上院議員から出ていたインラック政権の憲法違反疑義の
訴えに対しこれを認め、インラック首相および閣僚9名の
失職の判決を出した。
実力者で副首相のキティラットも含まれる。
(写真はバンコクポスト紙より)
インラック暫定(選挙未定)首相は失職し、代わりに
二ワットタムロン副首相が暫定首相を受け継ぐ。
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インラック政権の発足(2011年8月)間もない時期の
2011年9月に、閣議が行なった
当時のタウィン「NSC」(国家安全保障会議)事務局長の
首相付き秘書への転出人事は、‘タクシンの元妻の
兄プリアオパン・ダマポンを警察庁長官へ着けるため、
当時の警察庁長官ウィチアンの席をNSCに作るための
玉突き人事である’とされた。
身内の利益誘導人事で憲法違反と判断された。
なお、タウィンNSC事務局長は、3月7日の行政裁判所
(これも97年に出来た機関)の裁決で、その職に復帰しており、
いわば、外堀はすでに埋められていた。
ウィチアンNSC事務局長は、その後2012年10月の人事で
運輸省事務次官に警察畑出の人間としては初めて
転出している。
現在までのNSC事務局長は、警察中将格のパラポーンだった。
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1997年憲法でできたタイの憲法裁判所の権限は強い。
裁判官は、法曹界からの9人で構成され、
任期は9年ある。
毎年30件以上の憲法違反かどうかの判決を下している。
この憲法裁判所の裁判官を選ぶ委員会は、
下院議長、野党代表の政治部門からの人間と
最高裁判所長官、行政裁判所長官などの司法畑からの人間で
構成される。そして、裁判官は国王から任命された形となっている。
憲法裁判所は、タイのエスタブリッシュメントの独立機関となるが、
憲法をベースに行政府、立法府を裁く権限を持った司法機関である。
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タイの憲法裁判所の権限は強い。
ことに、2000年代になってから出てきたタクシン派政権には
厳しい姿勢で臨んできた。
2006年4月の選挙では(今年の2月と似て、民主党はボイコット)、
タクシン派(当時は、タイ・ラック・タイ党)が大勝したが、
憲法裁判所は、今回同様、選挙無効の判決を出している。
その後、2006年9月のクーデターでタクシンは失脚する。
タクシン派は挽回を図るも、2007年5月、憲法裁判所は、
2006年の総選挙でタクシン派は重大な選挙違反があったとして、
党の解党および101人の議員の公職5年停止に追い込まれている。
2008年2月には、再びタクシン派の‘料理人’サマック首相政権が
成立するが、7ヵ月後の9月、首相がテレビの料理番組に出たとして
憲法裁判所の憲法違反判決が下り、首相は辞任に追い込まれている。
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タイは、タクシン派と民主党の2大政党制のように見えるが、
内情を見ると、どうもそうではなさそうだ。
民主党は、保守的な党であり、既存のエスタブリッシュメントの
利益を守る人たちの混合グループだ。
タクシン派は、だからといって、農民層や低所得者層を
バックにした階級闘争的な党かと言えば、そうではない。
大きな票田を巧みに用いてきた、こちらも一種の利益集団である。
タイの政治は、ビジネスである。
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今回のインラック首相失職は、
タクシン派政権が身内で固めることに急であったため、
足元をすくわれた感じである。
次の選挙が7月20日になるのか、別の日になるのかわからないが
(2月2日の選挙無効の判決を出したのも憲法裁判所である)、
タイの中間層が増えるような安定的な経済政策を打てる政権で
あってほしい。
インラック首相は、身内人事で失職したが、
インラック内閣は、コメ抵当スキームの失敗など、
経済政策の失策で責任を取るべきだったと、個人的には感じている。