イナメナス天然ガス・プラントに対するアルカイダ分派によると
見られる襲撃が1月16日(水)に発生した。
{なお、この記事はいまだ不明な点も多く残る事件に関する
コメントですので、事実と離れるかもしれない推測部分があることをお断りしておきます。}
19日(土)に収束するまでの4日間に、ご存知のように日本人10人を
含む37人以上の人質と、29人の襲撃者が犠牲になると言う
痛ましいものだった。最終的に犠牲者は66人か、80人を超えるのか
なお不明だ。
日本人の犠牲者には中年以上の男性が多いが、
ひとり29歳の若い人も含まれ、可哀想に思われた。
筆者自身も若い頃、アフリカの地に駐在し、資源開発の仕事に
携わったので、他人事と思えない。
日本の報道を見ると、あくまで日本人中心の、しかも情緒的な面
ばかり報じられ、全体像や、事件の背景、核心につながるものが
少なかった。
最後のご遺体とともに帰国した外務政務官も、「錯綜した情報に
翻弄され、情報収集に困難を極めた」と言っていた。
軍を背景としたブーテフリカ独裁政権の国では、情報は極めて統制されている
ことに加え、首都アルジェから1300kmも離れた遠隔地での事件だから
確かに、情報の把握は難しかったのだろう。しかし、しかしである。
今回の事件の情報の最も正確で早い発信元は、アルジェリアの
西南に隣接するモーリタニア(人口330万人)の首都ヌアクショットの
通信社「ANI」のサイトだったと、AP電は伝えている。
16日に事件が発生した直後、ヌアクショット情報通信のサイトには、
今回の首謀者であるマグレブ・アルカイダ分派の「マスクト・ブリゲード」
(覆面旅団)は、41人の人質を取ったと、事実に近いことを載せている。
その夜の、アルジェリア内務相の発表は、「20人が地元のテロリスト・グループに
人質にとられた」と、今となっては少な目の数字を発表していた。
カナダ人はじめ国籍別の内訳も、政府が伝えたのは数日してからだった。
ANIは、アルカイダ系の通信社でも、サイトでもない。
武装勢力にも、宣伝を含め、投稿できるようにさせ、もちろん
政府系にも掲載させている。
つまり、武装勢力は、ここを使って要求・ネゴを呼びかけられるような
仕組みにしているようだ。
当事者からの情報提供が、従って早い。
昨年12月、マグレブ・アルカイダから袂を分かち、覆面旅団を立ち上げた
今回の襲撃事件の首謀者とみなされる“マルボロー”と呼ばれる(タバコの密輸を
多くやっていた)モクタール・ベルモクタールは、ANIによると、
率直な物言いの男で、ほぼ事実を矮小化せず伝えてきていたと言う。
最大の悲劇は、翌日1月17日(木)に起こった
アルジェリア軍ヘリによる居住区への爆撃と、人質を乗せ
プラントへ移動しつつあった武装勢力の車両への本格的攻撃であった。
これにより、35人の人質と、11人のテロリストが殺害されたとANIでは伝えられた
(もちろん、前日の襲撃時にテロリストにより殺害された人もいたかも知れないが)。
政府が最後に認めた数と近い。
アルジェリア政府は、人質救出より、今後のことを考え、
武装勢力撲滅が優先だったろうから、
多くの人質が犠牲になったようだ。政府は、「武装勢力は車で人質を連れて
逃げ出すところだった」と言うが、実際は、より防御のしやすいプラント施設へ
移動するところだったようだ。
今から2年前、2010年12月にチュニジアで火を噴いた「アラブの春」は、
チュニジアから、2011年に入ると同じ北アフリカのアラブ・マグレブ主要国の
エジプト、リビアに広がり、ムバラク独裁体制が倒れ、10月にはカダフィが
殺害された。
北アフリカで、何とか現政権を維持させているのが、それ以外の
アルジェリア、モロッコ、モーリタニアということになる。
そして、アルジェリアの南のやはりイスラム圏のマリでは、
AQIM(マグレブ・アルカイダ)の勢力拡大を封じようと、フランスが
介入し、きな臭くなっている。
2年前に起こったアラブの春は、今や「武装勢力の春」に
転化し始めているようだ。
「最近では、世界の石油・ガス施設は、週に平均3回も攻撃を受けている」
と、ウソか本当か知らないが、ワシントンの安全保障会社は言っている。
サウジアラビアの油田は、35000人に上る特別警備隊で守られていると言う。
北アフリカは、石油・天然ガスの産地である。
また、北アフリカ独裁政権諸国は、かつて軍備を増やしてきていた。
ことに、リビアのカダフィ政権の崩壊によって、
兵隊の数が予備役を入れても12万人に足りなかったのに、武器だけを90年代
せっせと溜め込んできたこの国の武器倉庫が混乱の中で解放され、
たがが外れた形で、武装勢力にどれだけ渡ったのだろうか?
「CSIS」(戦略国際研究センター)の調べによると、
2010年時点で、リビアの装甲車・戦車の数は、人口が5倍以上の
アルジェリアのそれらの数を上回っていた。
2012年9月、ベンガジの米領事館が攻撃され、
米大使など4人が殺害されたが、そのときの攻撃の模様は、
抗議のデモや爆弾テロなどと言う生易しいものではなく、
ロケット砲を使った本格的な“戦争”だったと、ワシントンでは
後日、認識を改めていた。
アルジェリアのイナメナスでの襲撃事件では、
2002年の3.11以来の多くの日本人の犠牲者が出てしまった。
悲痛なことだ。でも、時代はまだまだ不安定だ。
今回、英国のBP社は、18人のうち14人を救えたと言っている。
日本政府も、今後は一段レベルをアップさせた
海外の情報収集と、武装勢力の把握に努めてもらいたい。