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ひまわり満開の山と日本兵の遺跡を訪ねて(1/3)
チェンマイから近くて遠いメーホンソン。
北タイの地図を見ると直線距離で、チェンマイの
西北西100kmもないメーホンソンだが、遠い。

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メーホンソンの街は、東西の山に挟まれた盆地にある。
東側の山なみの南には、タイで一番高い
標高2565mのドイ・インタノンの山があり、
メーホンソンの西側はミャンマーとの国境の山々だ。


このビルマ文化圏の山あいの街に行こうと前から
思っていながら、毎年交通の不便さを理由に
逃してきた。


@@@@@


しかし今年は、11月下旬の‘ひまわり満開の山’に
標準をあわせて、2泊3日のドライブ旅行で行ってきた。
結論から言うと、こんなにいい田舎町はタイでも珍しく
とても気に入った。

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テーマは、「ひまわり満開の山と日本兵の遺跡を訪ねて」
だったが、同時にメーホンソンの街自体とその郊外も
豊かな自然の中でゆっくりした時間が流れ、最高だった。


特に、最近はチェンマイの街には車、住宅が増え、都会化した。
山を越えて行くと、時計の針が数十年戻った別世界だ。
メーホンソンの街中は歩いて回れるし、車も少ない。

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人々はゆったりとしていて、親切で優しい。
70年前、日本の兵隊がこの街にやってきたときも
親切で優しい人たちと出会ったと手記などには書かれている。


戦時中、メーホンソンの街の67km南にあるさらに小さな
クンユアムの村に、ビルマへの進攻路を求めて、
5千人以上の日本兵がやってきたのだ。


@@@@@


タイの最北西部に位置し、ミャンマーと国境を接する
メーホンソン県は、タイの77の県のひとつだが、
人口はわずかに22万人ほどと言われる。


県庁のあるメーホンソン市で4万人、北タイの‘シャングリラ’として
旅行者に人気のパーイでも3万人、旧日本軍に関係の深い
クンユアムも2万人と、山と森林に囲まれた、人の少ない県である。


住んでいる人は、国境の街だから(もともとは国境いなどなかった)、
ミャンマーのシャン州に多いタイヤイの人が多い。
シャン族はミャンマーでの用語で、シャム(タイ)がなまったものだし、
タイヤイ族は、大タイという意味だから、広い意味ではタイ系民族である。

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ちなみに、他民族国家ミャンマーで、ビルマ族に続いて多いのは
シャン族(300万人前後か)で、カレン族がこれに続く。
メーホンソンにはカレン族も多いという。


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チェンマイからメーホンソンへ行くルートは
北回りと南回りがある。


北回りは、パーイを経由してメーホンソンまで行く1095号線だが、
距離は南回りより短いものの(全長241km)、日本軍が作ったこの
山岳道路は、カーブとアップダウンの連続で、きついドライブ・コースだ。


メーホンソンの街のナイト・マーケットやお土産屋に行くと、
1864の数字の入ったTシャツやステッカーが売られている。
メーホンソンへの山道は、実に1864のカーブがあるというわけである。


第2次大戦の開戦後、日本軍は、友好国タイからビルマへ攻め入るのに、
南方の泰緬鉄道(バンコク⇒カンチャナブリ⇒ラングーン)と、
この北方の道路(チェンマイ⇒メーホンソン⇒クンユアム⇒ビルマのトングー)
の2つが建設された。


ちなみに終着地トングーは、ヤンゴン(旧ラングーン)の北東75kmにある
バゴー(旧ペグー)管区にある街(現名はタウングー)で、
16世紀なかばタイのナレスワン大王が幼少時人質に取られ、
学んだ土地である。

 「タイと因縁深い古都バゴーは今どうなっている? 2013-10-21」
  http://uccih.exblog.jp/19855178/


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いずれも1942年に建設が開始されたが、カンチャナブリの泰緬鉄道が
突貫工事で1943年10月には完成されたのに対し、
この北方道路は難工事で、完成したのは終戦近くの1945年と言われる。


泰緬鉄道が、「戦場にかける橋」で有名になり、また工事に狩り出された
連合軍の捕虜などから死者が出たため、戦後「死の鉄道」と過大に
宣伝された(一番多い死者は出稼ぎに来たマレー人だったが)。


これに対し、この北方道路の工事も多くの犠牲が出たものの、
日本軍とタイ人の間で建設されたため、戦後も友好国の関係は
崩れず、対照的である。


@@@@@


この道路(1095号線)は今では観光道路だが、
“白骨街道”と呼ばれてきた。
工事で多くの犠牲者が出たからとの説もあるが、
日本のビルマからの敗残兵の帰路となり、多くの兵が倒れたからだろう。
この急な山道を走ると、白い道路標識が墓標のように見えてしまう。

 「チェンマイの空の下、66年前には敗残兵が 2010-1-25」
  http://uccih.exblog.jp/11261905/


ビルマへの進軍路として建設したはずが、実際は敗残兵の帰路となった。
「弓兵団インパール戦記」という本を読むと、ビルマから食糧も医薬品もなく、
負傷兵を抱えて逃げ帰る敗残兵の姿が痛ましい。
英軍機が迫ってくると、「むしろ弾が当たってくれた方がよほど楽だ」
という気持ちが胸に迫ってくる。

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現在の我々はチェンマイの地でゴルフをやったり
温泉地に行ったりしていられるが、
もし実際より20年ほど早く生まれていたら、
同じ土地を逃げ延びていたかも知れない。


@@@@@


無謀なインパール作戦を中心にビルマ戦線での死者は19万人にのぼると言われる。
ビルマ戦線に従軍した30万人のうち、帰還できたのは11万人だったそうだ。
タイに3万人以上が逃げ延びてきたが、7千人以上が
タイ領内で亡くなったと言われる。


北回り道路の話が敗残兵の話になってしまったが、
今回は南回りでクンユアム、そしてメーホンソンに行った。


南回り、それもメーサリアンを経由して北に上ってゆく
この南大回りコースが、チェンマイからの標準コースだ。

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もうひとつの南回りで、ドイ(山)・インタノンの南麓から
メーチェムを経由してクンユアムに行く道がある。
この道は、ヒマワリの山麓の道で、チェンマイからクンユアムまで180km、
メーホンソンまでは247km。帰りに通ることにした。


南大回りは、距離は353kmと一番長いが(北周りより100km以上、5割近く長い)、
道が比較的平坦で走りやすい。
メーホンソンの南67kmのクンユアムが最初の目的地だったので、
行きはこのルートで行った。


(その2に続く)
by ucci-h | 2013-11-26 23:54 | チェンマイ近郊お勧め所 | Comments(4)
Commented by unknown at 2013-11-27 10:42 x
ホントかウソか知らないが、東条英機首相はサイパン陥落の引責退陣の際に初めてミッドウェー作戦で主力空母4隻の喪失を知らされ、「そんなに早くから海軍が壊滅しているならガダルカナル作戦やインパール作戦などやるべきではなかった」と悔やんだそうです。東条はインド洋で「赤城」「 加賀」などがずっと頑張っていると思っていたのでしょう。山本長官がトラック島やラバウルに直接出向いて指揮したのは箝口令を徹底させる目的もあったのでしょう。ガダルカナルの敗残兵は内地には戻れずインパール作戦に回され消耗させられたとも聞く。
(実状を)知らない東条もアホだが、(官僚に都合の悪い)特定情報機密が一国の首相にまで及ぶ怖さをも意味している。
Commented by 秘湯 at 2013-11-27 12:03 x
伯父がインパールに行っていたようですが、話を聞いていなかったのが残念です。
Commented by muga at 2013-11-27 23:27 x
概ね田舎のタイ人はチェンマイの住人とは違って、全然スレてないですよね。
つい最近ですが、ランパンに行きました。ホントに純朴で親切な人が多かったです。街中でも、の~ンびりした空気が漂ってます。
メーホンソンの町にも興味がわきました。
Commented by ucci-h at 2013-11-29 00:48
メーホンソンの街は、失われつつある北タイの人々の良さを感じさせる、素朴な、いい街ですね。
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北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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