2018年3月、日本へ帰ってみたら、
昨年の同時期問題となっていた
阿部政権下での「森友学園」問題が
財務省の決裁文書書き換え問題へと
いっそうエスカレートしていた。
テレビの報道番組はヒートアップして
大きな政治問題になっているが、
日本の歴史から見て、前提となる大事な論点が
欠けていると思われるので、記しておきたい。
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今から600年近く前、15世紀の室町時代、
くじ引きで選ばれ、「悪魔王」と恐れられた
第6代将軍足利義教は、悪い所業と見られるような
ことをおこなっている。
側室日野重子が後の将軍となる子を産んだ際、
彼女の兄で謹慎させられていた日野義資の
元に、「これで彼の復活もあろう」と
祝賀に訪れた客が多くいたが、彼らをすべて罰した。
歴史は、これを心狭い悪の所業ととらえているが、
義教は、「将軍の自分の身内だからと
媚びるものは許せない」との意思から、
彼らを罰したと、作家井沢元彦などは見ている。
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今回の森友問題の報道を見ていると、
政治家も官僚も評論家も、首相夫人が関わって
“忖度”が働き、「特例」が働いたらしいことに対し、
そのこと自体をなくすべきだとの意見はない。
足利義教以降も、この国においては、
偉い人の周りの人の意向も
忖度すべきだという、空気の伝統は
変わっていないようだ。
首相本人の意思は重視されても、
家族・親戚や周りの人間の意向は
忖度すべきでないとの暗黙のルールが
この国に生まれるのは、いつのことだろうか。