仏教用語は誤解されがち
前回の「タイの宗教」を読み進めて行ったら、仏教の「三相」(さんそう)のことが解説されていた。

宗教用語、いや専門用語は、わざわざ難しく言って、庶民に有難みを味わらせる嫌味があるので、平易に自分なりに吸収したいものだ。
宗教は、創始者よりも、後世の人間が引っ掻き回し、いろいろな解釈や、新たな価値観を付け加えるので、何が真実かというものはない。
そもそも自分は仏教は大好きだが、宗教とは思っていない。「生きる知恵集」と思っている。

さて、仏教の三相だが、仏教がこの世の存在を、根本的に認識した、基本原理というべきものだろう。
「アニッチャ」(anicca、無常)、「アナッター」(anatta、無我),、「ドゥッカー」(dukkha、苦)の三つである。いずれも、インド発祥の仏典を記した古語「パーリ語」から来ている。
ちなみに、タイ語では、それぞれ、「アニッチャー」、「アナッター」「トゥック」と、パーリ語が多く入ったタイ語らしく、原語に近い。ドゥックがトゥックに変わるのは、ドリヤンがトゥリアンに変わるのと同じだ。
仏教は、この世を悲観視しがちな宗教だなと、むかしは思っていたが、歳を重ねると合点がいってくる。
ただ、アナッターを「無我」と訳した中国語、日本語は誤解を生む。むしろ「空」としてくれたほうがいい。アナッターには特定の主体はないはずで、無我とすると、人間自分自身に限定されてしまう。
この仏教の根本理解を因果立てたのが、「四諦」(したい)というやつだ。

四つの諦め事と誤解されるネーミングだ。英語の「Four Noble Truths」(四つの聖なる真理)の方が分かりやすい。
長くなったので、続きは次回に。


