絶対君主制を倒し、立憲君主制に移行してから
80年がたった。
タイの社会は変わったのだろうか?
民主主義は本当に定着したのだろうか?
タマサート大学の元学長で、歴史学者の
チャーンビット氏が、今年の6月、ポスト・トゥデイ紙に
過去80年で何が変わり、何が変わらなかったかを
分析してくれていた。
掲載し忘れたので、ここにまとめておこう。
以下は、彼の見方である
(例によって、カッコ内は筆者のつけたしである)。
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1932年のクーデターを起こした「市民グループ」
(と言っても、若手将校などが主役だったが)の
マニフェストには以下のような点が挙げられていた。
1.政治的、司法的、経済的独立を維持する
(タイは東南アジアの植民地化の動きの中でしのいできた)
2.犯罪を減らし、国内の治安を維持する
(今、最南部を除けば、治安のいい国である)
3.経済発展を図り、政府はすべての市民に仕事を見つけてやる
(現在の失業率は1%以下。政府が見つけてやっているかは別にして、
西欧のように失業者は溢れていない。求職者も少ないが・・)
4.市民はみな等しい権利を持つ
(これは80年たっても言葉だけになっている)
5.市民に統合的な教育を与える
(教育は行き渡っているが、質が問われている)
80年を振り返ると、タイの民主主義は、軍の専制、表面だけの民主主義、
花開いた民主主義、資本家的民主主義と、形を変え、変遷を重ねてきた。
チャーンビット氏は、タイの揺れて流れてきた民主主義を
以下のように分析している。
過去80年、保守的な力が強く働き、社会の変化を押しとどめる
大きな働きをなし、タイの民主主義は、市民の権利や平等が
なお達成されていない“うわべだけの民主主義”のままである。
過去10度変わった憲法のいずれにおいても、市民の権利は
唄われているが、ダブル・スタンダードが現に存在しており、
階層によって得られる権利は異なっている。
国内の対立はしばしばだが、しかしその中身は変容している。
今まではエリート同士の争いだったが、ここにきて草の根レベル
的な闘争が出てきている(赤シャツ対黄シャツなど)。
以前の闘争はエリート同士の争いだったから、
一般市民は傍観するだけだったが、今は、彼らも加わっている
(その通りだが、赤シャツ隊の動きを見ていると、階級闘争というより、
不満に目覚めた赤シャツサポーターを糧にしたタクシン派対民主党派
といった依然エリート集団同士の争いにも見えるが・・)。
タイの有産階級はいつまでも金持ちで、無産階級はいつまでも
這い上がれない(または、這い上がろうとしない)構造は、
累進課税や資産課税がないことにより維持されている。
もっとも、現在の赤シャツ隊の活動を見ていると、
無産連中も今のままで甘んじていない動きが出てきている。
舗装道路のない田舎にも今やインターネットを見られるわけで、
無産階級=無知識階級とみなすと、いずれとんでもない目にあうだろう。
立憲君主制(国王を国の頂点に置く民主主義)は、
その名が示す形で、権力者にたくみに利用されがちである。
2006年で軍によって作られた憲法は、多くの市民に
受け入れられるものではなく、修正されるべきだろう
(立憲君主制だから、憲法の決まりを変えることによって、
為政者は権利をうまく留保できる)。
もうひとつ、不敬罪の規定と運用も変えるべきだ
(君主制だから、言うまでもなく国王を立てない言動は
きつく糾弾される。精神は別にして、これを政敵を陥れるために
頻繁に使われるようになってきている)。
共産主義の脅威が過去のものになった現在、不敬罪のレッテルが
一番政敵を落とすのに、効きやすくなっている。
英国など欧州の王国を見ても、タイほど厳格に適用している国はない。
社会の平等が成り立っていないとすれば、
議会で政党がなぜこれを是正できないのか?
議員は、選挙民の代表と言うより、その出身社会階層の
代表となっているからである
(これも旧来からの伝統か、タイではエリートが政治も行政も
引っ張って行ってやらなければならないとの意識が非常に強い。
もっとも、自分たちのためにとなりやすいが)。
現政権は、農民、無産階級が多い赤シャツ隊の代表と
言えるわけでもないだろう(確かに、タイ貢献党は、
赤シャツ隊のサポートで多く議員を送り込んだが、
その後の政策が必ずしも低所得者のためとも見えない)。
少し兆しも見え始めたが、将来赤シャツ隊が、タクシン派を
離れていくこともありえよう。
タクシン派は必ずしも自分たちの利益のために政治を
やっているわけではないと気づくかもしれない。
立憲君主制80年を経て、経済的には
躍進してきたが、市民の権利、平等となると、
いまだ浸透していないようだ。
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私見ですが、国が経済的に発展している間は、
階級闘争的な争いは大きくならないように思えます。
低所得の人たちも施されるからです。
いつかどこかで、経済的に行き詰まったとしたら
そうも言っていられないでしょう。
雛が孵るのに「啐啄同時(そったくどうじ) 」と言う言葉が
あるが、タイの民主主義が根付くには、リーダー達の外からの
改革と同時に、国民の中からの意識の目覚めがなお必要なのだろう。
規則で押さえ付けるのとは別に、他の方法もあるのですが、誰も教えないようですね。つまり徳で導く方法です。
陰日向なく民衆のために骨身を砕く、自分の事は後にして、困った他人を先にするんですよ。罰なんて無くったって問題ありません。
でも、厄介な事に、この方法には苦痛を伴うんですよねー。損得抜きにした理想と根性を必要とするんですよね。身も心もボロボロになるかもしれない、でも、民衆は永遠の忠誠を誓うでしょう。
間違っても、自分たちのレジャーやショッピング等で、大名行列のために、通行止めで交通麻痺なんてことは、言語道断です。
働く民衆に迷惑を掛けないように、待つ。
それが徳治政治の第一歩だと思います。
王様という錦の御旗がないとまとまらないけど、経済よければマイペンラーイ。悪くなればデモして、飽きたら帰って昼寝。これがタイ人。乞食にはどうやっても勝てません。