貧しい家庭の少年ばかりで、金持ちの少年犯罪者はほとんど
見られないと言われる。
軍政権になったものの、タイ社会における「金持ちの少年は
犯罪を犯してもなかなか捕まらない」という伝統は
なお生きているようだ。
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2012年9月3日早朝に、タイの資産家スポーツ・ドリンク「レッド・ブル」で
財を成したチャラーム・ウィーユッタヤの3代目跡継ぎ息子ボラユット(27歳)が
バンコクのスクンビットで黒いフェラーリのスピードを出し過ぎ、
バイクの交通警官をはね殺し、しかもひき逃げで、家までひきずり、
家のドライバーの仕業に見せ掛けようとした事件があったが、
それから、2年が経った。
親のチャラーム・ウィッタヤーは資産3200億バーツ(約1兆円)を
かかえるタイ第4位の大富豪である。遺族(幸い亡くなった48歳の警官は
独身だった)に対し、被害金として300万バーツ(警官の終身推定収入に
基づく要求額は800万バーツだった)を払ったが、当のボラユットは、
2年後の今も、検察への出頭をあれやこれやで逃れ続けている。
去る8月11日、バンコク・ポスト紙は、金持ちの子弟が交通事故で
罪を犯しても、それなりの罰を受けない例を、この事件も含め、
3件特集で追跡している。
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お抱え運転手のせいにしようとしたのがばれた時点から、
大富豪の息子のスピード運転、無謀運転、ひき逃げ犯罪が明らかになった。
疑いのない交通犯罪である。しかも、殺されたのは警察官である。
さぞや仲間の被害者のために、しゃかりきになって犯罪者を
牢獄に送ろうと努めるだろうと思うのは、日本のテレビドラマの世界である。
事件が発生してから、トンロー警察が事件を「書類送検」(身柄を拘束せず、
捜査書類を検察に送る)したのは、半年もたった2013年3月4日になってからだった。
ひと月後の4月4日、検察は、ボラユットを起訴し、
警察に彼を裁判所に向かわせるよう命ずる。
なお、ボラユットは事故を起こす前にコカインを服用し、アルコールも規定以上
飲んでいたことが、血液検査の結果わかった。
しかし、ここからボラユット側の引き伸ばし作戦が始まる。
ボラユットは数回の要請にもかかわらず出頭せず、
4ヶ月後の8月26日には弁護士にクリニックからの診断書を取り寄せさせ、
病気のため検察へ起訴内容を聞きにいけないと言わせる。
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その3日後の8月29日には、弁護士は、「彼は今シンガポールに居り、
「検事のところには4日後の9月2日に行く」と、トンロー警察に伝える。
9月2日と言うのは、事件発生から1年目の前日となり、
翌日には、3つの罪状のうち、スピード違反は、1年の時効で切れることになる。
その翌日の8月30日、担当検事は、ボラユットがここまで過去
6回も出頭してこないので、警察に対し逮捕するよう要求する。
しかし警察は逮捕せず、2013年9月3日を迎え、ボラユットの
スピード違反は時効となる。前日の出頭の約束日も、弁護士に
シンガポールからなお病気で行けないと伝えさせている。
それから1年、ボラユットは一度も検察に来ていないと言われる。
その後も、彼の弁護士は、4人の(さらに最近では外国人も加えた)目撃者の
証言を聞くよう検察に求めたりしている。
亡くなった警官の兄は、「無謀運転(時効15年)とひき逃げ(時効5年)が
時効になるまで待たされるのか!」と怒っている。
「金をもらったり、犯罪者を監獄にぶち込むのが願いではない。
この国に司法制度が公正に働くのを見たいのだ」と言っている。
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2007年7月4日には、当時24歳のカンピタック・パチムサワットが、
バンコク市内で、バスの運転手と口論したあと、頭に血が上ったか、
運転しているベンツをワタナのバス停でバス待ちしている人々の
中に突っ込ませ、一人を殺し、二人を怪我させた。
カンピタックは、かつてミス・タイランドのサウィニーが実業家と
結婚し、もうけた息子である。
1年半後の2009年1月30日、プラ・カノン地裁では、
懲役10年1ヶ月の判決が下った。
しかしその後、精神的問題を抱えていたかで争い、
事件発生から5年8ヶ月経った2013年3月5日の控訴審では、
怒ると自己規制が効かなくなる精神的病を負っていると認められ、
懲役2年1ヶ月、執行猶予2年に減刑された。
カンピタックは、人を殺したものの刑務所に入ることを免れ、
保護司のところに行き、そして精神的治療を受けるよう命じられた。
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2010年12月27日には、16歳の女性プレワ・テパサディン・ナ・アユタヤが、
バンコクの高速道路でバンに衝突し、乗っていたタマサート大学生等9人を
死なすという大事故を起こした。
無免許の暴走運転だった。
プレワの家は、苗字のデパサディン・ナ・アユタヤからも伺えるように
王室関係の名家である。
学生の殺されたタマサート大学の関係者は、「両親がなぜ未成年の娘に
無免許で車を運転させたのか?」といぶかった。
プレワが、亡くなった9人の家族と初めて会ったのは、7月30日、
事件発生から7ヵ月経ってからだった。
そのときは、無免許と無謀運転で起訴されていた。
しかし、その1ヵ月後の8月31日に家庭裁判所から下った判決は、
懲役2年執行猶予3年という、9人を殺したにしては、
なんとも軽い判決だった。
プレワは、25歳になるまで運転を禁止された。
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タイは所得格差が、アジアでも格段に大きな国である。
金が大きく口をきく国である。
麻薬の道路検問でも、高級車は検問を避けられるという。
2007年と2010年のケースは、人が死んだものの、
過失のあったはずの金持ちの子弟の運転者は、
けっきょく刑務所にも少年院にも入らないですみそうだ。
警察がお金で丸め込まれやすいのか、司法トップの
裁判官が被告人の出自に考慮するのか、どこからか圧力がかかるのか、
司法システムは十分働かない。
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2012年のレッド・ブルの跡継ぎのケースの行方にはなお関心が集まっている。
このケースは、裁判どころか、検察からも2年間逃れ続けている。
今回の悪質な死亡事故に裁きがいつか下されるのだろうか。
それとも、やはり大富豪の金の力が勝つのだろうか。
悲痛な叫びというか、あまりにも空しく聞こえますが、個人的には共感しました。
、タイの女子大生の先生まさほど怒らず、タイではよくある話し、マイペンライでした、明日いや明後日のど早朝、関空からエアアジアでバンコクへ、朝食はどこかの屋台で(^_-)