上座部仏教の国に暮らして、感ずることをキーワードにして連載してきましたが、これでおしまいです。
最後は、タイらしく、地上最強で、最もやさしい動物、チャーン(象)さんに登場願いましょう。
象と言えば、ここ北タイは、象の本場です。チェンマイのすぐ北、メーサでは、象のショーが見られます。あの大きなお鼻、じゃないお口で絵筆をとって、繊細な花の絵を描くのを見るのは、なかなか感激ものです。
昨年夏、「ねえ、チェンマイって何か面白いものあるの?」と期待をせずに来た下の娘が、帰る時は、「また友達と来るわ!」と喜んでいたのも、あの象さん達の鼻にやさしく巻かれたからでしょう。
メーサ以外でも、北に行けば、チェンダーオに象の訓練所がありますし、南に行けば、ランパーンに象の病院もあります。
象はやさしい動物です。
数年前、私の友人でタイ好きの男が、よせばいいのに、鞍なしの象、しかも象使いが乗る前方に乗って、落ちてしまいました。
結構高い所からです。肋骨と腕を折っただけで済みましたが、その時の象さんの反応です。
あの優しい目にうっすらと涙を流し、彼を慰めてくれたそうです。
やさしいですね。
日タイ合作映画、象使いを目指した日本の少年の物語「星になった少年」を思い出します。
北タイの象の森が美しく描かれていました。
上座部仏教の経本の中にある「森の中の象のように一人歩め」とは、どういうことでしょう?
象は強いので、森の中でも一人、いや1頭でも臆さず、堂々と歩んでいきます。

仏教で言っている意味は、以下のようなことです。
けっこう人間の器を大きくしないと、象のように歩めそうもありません。
人は、柔軟な心を持ち、物事にとらわれず、世の中で言われることを鵜呑みにせず、自由な気持ちで生きるのが最高であると説かれます。
でも、世の中周りはそういう人ばかりではない。むしろ、そうじゃない人が多い。するとそこから軋轢が生じ、自由な心で生きづらくなります。多少は周りに合わせなくてはいけません。そうしないと、KYなどと意味不明な事を言われます。
ここで、どう考え、どう行動するかです。
何かをするにあたって、人の賛同を得て、同じ方向に歩めればいいですが、そうじゃない時どうするかです。
ふてくされるか?皮肉屋になるか?さみしく思うか?怒るか?
いずれにせよ、良き感情が生まれにくいシチュエーションに陥ります。
ここが人間の器を試される時です。
上座部仏教は、怒ることはもちろん、饒舌だったり、皮肉ったり、品の悪い言動を戒めています。
これらの言動は“悪”なのです。なぜなら、仏教にとって、人間を不幸にする言動が、悪と定義されるからです。
人は人。自分は自分。時には、和して同ぜず。
堂々と、森の中の象になったつもりで、自分の心に忠実に生きたいものです。
義理がある、しがらみがある、相手の顔が立たない、その場の空気が許さないと言った、世間体ばかり考えていると、自分が結果、“悪”人になってしまうだけでなく、世の中も良くならないでしょう。
森の中の象のように一人堂々と、歩みたいものです。
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最後に付け足しを。
大河ドラマ「篤姫」には、「刃を突き付けたら、別の所から刃が出てくるぞ」など、いい言葉がたくさん出てきますね。
あの篤姫のストレート直球勝負で、人生を生きたいものです。
(おしまい)


