その言動、今後の行程表、政策への意向などを見ていると、
前インラック政権よりずっと透明性が高く、理にかなった
考えを出してきている。
選挙で選ばれた政党政権が、いろいろな政策を出しながら、
実行するに当たり明快な説明もなく、またコメ抵当スキームの
進行においても、きちっと在庫量や販売価格などを
示してこなかったことに比べると、
皮肉にも、強権政権の方がずっと説明責任を果たしている。
これでは、タイ貢献党政権は、政治資金づくりのために
不透明でいろいろ介入の余地のある政策を意図的に
打ち出してきたものだと勘ぐられても仕方のない事になる。
@@@@@
それはさておき、現軍事政権の政策運用が注目される。
折りから、タイ経済は、前政権のバラマキのつけもあり、借金漬けで
経済が沈み込んでいるところである。
5月30日(金)の夜のテレビ演説で、現政権である「国家平和秩序協議会」の
長であるプラユット陸軍司令官は、今後のロード・マップを示した。
タイム・テーブルは、3つの局面から構成される。
@@@@@
①1番最初の局面は、今から9月末までの今年度内の4ヶ月弱の日程。
10月新年度入り前に、新年度予算案を固めると同時に、
暫定首相とその内閣を作ること。
プラユット自身は、今の自分が暫定首相だとは言っていない。
誰が暫定首相になるだろうか?
そのためには、現在、官僚たちに新年度予算案を練ってもらっており、
これを暫定内閣の下で承認させたいようだ。
暫定首相が認められるには、今の二派に分かれた党派に共通の基盤を
認めさせ、両方が認める暫定首相でなければならない。
そこで、難しい課題だが、両派の融和が前提となる。
黄シャツ+赤シャツ⇒オレンジ・シャツと行きたいところだが、
積年の対立は、シャツの色を変えただけでは、なかなかうまく行かないだろう。
「改革のための和解センター」を全国各地に作ると言っている。
@@@@@
②次の局面は、暫定憲法を作り(今の憲法はすでに廃止された)、
立法府を作り(今のままの議会選挙とは言っていない)、
「国家改造協議会」(NRC)を設置することだ。
これには、およそ1年、つまり2015年9月頃までかかるだろうと
プラユットは見ている。
このうち、国家改造協議会の設定が新しい体制のカギとなる。
「選挙の前に、国の改革を!」はデモ隊のスローガンだったし、
軍事政権も、改造をしてからの総選挙という道順を踏んでいる。
しかし、具体的な改造の中身は見えていない。
憲法改定議論の中で、選挙制度の改革などが俎上に上がるだろうか?
@@@@@
③最後の第3の局面は、
暫定憲法の下で選挙を実施することになる。
従って、総選挙は、2015年10月以降ということになる。
@@@@@
前回のタクシン追い出しクーデターでは、
クーデターを指揮したソンティ陸軍司令官(タイで初のムスリム系司令官)は、
2週間以内の文民首相の指名と、暫定憲法の制定、
1年以内の憲法の確定と総選挙の実施を、クーデター後発表した。
クーデター12日後の10月1日には、
陸軍司令官の先輩格で、退役軍人(文民と規定)のスラユットに
首相になってもらっている(2008年1月までの1年4ヶ月間)。
また、この日39か条から成る暫定憲法が公布された。
この暫定憲法と言うのは、憲法そのものが制定されるまでの
権限や手続きを定め、保証したものである。
@@@@@
2007年8月の国民投票で、309か条から成る「2007年憲法」が
承認された。
そして、新憲法下、最初の選挙は2007年12月に行なわれたが、
タクシン派の「国民の力党」が勝つことになり、
翌年1月サマック首相内閣が発足することになった。
@@@@@
2007年を通じてのスラユット内閣は、
反タクシン色を強く出し、外資規制など反資本主義色を
出し過ぎ、経済政策はどちらかと言うと失政だった。
経済は低迷した。
今回の“プラユット政権”は、①経済的失政と
②再び選挙によるタクシン派の進出を、警戒している
はずである。
経済面では、前インラック政権の失政と言う‘敵失’が
あるから、追い風になろう。
総選挙は、前回クーデターとほぼ同じく、クーデター後
ほぼ1年4~6ヵ月後に行なわざるを得ない。
プラユット政権には、タクシン派の進出を抑える手を
どう練っていくのだろうか?