ホイアンへ足を延ばす)
ベトナム中部ダナン、フエへの旅(その3.最終回 ミーソン遺跡、ホイアンを経てダナンへ)


翌日3日目のフエは、午前中タクシーを雇い、
近郊の帝廟2か所と王宮を訪問した。


グエン(阮)朝は、ベトナムの南北を1802年に
実質的に統一した、最初でまた最後の王朝だった。
13代に及ぶ皇帝は中国の清同様に一世一元の元号を用いた。
大戦終戦の1945年まで143年間続いたが、最後の50年ほどは、
フランスの支配下であった。


第12代カイディン帝の廟はまさに大寺院風。
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フランス支配下のもとでの大きな建設だった。

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第4代トゥドゥック帝は、日本の明治維新の前後
36年の長きにわたり在位した。
元別荘だったと言われるだけに、トゥドゥック帝廟は池や緑も多く
散策するには一番いい場所だった。

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また、王宮もみたが、栄枯盛衰、またベトナム戦争の打撃もあってか、
今は見るものもなく、樹々もなく、
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入場料950円は、飯代に使った方が良い。


グエン朝は、19世紀初めに南北戦争に勝利し、
ベトナムを統一したが、
清の制度を採り入れ、中国風の皇帝を名乗り、
当初友好的であったフランスやキリスト教を排斥するようになり、
またシャムとの抗争も加わり、結局はフランスの植民地と
なっていった。

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1842年、清がアヘン戦争に敗れ、イギリスへの
香港のその後150年にわたる割譲を余儀なくされた。
当時の阮王朝は、鎖国、キリスト教弾圧を進め、
フランスに武力行使を余儀なくさせた。

1900年、清の西太后は列強に宣戦したが、
北京を占拠されてしまう。
阮はすでに第10代皇帝の時代だったが、
それ以前にすでに19世紀末、第8代皇帝はフランス軍に
捕縛されアルジェリアに流刑されるなど、
フランスの支配下となっていた。


グエン王朝は、19世紀後半、なぜフランスと
敵対する道を選び、結局は植民地とされてしまったのか。
儒教の広まりで攘夷思想が強まったのか。
タイの巧みな西洋との交渉が浮き彫りにされる。



4日目は、車で、南のミーソン遺跡、古い町ホイアンを
巡ってダナンのホテルに向かう。


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ダナンからフエまでは列車で行ったが、
帰りは、ミーソン遺跡とホイアンに寄りたいので、
タクシーをチャーターして行くことにした。

朝8時フエ発、夕方にダナンへ帰る予定だ。
料金は、ガソリン代含めて85ドル。
ベトナムは食事と足代が安い。
入場料などは高いが。

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ハイバン峠を越えて、ダナンの海が見えてくる。
その前の入り江の美しさを含めて、
列車より車の方が断然良い。

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入り江では、そこで採れる生ガキをおなかを心配
しながら食べた。一皿10万ドン(500円)と安い。
うまかった。このあたりは将来の観光地だろう。

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ダナンの街中を通り、途中五行山に登り、
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ミーソン遺跡を目指す。フエからつごう140kmほどか。
ミーソン遺跡に着いたら、珍しく雨が降ってきた
(じきに止んだが)。


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チャンパ王国の遺跡だというが、
敷地の中に、レンガつくりのヒンドゥーの神をまつった
祠がいくつか残っている。
世界遺産に登録されているというが、
アンコールワットやスコータイの遺跡に比べると、
いくつかのレンガの建物が並んでいるといった感じだ。

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ミーソン遺跡から、ホイアンを経て、ダナンへ。
ホイアンは、昔日本人町もあった古い港町だったという
ことだが、いまはこじんまりしたお土産屋通りといった
感じだ。
駐車場もみつからないので、さっと歩いて車へ戻った。

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ダナンへ着く頃は、すでに夕闇が迫っていた。
運転手さんは安全運転でゆっくり走ったので、
全部で10時間かかった。
1時間当たり1000円ほどと安かった。


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翌朝の飛行機でチェンマイへ戻る。
お土産は、海産物(干物)、コーヒー豆、
チョコレート、それとワインである。
瓶が割れないよう、丁寧に包んだ。


今回のベトナム旅行は、
ベトナムの人々のやさしさ、温かさに
触れたのが一番印象に残った。
食べ物もおいしく、安いので、ベトナムには
また行きたい。


最後に。
今回発見したのは、為替レートの違い。
ふつう、その国の空港に着いたら、その国のSIMカードを
購入するとともに、銀行で両替する。
空港の銀行は、まずは標準レートだからだ。


ところがベトナムは違った。
確かに、ダナンの空港に着いたとき、
SIMカード屋は空港内にあるのに、銀行は
建屋の外にある(3~4軒)。不思議だ。
ここでは、1万円が180万ドン。ちょっと円が安いなと
思ったが、今の相場なのかなと思った。


そして、フエの街中で円を両替したら・・・。
1万円が211万ドン。
あれ、違いすぎる。15%も空港では低かった。
あとでベトナムの人に聞いたら、空港では外貨は
安いとか。

次回、ベトナムへ行ったら、空港では両替しないで
(しても少額)、街中の銀行で両替しよう
(街中の両替屋はドルだけってほんとかな?)。


(その3、最終回おわり)
# by ucci-h | 2019-07-24 20:13 | ベトナム・フィリピン・ネシア | Comments(0)
ベトナム中部ダナン、フエへの旅(その2.フエで困った!!)
ベトナム中部ダナン、フエへの旅(その2.フエで困った!)



ベトナム中部の古都フエは、ダナンの北80kmほどに
位置する。すぐ北がベトナム戦争時代の北緯17度の軍事境界線
(フエからDMZ、非武装地帯へのツアーもある)。
フエは人口45万人ほど、ダナンの3分の一ほどの街だ。


ダナンの駅から鉄道に乗り、フエまで2時間少し。
鉄道の時刻表は変わりやすいから、直前にダナンのホテルでチェック。
朝は、8時過ぎの後は、10時発。2時間に一本ほど。
駅についたら、この列車の切符は「売り切れ」と最初言われた。
普通の切符は売り切れ。寝台車の切符ならある。


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下段が15万ドン(750円)、上段が19万ドン(950円)。
寝台車の部屋にはベトナムのおばさんがひとり居た。
上段の方が涼しかった!


列車は10時半ごろ出発。
途中は田舎の景色。建築中の家が多い。
山の上を越えていく。トンネルもあった。
寝台部屋と逆だが、右側通路側に海も見えてきた。

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12時半ごろになった。
そろそろ着くのかなと思っていると、列車は止まった。
アナウンスはない。
聞いてみると、フエだという。
あわてて降りた。


駅からホテルまでは3kmほどと近いことは地図で見ておいた。
街を旧市街と新市街に分けるフオン川(香河)のほとりにある。
駅前からタクシーに乗る。
ダナンと違って、グラブで捕まえられるタクシーは少ないようだ。
黄色いタクシーが数台停まっていたので、引かれてそのうちの1台に乗る。


さて、目的地にじきに着く。
小さなホテルなので、道端には看板しか見えず、
運転手への支払いはパートナーに任せ、念のため確認に行く。
これが失敗のもととなった。


ひとりでの旅行なら、必ず自分で忘れ物がないか
座席を確認する。
戻って、財布がないことに気づく。
タクシーはもう行ってしまった。

さて、困った。
知らない土地で、財布を車に置き忘れた。
現金だけでなく、クレジットカードや免許証全部入っている。
見つからなければ、この先、お先真っ暗だ。


幸い、道端にいた若者と緑色のタクシー運転手が助けてくれた。
「大丈夫!」と言ってくれるが、何の根拠があるのかわからない。
黄色い「Vangタクシー」だったことしかわからない。
運転手の名前も車体番号もわからない。

ただ待っていてもしかたないので、というよりいたたまれないので、
緑の運ちゃんにお願いして、幸い駅が近く、黄色タクシーが
何台かいたから行って、聞いてみることにした。
黄色いのが2台ほどいたが、30分ほど前に乗せたのが誰だったか
わからない。

運ちゃんの発案で、Vangタクシーの会社へ行ってみることにした。
英語のよくわかる係の人に伝えて、調べてもらう。
車がどこにいるか、女性の係の人が連絡してくれているらしい。


しばらくして、「戻ったよ」と言ってくれた。
半信半疑ながら、降りたところまで行ったら、
財布が戻っていた。
ラッキー。
同時に、旅人の難儀にずっと付き合ってくれた
ベトナム人のやさしい心に深く感謝した。


さて、川沿いの小さなホテルは居心地よかった。
午後、ホテルの部屋でゆっくり休み、
夕方は、フオン川の川下りで、4kmほど離れた旧市街の
丘に建つティエンムー寺まで行った。
7層の塔がベトナムらしかった。
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フオン川では、ダナンの海同様、川がきれいなのか、川で泳ぐ人が
夕方遅くまで見られた。
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なお、1963年、ベトナム戦争の前段階の
サイゴンで、ゴ・ディンジェム政権の仏教徒弾圧に
抗議して焼身自殺を遂げた当時66歳のティック・クアンドック師は、
ここティエンムー寺の住職であった。
ちなみに、ゴディンジェムは、その5か月後のクーデターで殺害される。

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また、南北軍事境界線に近い南側のこのフエの街は、
ベトナム戦争中の1968年1月のテト攻勢時の悲劇の街にもなっている。
この時ベトコンは、フエの民間人も含め、2000人以上を虐殺したといわれる


夜は、近くの市街地の中の評判の良い
セレーヌ・レストランで食事。
ホテルの中のエアコンの効いたレストランで、
コース料理が二人分30万ドン(1500円)弱で
味わえた。

4品すべて量もあり、おいしかった。
しかも従業員のサービスがフレンドリーで
とてもよかった。
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翌日の夕方も割引券をもらいもちろん再訪した。
ベトナムでも最高の店のひとつだ。

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明日はフエでもう一日、
グエン王朝の帝廟と王宮を訪ねてみる。



(その2終わり)



# by ucci-h | 2019-07-24 19:23 | ベトナム・フィリピン・ネシア | Comments(0)
ベトナム中部ダナン、フエへの旅(その1. 発展する大都市ダナン)
ベトナム中部ダナン、フエへの旅(その1. 発展する大都市ダナン)


3度目のベトナム。
2019年7月にベトナムへ行ってきた。


ホーチミン(サイゴン)へ行ってから、9年、
首都ハノイへ行ってから2年ぶりになる。
今回は中部のダナンと古都フエへの旅である。

我が家のあるチェンマイからは東へ直行で2時間弱、
国内旅行並みの近さである。


ベトナムのことは以前いろいろ勉強したから、
今回は気軽な観光旅行。
日本から直行便もできたというダナンの町の発展ぶりは
どんなものなのだろうか?


ホーチミンへ行った2010年は、ベトナム経済が
荒れていた頃だ。
「ベトナム経済・食べ物紀行(その1) 驚きの連続 」
https://uccih.exblog.jp/12240580/

高いインフレ率と経常赤字などで、通貨ドンが大きく
値下がりしていた時期だ。

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1万円が200万ドンにもなり(1万ドンが50円にも)、
何ともベトナムでの物価が安く感じられ始めた時だ。
2011年末には、1万円=270万ドンにまでドンは下がり、底打ちした。


しかしその後の物価の落ち着きや経常収支の黒字化により、
ベトナムの通貨ドンはここ10年近く安定してきた。
2015年前半には1万円=180万ドンまでドンが値上がりし、
ここ3年ほどは、1万円=210〜220万ドンとなっている。


今回の旅でも、1万ドンが50円で買えるということは、
チェンマイに比べてもお買い得な国になっている
(タイの通貨バーツは観光収入の増大を背景にアジアの中でも強い)。


ダナンは、人口100万人を超える(125万人)ベトナム
第5の大都市だ。①900万人のホーチミン市、②800万人の
首都ハノイ、③200万人のハノイに近いハイフォン市、
④160万人のメコンデルタのカントー市に次ぐ。
今ベトナムでも有数の開発の進む中部の中心都市である。

ダナン空港は、2年前にできたモダンな建物。
午前中の到着客で混んでいた。


大昔はヒンドゥー教をいただくチャンパ王国(2~15世紀)の
中心地。イスラムと中国を結ぶ交易中心地だったという。


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長い東側の海岸沿いには、今は多くのリゾートホテルが
建設中だ。
ダナンの海岸と言えば、ベトナム戦争初期1965年3月に
アメリカが海兵隊3500人を上陸させた所だ。
そして今の空港の所に北爆のための空軍基地を設営した。

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ダナンは、またベトナムの主要都市の中でも
海外からの投資が増えている商業圏だ。
「強力に躍進するベトナム中部の中心都市ダナン」
https://uccih.exblog.jp/13426325/

実際街の様子を見れば、ホーチミンやハノイよりも
地理的に発展余地が高いように見える。
中国からの移転先として投資が増えていよう。


ダナンは港湾都市。
長い海岸線がすぐなので、海鮮料理がうまい。
ベトナムは、チェンマイから見ても物価が安い。
ワイン、ベトナム料理、フランスパン、コーヒーが
安く手に入ることが一番の魅力だ。
おいしく安い料理を食べて、おみやげにワインと
コーヒーを買ってくるのがベトナム旅行の楽しみである。


ベトナムは暑い国である。
この7月は、チェンマイはすでに5月から雨期に入っており、
やや涼しいが(今年は雨が少ないが)、ダナンは暑い。

ベトナムは南北に長い国で(南北1650kmと言われる。
日本4島の弓状の長さに近いか。タイは南が長いのでもっとある?)、
気候も、常夏の国に変わりはないが、北部、中部、南部で違う。

雨期は、ハノイ、ホーチミンは、チェンマイと同じく5~10月の
半年だが(ホーチミンの方が雨量は多い)、中部ダナンの
雨期は9~11月に集中している。
今回、ダナン、フエがまだ暑かったわけだ。


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ダナンではおいしいベトナム料理、海鮮料理を食べ、
海岸を散策した。
大都市なのに海岸の砂と海がまだきれいなので、
夕方まで多くの人が海水浴をしていた。

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明日は、鉄道でベトナムの南北の境になる
ハイバン(海雲)峠を越え、古都フエへ向かう。

(その2に続く)



# by ucci-h | 2019-07-24 13:57 | ベトナム・フィリピン・ネシア | Comments(2)
写真の全整理とチェンマイ紹介スライドショーの作成

PCを買い替えたのを機会に
たまった写真の整理を試みている。



写真は何千枚とってあるが、
ほとんどは、構図が悪かったり、光が不十分だったり、
はたまたピンボケだったりで、多くは要らない写真だ。
ただ、念のためないしは面倒だから取っておくことが多い。



今回は、全部に目を通し、
次のように、4段階で整理することにした。



① 要らない写真は惜しみなく積極的に削除する。
それでも、未練が残るものが多いので、4割ほどの削除にとどまったか?
残るは6割、6千枚ほど。



② 積極的に取っておきたい写真、構図がいい、光がきれい、
思いで深い場面など、今回はチェンマイでの過去16年間ほどの
いい写真(東南アジア各地も含めて)を選抜する。
1000枚ほどになった。



③ 残る5千枚ほどは、リムーバブルHDD(容量300GB)に残す。
ここで、リムーバブルHDDの大容量が助かる。
写真1枚が3MBとしても、5千枚で15GB。5%だ
(実際は、その他のファイルもあるので、50GBを食っているが)。
これは、徐々に削っていくと同時に、いずれ「日本でのいい写真選」を
ここから選んでいこう。



ここで、リムーバブルHDD及びグーグル・ドライブほか
クラウド・バックアップの容量を比較しておこう。

1.クラウドではないが(紛失するリスクはあるが)、
リムーバブルHDDが300GBで断トツ。
ともかく写真も含めこの大容量に入れておくと便利だ。

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2.グーグル・ドライブが、クラウドの中では、
容量15GBで最大。
現在いろいろな大きなファイルを入れて、5.2GBを使っているが
なお余裕がある。

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2-5.さらにグーグルにはグーグル・フォトが付いている。
無料で無制限、写真をバックアップできるからいい。
無料版だとある程度圧縮されるが、そう品質が落ちるわけではないので
便利だ。写真は全部これにバックアップしておく。

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3.マイクロソフトのOne Drive。容量は5GB。
中途半端な容量だが、写真を除く、文書のバックアップに使える。

4.文書の保存と言えば、Drop Boxがある。容量は
無料のベーシック版で2GBと小さい。
One Driveと、文書保存で共用する。

5.なお持ち運びに便利なUSBメモリー。
自分のものは、1GB容量。ちょっとデータを移すのに使っている。



話が、メモリー、クラウドの容量に飛んだが、
写真の整理のキモは、今回選び出した1000枚のチェンマイ及び
東南アジアの写真集の作成にある(1000枚はなお減らせる)。



PC上で、スライドショーで見てもらうのが一番いい。
ただし、ウインドウズ10では、写真が好きな順に動かして
並べられない。
数字、アルファベット、日本語の順に自動的に並ぶ。
そこで一工夫が必要になる。
写真の頭に数字のタグをつける。
頭の00から99までで、100種のタグが付けられる。
00は表紙関係、01は水掛祭り、02は花公園などなど。
99は、今回は使わない写真の倉庫。



00の後は、01から99までで、99枚の写真を
各カテゴリーに入れられる。9,900枚もの写真スペースは
十分なキャパシティーとなろう。
逆に言えば、そんなに多く取っておくことはない。


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さて、0001から始めて、0600のタイのフルーツまで来たぞ。
苦行ではなく、楽しみとして完成させていこう。
題して「チェンマイ紹介スライドショー」。
完成した時は、1000枚を割っているかな?

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# by ucci-h | 2019-05-10 16:25 | アジア的な生活 | Comments(0)
タイの新国王の戴冠式と日本の新天皇の即位式が期せずして同時期に

期せずして、2019年5月初め同時期に、タイ新国王の戴冠式と
日本の新天皇の即位式が行われた。



タイの新国王ラーマ10世の戴冠式は5月4(土)~6日(月)と、3日間かけて
行われた。式と行列と参賀が、折からの国花ラチャプルックが黄色に咲く中で、
王室のカラー黄色一色に包まれて行われた。

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前国王ラーマ9世の逝去から2年半も経っているし、
日本の前天皇退位による引き継ぎ同様、暗い面はなく、華々しく行われた。

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日本の新天皇の即位式も5月4日だった。
ただ日本の皇室の場合、パーティや行列は、秋10月に行われるようだ。

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報道の仕方にもよるのだろうが、日本の新天皇就任は
国民から暖かく迎えられた感じが出ていた。
タイの場合、やや控えめな淡々とした報道の感がした。

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なお、新国王は、戴冠式の3日前、以前から付き合いのある
スチダーさんと正式に結婚したと伝えられた。
スチダー王妃となる。二人の間に子供はない。
# by ucci-h | 2019-05-08 22:17 | 日本・米国・欧州 | Comments(0)
  

北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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