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シアヌークが種をまいたカンボジアの悲劇、今の国王は?
王様の国は、その王様の力で国が左右される・・
中世の話ではない。戦後の話である。
東南アジアのタイとカンボジアは共に立憲君主国だが
その状態はあまりにも違ってしまった。

タイが、悲劇の兄アナンダ王を戦後引き継いだ
名王プミポン国王(ラーマ9世)が、戦後のタイを
ここまで持ってきた。

これに対し、隣国カンボジアでは
優柔不断の王シアヌークが、カンボジアの独立こそ
守ったが、国内、そして自分自身の大混乱とその後の悲劇を
もたらしたと言っても過言ではないだろう。

戦後のシアヌークを軸とするカンボジアの
歴史を簡単に振り返ってみよう。

もともとが、カンボジアの両王家(ノロドム家とシソワット家)の
争いから、両家の血を引くシアヌークが1941年、18歳で、
フランス総督の御し易さから、パペット的に王位に就いた。

戦時中、日本軍の進駐によりフランス軍が追い出され、
最終的に1953年、新生「カンボジア王国」の独立となる。
ここで、独立の父として王位について、国を見ていればよかったのかも
知れないが、1955年、父に王位を譲り、退位して政治家になってしまう。
ここらへんの32歳時の意識がよくわからない。

社会主義政党をつくり、政権を握り、
50年代後半から60年代の東西冷戦の中で、「王制社会主義」を標榜し、
対外的には中立を守り、ベトナムのように外国に侵されることなく、
独立を守り、外国からの援助を引き出した。

イソップ物語のこうもりのようであるが、冷戦時、この対応は
評価されるのかもしれないが、王制で社会主義という概念も
よくわからない。王位を譲った父王が60年に亡くなった後も、
王位は空位としたままだったから(自分は殿下で国家元首)、
王様だったのに、王制を軽んじていたとしか見えない。

シアヌークが種をまいたカンボジアの悲劇、今の国王は?_d0159325_1229562.jpg

しかし国王という中立的な地位を捨て、一政治家となったため、
国内の政治対立に巻き込まれ、左派の弾圧から、のちのポルポト派の
ジャングルでの結集を、結果的に作り出してしまった。

ベトナム戦争中の70年、アメリカのバックによるロン・ノル将軍の
クーデターで、外遊中に追放される。表面的には、中立主義だったが、
カンボジア領内にベトコン基地やホーチミンルートの存在を許し、
容共派と見られてしまったためだ。

一方で、社会主義派のポルポト達からは離散され、シアヌークは
本筋の社会主義を目指したのではなく、便宜的に社会主義を用いたように
見えるが、よくわからない。

ロン・ノル政権になってから、カンボジアの悲劇は始まる。
米軍にカンボジア領土の空爆を許し、多くの農民が犠牲になり、
農業国カンボジアの農村は破壊された。

このことが、今度は75年のポルポト派のクメール・ルージュによる
全土制圧につながった。北京にいたシアヌークは、お互いを嫌いながらも、
中国の口ぞえで、表面的にポルポトと手を握り、これの暴挙を助けてしまった。

クメール・ルージュは、社会主義的農村回帰を唱え、
都市の知識層を殺害し、5年間たらずで、170万人の国民が亡くなった。
シアヌークは、国家元首としてポルポトに迎えられたものの、
プノンペンの王宮に幽閉同然の身となり、多くの子孫も他の都市市民と
同様、農村に追放され、また19人の子孫が虐殺された
(シアヌークは、6人の妻と多くの愛人を持っていた)。

1979年、ベトナム軍の侵攻により、クメール・ルージュは
追放される。80年代は、国内派とベトナム派の対立が続いたが
(もはや、56歳の国家元首として国をまとめる力がなかったのか?)、
93年、国連の仲介で総選挙が行われ、憲法が定められ、
タイと同じ「立憲君主国」となり、シアヌークは70歳で再び国王となった。
しかしその後の実権は、もちろん、97年のクーデターで権力を集めた
現フンセン首相にある。

とはいえ、立憲君主制となり20年近くが経つが、カンボジアは名ばかりの
君主国となっている。今は、フンセン首相が、実質的な‘王様’だ。

2004年10月、シアヌークは82歳の誕生日を前に、
国王の座を、第6婦人との間の息子のシハモニ王子(当時51歳)に譲っている。
名前は、シハヌークと妃モニニヤットを足したものと言われる。
シアヌークが53年に東京へ行っていた時生まれたので、
‘トキオ’の愛称で呼ばれ、父王に最も可愛がられたという。
息子の新国王には何を託したのだろうか?

シアヌークが種をまいたカンボジアの悲劇、今の国王は?_d0159325_12254082.jpg

悲劇は続いている。
その新国王、現在のシハモニ国王はどうしているのだろうか?
最近の情報によれば、現在58歳となった独身の王は、ひとりプノンペンの
王宮に監視付きで、幽閉状態だという。

パリに20年居て、ダンス、バレーの先生だった
この寡黙で、優しい王は、書類に署名し、賓客を迎えるほかは、
ひとりで食事し、読書していると言われる。

かつて、父王シアヌークの全盛時代には、誕生日となれば、
王宮に花火が上がり、お祝いの人々で賑わったのとは異なり、
彼の誕生日5月14日は、注目されず過ぎていくという。

2000年近くさかのぼるカンボジアの王家は、
シハモニが、「絶やしてはならない」と父から頼まれ、
いやいや継いだものだが、このままでは最後の王となりそうである。
88歳となり、がん治療を受けていると言われるシアヌークは、
息子の状態をどうながめているのだろうか?
by ucci-h | 2011-06-02 12:31 | ミャンマー・ラオス・カンボジア | Comments(3)
Commented by くんたれ at 2011-06-03 13:05 x
国王を抱く社会主義とは、つまりNAZISですね。
Commented by ucci-h at 2011-06-04 11:48
くんたれさん 王制社会主義で共産国に近づいた・・。当時の政治哲学がよくわかりませんね。そんなものなかったのかな。
Commented by hruvmoosz at 2023-10-03 18:57 x
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