タイ語実用シリーズ
「シーン毎のボキャブラリー・熟語」シリーズ
の第11回。
いろいろな場面ごとに、
単語だけではなかなか覚えられないし、
「熟語」で興味を持って覚えていくことにする。
もちろん、「声調」が大事なので、
「綴り」(サゴット)も理解していくことは忘れない。
第11回のシーン別タイ熟語は、
心や感情にまつわる「心の動詞」の熟語を見ていこう。
「心の動詞」編の3回目にあたるが、
「尊敬する」や「信仰する」などを見ていこう。
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⑮まずは、「困った」時から。
「サプソン」、「ドゥアット・ローン」。
「サプソン」「สับสน」は、「困惑する」。

「トゥック・クラング・ティー・ポム・ルースック・サプソン~」
thúkˑkhráŋˑthíiˑphǒmˑrúuˑsʉ̀kˑsàpsǒn~「ทุก ครั้ง ที่ ผม รู้สึก สับสน~」で、
「困惑したと感じた時は、いつも~」である。
「トゥック・クラング・ティー~」で、「~の時はいつも」となる。
「ドゥアット・ローン」dʉ̀atˑrɔ́ɔn「เดือด ร้อน」は、これに対して、「むかつく、いらつく」と
いう意味だが、「困窮している」「トラブっている」という時に多く使われる。
「ドゥアット」が「沸騰する」、「ローン」が「熱い」だから、
頭から湯気が立っている感じである。
「ナック・チャイ」nàkˑcai「หนัก ใจ」(心が重い)にも近い。
⑯「困難、苦難にあっている」となると、
「ラムバーク」lambàak「ลำบาก」が抜かせない。
「艱難辛苦」である。

「ラムバーク」は、道が狭くて車を回転できないことから、
生活が困窮することまで、あらゆる「困難な」状態に使われる。
「難しい」の「ヤーク」と合わせた「ヤーク・ラムバーク」
yâakˑlambàak「ยาก ลำบาก」という形でも、
「困難だ」と使われる。
なお、「難しい」の「ヤーク」yâak「ยาก」は、落下声。
「~したい」の「ヤーク」yàak「หยาก」は、低声である。
⑰困難、苦難は誰にとっても嫌である。
「嫌だなあ」は、「イェー」yɛ̂ɛ「แย่」が使われる。
英語のyesの変形のyeahと似ているが、意味は全然違う。
窮状を見て、「大変ですね」という時は、
「イェー・チング・チング」yɛ̂ɛˑciŋˑciŋ「แย่ จริง จริง」と言う。
また、「ほんとに大変、嫌ですよ、too bad!」は、
「イェー・チャング」yɛ̂ɛˑcaŋ「แย่ จัง」となる。

⑱「気が重い」「気が軽い」は、
「ナック・チャイ」nàkˑcai「หนัก ใจ」と
「バオ・チャイ」baoˑcai「เบา ใจ」だ。
同時に、「グルム・チャイ」klûmˑcai「กลุ้ม ใจ」も、覚えておきたい。
覚え方は簡単だ。
「グルム」klûm「กลุ้ม 」は、「くるむ(覆われる)」だからだ。
“心が、気が包まれる”で、「心が晴れない」となる。
「グループ」の「グルム」klùm「กลุ่ม」とは、声調が異なる。

⑲「うんざりだ」「もう飽きた」「もう要らない」
‘好かない、やりたくない’時に、
「マイ・アオ」、「マイ・チョープ」ばかりでなく、
“もう何回もやったので、もう要らない”と言う機会は多い。
その際は、「ナー・ブア」nâaˑbʉ̀a「น่า เบื่อ」がよく使われる。
「~に見える」の「ナー」と「飽きた」の「ブア」の組み合わせだ。
なお、「蓮」の「ブア」bua「บัว」は、そのままカタカナ読みでいい。

「ナー・ブア」は、直に「嫌い」と言うより、
若干クッションが入った響きになる。
⑳「ノーイ・チャイ」nɔ́ɔiˑcai「น้อย ใจ」は、
「ひがむ」と訳されるが、意味が微妙な言葉だ。

「ノーイ」は「小さい」、「チャイ」は「心」だから
‘小心な’という意味かと言うとそうではない。
むしろ、つなぎを逆にした「チャイ・ノーイ」caiˑnɔ́ɔi「ใจ น้อย」
(文字通り、小さな心)の方が、小心に近いのだろうが、
「チャイ・ノーイ」は、「怒りっぽい、神経質な、敏感な」と
言った意味で使われる。心の許容量が小さいということか。

「ノーイ・チャイ」は、自分を劣っていると感じたり、
自分が不当な扱いを受けたと感じたり、
「ひがむ」ことである。
人に自分の誕生日を忘れられたり、
彼女にデートを断られたり、
自分の言った ことを批判されたりした時に、
自分の中に必要以上にネガティブな感情を抱いてしまうことだ。
「チャイ・ノーイ」は、受容体としての心が小さいこと、
「ノーイ・チャイ」は、それゆえ、ひがんでしまうことと覚えておくとよい。
㉑ネガティブな表現ばかり見てきたので、
ここらで切り替えよう。「性格が明るい」は、何と言うか?
「性格が良い」は、「ニサイ・ディー」だが、
「性格が明るい」は、「ニサイ・ラー・ルーング」
nísǎiˑrâaˑrəəŋ「นิสัย ร่า เริง」である。

「ラー」râa「 ร่า 」は、「開けっ広げ」、
あいまい母音の「ルーング」rəəŋ「เริง」は
「愉快で楽しい」という意味だ。
あわせて、気持ちが「明るい」となる。
「ラー・ルーング」は、rの音の繰り返しで、
♪ランラン・ルンルン♪と
いった響きで、いかにも明るい。
なお、「若者」の「ワイ・ルン」「」の「ルン」は、「世代」という意味。
「ラー・ルーング」の反対語は、「サオ・モーング」sâoˑmɔ̌ɔŋ「เศร้า หมอง」。
暗く、悲しげで、「意気消沈した、みじめな」様子を表す。
「サオ」sâo「เศร้า」は、「悲しい」、
「モーング」mɔ̌ɔŋ「หมอง」は、「輝きを失った」の意。
「時刻」の「モーング」mooŋ「โมง」は、oの音で平声。
「眺める」の「モーング」mɔɔŋ「มอง」は、平声。
「枕」の「モーン」mɔ̌ɔn「หมอน」は、上昇声である。
「元気を出して!Cheer up!」は、「ラー・ルーング・ノーイ・シ!」
râarəəŋˑnɔ̀ɔiˑsì「ร่า เริง หน่อย สิ」である。
「ノーイ・シ!」nɔ̀ɔiˑsì「หน่อย สิ」は、
「少し何々して!、~せい!」と励ます接尾語だ。
㉒尊重する⇒尊敬する⇒信仰する⇒祭る
「カオロップ」⇒「ナップ・トゥー」⇒「チュア・トゥー」⇒「ブーチャー」。
尊敬から信仰に至るまで、この辺りの言葉の差は正直よく分からない。
日常会話ではあまり出てこないし。
まず、「尊重する、高く評価する」という意味では、
「カオロップ」khaoˑróp「เคา รพ」がいいのだろう。
「カオロップ・クワーム・ターング」khaoˑrópˑkhwaamˑtàaŋ
「เคา รพ ความ ต่าง 」という言葉がある。
「クワーム・ターング」khwaamˑtàaŋ「ความ ต่าง 」は「違い」という名詞だから、
「多様性を尊重する」という意味だ。
今のアメリカのトランプ大統領に改めて捧げたい言葉だ。
「違う、異なる」という動詞「ターング」tàaŋ「ต่าง 」は、
「道」の「ターング」thaaŋ「ทาง」と違い、
無気音で低声のtだから、注意したい。
「カオロップ・トー・プー・ターイ」khaoˑrópˑtɔ̀ɔˑphûuˑtaai
「เคา รพ ต่อ ผู้ ตาย」は、「死者に敬意を払う」となる。
㉓「尊敬する」となると、「ナップ・トゥー」
nápˑthʉ̌ʉ「นับ ถือ」がいいのだろう。
ナップは昼寝とは関係ない。
「ナップ・トゥー」には、「信仰する」の意味もある。

「ナップ」は、「数える」また「みなす」という動詞だが、
「うやまう」という意味も持つ。
「保持する」の「トゥー」(これにも、信じる、尊重するの意味がある)と
合わさり「ナップ・トゥー」となると、「尊敬する」、「信仰する」になる。
「ガーン・ナップ・トゥー・ガン・ペン・ゲン・ゲーン・コーング・クワーム・ラック」
kaanˑnápˑthʉ̌ʉˑkanˑpenˑkɛ̀nˑkɛɛnˑkhɔ̌ɔŋˑkhwaamˑrák
「การ นับ ถือ กัน เป็น แก่น แกน ของ ความ รัก」。
「お互いを尊敬することが、愛の基本である」。
いい言葉ですね。
「ガーン」は動詞を名詞化(「クワーム」も同様)するので、
「ガーン・ナップ・トゥー」で、「尊敬すること」。
「ゲン・ゲーン」は、「芯と軸」で、「基本」という意味になる。

「ナップ・トゥー・サートサナー・プット」
nápˑthʉ̌ʉˑsàatˑsànǎaˑphút「นับ ถือ ศาสนา พุทธ」で、
「仏教を信仰する」になる。
「サートサナー」は「宗教」、ส(s、末尾でt)の音が
再読されている。
同じように、「ナップ・トゥー・サートサナー・クリット」
nápˑthʉ̌ʉˑsàatˑsànǎaˑkhrít「นับ ถือ ศาสนา คริสต์」で、
「キリスト教を信仰する」になる。
「ブッダ(仏陀)」は、タイ語では「プット」phút「พุทธ」と、
Bの音が濁らないPhの音となるが、
同様に、「ビルマ」Burma(今はミャンマーだが)も、
「パマー」phámâa「พม่า」とPhの音で呼ばれる。
「仏教徒」は、「プット」の頭に、
属性を表す「人」の「チャーオ」を付けて、
「チャーオ・プット」chaaoˑphút「ชาว พุทธ」で済む。
「キリスト教徒」も、「クリサティアン」と言わなくても、
同様に、「チャーオ・クリット」chaaoˑkhrít「ชาว คริสต์ 」でもよい。
「ナップ」を「信じる」の「チュア」に入れ替えて、
「チュア・トゥー」chʉ̂aˑthʉ̌ʉ「เชื่อ ถือ」としても、「信仰する」だ。
㉔なお、タイのカレンダーによく出てくる
「ブーチャー」buuchaa「บูชา」は、「祭る」という意味である。
「~ブーチャー」で、「~祭」の意になろう。
「マーカ・ブーチャー」maakháˑbuuchaa「มาฆ บูชา」の日は、
陰暦3月の満月の日の「万仏節」の祝日。
「マーカ」maakhá「มาฆ」は、「陰暦第3の月」の意。
‘摩訶不思議’とは関係ないのだろう。
日本の2月の建国記念日の頃となる。
ブッダが入滅する3か月前に、竹林精舎で戒律を説いたとき、
1250人の弟子が予告なしに集まったのを記念する日。

「ウィサーカ・ブーチャー」wísǎakhàˑbuuchaa「วิสาฆ บูชา」の日は、
陰暦6月の満月の日の「仏誕節」の祝日。
日本のゴールデンウイークの頃となるが、‘井坂’さんとは関係ない。
「ウィサーカ」は、「満月の日」の意。
ブッダの誕生、悟り、入滅を同日とし、これを記念する日。

もうひとつ仏教の祝日があった。
陰暦8月の満月の日の「三宝節」と
翌日の「入安居」(いりあんご)である。
雨期に入った後、7月初め頃やってくる。
「三宝節」は、「アーサーラハ・ブーチャー」
aasǎalahàˑbuuchaa「อาสาฬห บุชา」。‘麻原’さんではない。
釈迦が最初に弟子に説法を行なった日で、
仏・法・僧の三宝が揃った記念の日。
「アーサーラハ」Asalhaは、
Dharma(仏教での法)のことと言われる。

三宝節の翌日も「カオパンサー」khâoˑphansǎa
「เข้า พรรษา」(入安居)でタイは7月初め連休になる。
「カオパンサー」は、植物の生息期の雨期に入ったため、
僧はこれらを踏まないように、外出をとどまり、
寺の中で3か月修行を続ける時期入りのことである。

3か月後の「オークパンサー」は、逆に「出安居」だが、
10月初めに当たるこの時は、なぜか休日ではない。
「カオパンサー」の「カオ」は、「入る」だが、
「パンサー」は、豹のことではない。「雨期」のことである。
第11回はここまで。
次回第12回は、「心の動詞編」最終回の4回目。
「専念する」「心を一つにする」「びっくりする」「印象付ける」
「満足する」「病みつきになる」「夢中になる」「努力する」
「機嫌を取る」「祝福する」「叱る」「ほめる」「やきもきする」などの
心の動きを表す動詞を見ていこう。
意味はなんとなく「イジケタ」「ミジメ」だと感じましたが、いい歳した大人が職場で使う言葉とは思えなくて当惑しました。
何か素行で注意されたり仕事でダメ出しされたならば改善すれば良いだけじゃないかと思っていましたが、そんな発想はチェンマイ人には備わっていません。
子供の頃からひたすら褒められる、可愛がられるのが価値観なのであって、その反対になるダメ出しは「ノーイ・ジャイ」にしか繋がらないのです。
よって改善するよりも退社する方を選びますから腫物に触るように言葉や態度を選ばなければなりませんでした。
たぶん恋人間や夫婦間での喧嘩も同じだと思います。
悪い所や足りない所があったとしても、指摘したり注意したりせず、ひたすらフォローに徹する(笑)
はははは。確かに、ノーイ・チャイは、ネガティブな心の受け止め方ですから、好ましくありませんね。子供のころからちやほや育てられがちなタイ人には、こういったネガティブな受け止め方につながりやすいのでしょうね。
タイ語で、悪い、ネガティブな言葉を使いたがらないのも、彼らは、こういう言葉に対し、けっこう‘チャイ・ノーイ’なのかもしれませんね。


