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カテゴリ:アジアのリゾート( 67 )
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅(5/完) リペ島、タイ最南端の小さな島

「タイのモルジブ」とか、「タイの最後の楽園・秘境」とか
喧伝されるリペ島は、アンダマン海に浮かぶ
タイの最南端の小さな島である。

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どのくらい小さいかというと、東西3km、南北1km程度、
島中歩けてしまうという小さな島だ。

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タイの島々は、多くがリゾート地だが、
大きさでトップ3はどこだろうか?

一番大きいのは、プーケット島だ。
543㎢(淡路島593㎢の92%の広さ)のこの島だけで県を成している。
人口も40万人に及ぶ。
タイで一番物価の高い県だ。


2番目に大きいのが、タイランド湾西部、
スラタニー沖に浮かぶサムイ島。229㎢。人口7万人近く。
山あり滝ありの変化に富む島で、欧米人中心に年間100万人が訪れるが、
空港がバンコクエアウエイズの所有であることが有名。

サムイ島の北には、それより小さめだが、
おそらくタイで4番目の大きさのパンガン島(125㎢、人口1万人)が浮かび、
さらにその北には、2014年英国人男女の殺人事件や
2017年のベルギー人女性自殺事件で有名になった
より小さなタオ(亀)島(21㎢、2000人ほど)が横たわっている。



3番目が、カンボジアとの国境のトラート県にある
チャーン島(象島)。213㎢。22万人が住んでいる。
交通がやや不便だが、最近人気が出てきているようだ。




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さて、リペ島は、タイの最南部アンダマン海沖の
タルタオ諸島の端にある小さな島である。
ここには、タルタオ島という一番大きな島(100㎢くらいあろうか)や、
リペ島の北のアダン島(15㎢くらい)というリペより
大きな島もあるが、海と砂浜の美しさから、リペ島がリゾート地となったようだ。


オフシーズン(5月~10月の雨期)にボートが通っているのは、
リペ島だけのようだ。



タルタオ島は、タイで5番目くらいの大きさになる
起伏に富んだ大きな島だ。ランカウイ島のすぐ北に位置する。
かつて戦時中、政治犯の収容所として使われたという。
ジャングルに覆われた、名前の意味する原始的な島のようだ。



リペ島のすぐ北にある島がアダン島だが、ここは
リゾート地というより、公営のバンガロー、テントのある
トレッキングの島である。




リペ島は、小さな島だが、もうマレーシアに近い。
実際、マレーシア領の自然の素晴らしい(素晴らしかった?)ランカウイ島から
北西へ40km。ハイシーズンにはランカウイからもフェリーが出ている。

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ランカウイ島は、380㎢と、サムイ島より大きい
(南側のペナン島(295㎢)より少し大きいことになる)。
人口は65,000人ほどが住んでいる。
2008年に訪れ、自然を満喫できたが、それから11年、
かなり開発が進んでいるのだろうか?

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雨期なので、雨風が強い日に島へ行ってもしかたないので、
ボートやリペのホテルは、前日まで予約しなかった。
いろいろ聞いて、また天気予報を一応見て、OKそうなので、
前日に行くことに決めた。


なお、タイ最南部の雨期は、北のチェンマイなどとは少し違うようだ。
チェンマイは、5月から10月までの雨期、雨量は各月比較的平均しており、
(8~9月がちょっと多い)、また南部でもプーケットなどは各月平均してよく降る。

しかし、ハートヤイでは、10~12月、雨期の終わりにたくさん降る。
サムイ島と同じパターンだ。
リペ島のあるサトゥーン県も、9~10月に多い(幸い8月初めの今回は晴天に恵まれた)。
先月行ったベトナムのダナンの9~11月集中に似ている。

同じ東南アジアでも気候の変化は一様ではない。




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ハートヤイからは、半島をミニバスで2時間近くかけて
西海岸のパクバラ埠頭まで横断し、
そこからスピードボートでリペまで1時間半かけて
(実際に走っているのは70分ほど)渡ることになる。

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ミニバス+スピードボートで、ハートヤイ⇔リペ島の
往復(片道4時間)1200バーツ(約4000円強)と高くない。
朝9時にハートヤイを出れば、パクバラ11時半のボートに乗り、
午後1時にはリペ島のサンライズ・ビーチの桟橋に着ける。



パクバラ桟橋からのスピードボートは、50人乗りほど。
3基のエンジンで波しぶきをあげながら、西へ走る。
途中、左側にタルタオ島の大きな島影が見える。
その向こうは、もうマレーシアのランカウイ島のはずだ。
途中、小雨や波しぶきで顔が濡れた。



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リペ島は小さな島だが、東側にサンライズ・ビーチ、
北側にサンセット・ビーチ、南側にパタヤ・ビーチ(なぜか
パタヤの名が付けられている)と3つの砂浜がある。

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コッテイジ式のパタヤビーチに面するホテルに泊まったが、
たしかに、コバルトブルーの海はきれいだ。
砂浜も真っ白で豊かな砂がある。
オフシーズンだからか、人が少ないのもいい。


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オフシーズンなので、リペ島はすいていた。
島に住む人は2,000人ほどだというが
(桟橋のそばに小学校があった)、
ハイシーズンには一日5,000人のお客が訪れるという。


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小さな島には、パタヤビーチからサンライズビーチ方面に向かって
「ウォーキング・ストリート」があり、セブンイレブンも一軒あり、
お土産屋やレストランが並んでいるが、この時期、
シャッターの降りた店もあり、閑散としていた。

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面白いのは、ホテルからウォーキング・ストリートへ行くのに
島の真ん中の道(田舎道)を行くのではなく、
砂浜沿いを数百メートル歩いて行くのだ。
満潮の午後は、波間を歩き、干潮の夜は、砂浜を踏みながら
歩いて行った。


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リペ島。
確かにコバルトブルーの海と白い砂浜はきれいだ。
しかし、最後の秘境とか言った風情はもうない。
コンパクトな海浜リゾートの島である。
ホテルの設備も悪くない。
行くのにやや不便なのが人混みを抑えているか。


自分の行った海浜リゾートでお気に入りは、
クラビ(ピピ島も含む)、サムイ島である。
これにリペも加わるかもしれない。
最悪はプーケット。物は高いし、俗化し過ぎている。



(その5終わり・完)




by ucci-h | 2019-08-16 19:14 | アジアのリゾート | Comments(0)
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅(その4)ソンクラーは一日過ごせる海辺の街

ハートヤイの街からロットゥー(ミニバス)に乗って
海辺の街ソンクラーにやってきた。
冷房の効いたミニバスで1時間ほど。
34バーツ(120円ほど)は安いものだ。


ソンクラー郡は、ハートヤイ郡の人口の半分以下しかないが、
以前に触れたように、ソンクラー県の県庁所在地である。

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ソンクラーの地名は、シンガポールと同じく、サンスクリット語の
シンガラ(獅子の意味)からきている。シンハビールもそう。


ハートヤイの街が、20世紀初め、客家出身の謝枢泗(しゃすうし)に
よって開発されたのに先行して、ソンクラーの街は、18世紀末、
福建出身の華僑、呉譲がアユタヤ王朝滅亡と同時期にこの地の
国主となり、力を蓄えていったが、20世紀初めのチャクリー改革
(中央集権化)でソンクラー郡となった。


なお、ソンクラーは、この5月に98歳で亡くなった
タイ政界の大立て者、プレーム枢密院議長の出身地でもある。


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ソンクラーの街は、海沿いの街だが、北端は同時にタイ最大の湖、
ソンクラー湖の南端にも挟まれている面白い地形だ。
ソンクラー湖は、南北に3つの部分でつながっているが、
総面積は1040㎢と、琵琶湖(670㎢)の1.55倍に及ぶ。d0159325_22452098.png>



ソンクラーの街で面白いのは、海沿いの旧市街の街並みである。
海沿いと言っても、海水の流れ込む西側のソンクラー湖沿いだが。

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この旧市街には色とりどりの古い建物が残されているが、
また建物の壁にはいろいろな絵が描かれており面白い。
散策するのによい。何かきっかけがあれば観光ブームの地に
なるかもしれない。
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帰りは、東側に歩き、ちょっと広い通りに出れば、
ハートヤイへ帰るミニバスが拾える。

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また、ソンクラーでは、北方のタンクアンの丘に
チェンマイのドイステープのようなケーブルカーで登れば、
海と湖とソンクラーの街が一望できる。
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そしてそこから下り、東へちょっと歩けばサミラー・ビーチ。

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田舎風のきれいな海を見ながら、海鮮料理が食べられる。
イカの天ぷらがうまかった。

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ソンクラーでは、グラブでタクシーを呼んだが、
なかなか見つけてもらえず、しかもあまり安くない。
むしろ行きずりのソンテウを捕まえたほうが
安くて早かった。



ソンクラーは、見るもののあまりない街と聞いていたが、
けっこう一日楽しかった。
時間があれば、泊まるのもよい。


ハートヤイへ戻って、明日は、雨期ながら、天候も大丈夫なようなので、
マレー半島の付け根を西側に横断し、アンダマン海のリペ島に行ってみる。



(その5に続く)




by ucci-h | 2019-08-15 22:56 | アジアのリゾート | Comments(0)
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅(3) ハートヤイというまったりした街
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅行記は、
その1では、チェンマイとハートヤイなどを含め
タイの大都市の人口比較に、
その2では、ソンクラー県が入り口になるタイ深南部
紛争の歴史を見るのに、パタニー王国にまでさか上って終えた。



ようやく3回目にして、現代のハートヤイ、ソンクラーの
街に入れる。


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ハートヤイは、タイ南部の大きな街だが、
人口構成的に面白い街でもある。
マレーシアに近いタイの南部なので、イスラム系の人が多い。
4人に一人がムスリムだと言われる。
そして、華人系。鉄道を起点に華人が作った商都である。


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ハートヤイは以前は小さな村だったが、1920年代、
タイの国鉄の南本線が建設されるにあたって、
物資および人の集散地として大きくなったという。
客家出の華僑、謝枢泗(しゃすうし)が、ハートヤイの
街づくりの立役者だった。



タイ国鉄の南本線は、バンコクのトンブリー駅から、
マレーシア国境に近いナラティワット県のスンガイコロック駅
まで、1143kmと長い。深南部の3県をまたいでいる。
北本線のバンコク・チェンマイ間751kmをしのぐタイの最長路線だ。

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バンコクから928kmのハートヤイ駅は、マレーシアと
つながる分岐駅となっている。
ハートヤイ駅から西南にわずか45kmで、マレーシア側の国境の駅
パダンブサールとつながり、ここからマレーシアの西海岸線を
930kmほど走り、マレー半島南端のシンガポールにつながる。

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チェンマイの駅が少し街の中心から外れた所にあるのに対し、
ハートヤイ駅は街の中心にある。
駅を中心に物資の集散地として栄えてきた街という感じがする。


ハートヤイの街は確かに、小バンコクと言われるように、
大きな街だが、工業立地が少ないせいか、
何か少し停滞した感じ、よく言えば古いタイの街が
残っているという感じがする。
レストランの冷房化率、通りの車の混雑度、10年前の
チェンマイといった感じだ。

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人口も増えていないのではないかと、少し統計を見たら、
ハートヤイ郡の人口は、2014年からここ数年減ってきている。
少なくとも、増えていないようだ。



しかし、旅行者にとっては、このゆったりした
やや古い感じが何とも言えない。
街中は、チェンマイと違って、歩ける距離だが、
なにかなつかしい昔日のにおいがする。
物価も、チェンマイには少し及ばないが、高くない。



ムスリムの人が多く、また華人文化の影響の多い街は、
中国風寺院が多く、モスクも見られ、多文化を感じさせる。
レストランでは、以前、マレーシアのコタキナバルで食べた
「バクテー」(骨肉茶)がおいしかった。
この町のバクテーの店は、ディムサム(飲茶)と一緒に出すので
物珍しかった。


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商都といった趣なので、特に観光名所はないが、
最後の日に、バイタクに乗って、街の北東6kmほどの
丘にある「ハートヤイ市民公園」へ行って、
町全体を展望することにした。


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しかしここで、思わぬ山歩きをさせられることになった。
ふもとの公園は、大きな池があり、市民の憩いの場所だ。
しかし、聞いていたケーブルカーの駅が見当たらない。
何人かに聞いて歩いて行ったが、ケーブルらしきものも見えない。



グーグルマップを見ると、山の上の方にケーブル駅とか出ている。
結局車道を汗をかきながら小一時間登って、頂上の見晴らし台に着いた。
ハートヤイの街が180度展望出来た。渡る風が気持ちよい。
ケーブルカーとは、ふもとから山へ登るものではなく、
頂上からもう一つの峰へ渡る最近できた山上のケーブルカーだった。
先入観が理解を誤らせた。


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下りの階段のわきには、鐘馗様や布袋様の
大きな立像が並んでいた。そして中国寺院。
ここは、やはり中華系の文化の地なのだ。

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ハートヤイに一泊した翌日には、
湖と海に挟まれた海辺の街、
ソンクラーに行ってみることにした。
ロットゥー(ミニバス)で1時間ほどで行ける。
ソンクラーも何もない港町と聞いていたが、
行ってよかった。



(その4に続く)



by ucci-h | 2019-08-15 19:21 | アジアのリゾート | Comments(0)
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島への旅(2) タイ深南部の暴動の根っこ
タイの深南部の暴動の根っこ


ハートヤイのあるソンクラー県は、タイの深南部3県、
マレーシアとの国境のパタニー、ヤーラ、ナラティワット3県への
入り口である。

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タイ深南部3県は、ソンクラー県の南部3郡とも合わせ、
今でも外務省の「渡航安全ページ」では、
渡航「危険レベル3の渡航中止勧告」地域になっている。

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今回訪れたハートヤイ郡、ソンクラー郡など含めた
大部分のソンクラー県も、「危険レベル2の不要不急の渡航は
止めてください」、になっている。


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今回、不要不急の旅行で行ってきたが、街は落ち着いていた。
他の都市より、空港や道路、デパートの入り口チェックが
目立った程度だ。バンコク(レベル1)の方が、よっぽど危ない。
だいぶ安全になったと肌で感じたが、外務省は保守的な
スタンスを継続しているのだろう。



実際、ハートヤイの街でも、2012年4月に町の中心にある
33階建てのリーガーデンズプラザで地下駐車場での
車両爆弾事件があり、3人が死亡、23人が負傷した。
それから7年たっている。



タイの深南部での反政府暴動は、2000年代に入って表面化し、
歴代タイ政府の頭痛の種だった。
最盛期は、2006~7年。年間770人以上、一日平均2.12人以上の
死者が出ていた。
タクシン政権末期から、プラユット・クーデター政権の頃である。



2004年から2015年までの12年間で、バンコクポスト紙によれば、
15,374件(一日平均3.5件)の反政府暴動が起こり、
死者6,543人(一日平均1.49人)、負傷者11,919人を出している。
最大の被害者は、タイ人側ではなく、現地に住むイスラムの住民たちであった。




タイの深南部は、13世紀ごろ成立したイスラム系の「パタニー王国」の地
であった。タイでスコータイ王国ができたころだ。
建国の君主であるスルタンのイスマイル・シャーが「パタ・ニー!
(土地の言葉で、この海岸!)」と叫んだので、パタニー王国になったそうだ。
スコータイ王国、続くアユタヤ王国へ朝貢していた。


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16世紀末から17世紀半ばまでの4女王の時代が
パタニー王国の最盛期。
中国への交易地として、華人の商人が増え、栄えた。
しかし、4代目の女王の死後、混乱期に入る。


そして、1688年、以前からマレー半島に眼をつけていた
シャムのアユタヤ朝(この世紀のはじめ、ナレスワン大王が
ビルマから覇権を奪回)に侵入される。
これが、現在のタイ領の始まりか。



1767年、アユタヤ朝がビルマの逆襲により滅びると、
パタニー王国も独立を取り戻すが、その後タクシン王が
ビルマをやっつけ、現在のチャクリー王朝(バンコクのラーマ王朝)に
つなぐと、1785年、再びシャムの傘下に入ることになる。



1826年に結ばれたイギリスとシャム(ラーマ3世)の「バーニー協定」
(英麺戦争下、対ビルマ協力)で、シャムは、イギリスにパタニー及び
北マレーの他の4州が自国のものであることを認めさせた(イギリスは
ペナン島を正式に獲得)。
イギリスは18世紀末よりマレーに食い込んでいたが、この2年前に
オランダとの協定でマレー半島を自国の植民地にしていた。



そして、現代タイの骨格を作ったラーマ5世(チュラロンコーン大王)に
よる19世紀末の中央集権制度化のもとで、この地の王も廃止され
シャムの1州となった。


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他のマレー4州(ケランタン、トリンガヌ、ケダ、ペルリス)は、
その後アヘン戦争などで力を増したイギリスとの
の「バンコク協定」(ラーマ5世晩年の1909年)により、
シャムの独立を維持すべく、イギリス領マラヤに割譲される。

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600年ほども続いてきたマレー最古のイスラム王朝であるパタニー王国も、
1902年に消えたわけだが、
この王国は、南のマレー領のクランタン州と言葉も共通で血縁もある。
いわばこのバンコク協定により国境で切り離されたわけであり、
これが20世紀以降のタイ離脱反乱の元となる。

中東などでもそうだが、大英帝国の勝手な植民地の国境の線引きにより、
その後に大きな禍根を残す例となった。


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第2次大戦の日本軍の英領マレーへの進駐が、この深南部反乱を
いっそうこんがらがらせることになる。

タイ、マレーへの日本軍の進撃に対して、
軍事力の少ないマレーのイギリス軍は、マレー人の
人力、インテリジェンスを活用しようとし、南タイの
反乱分子に約束する(タイは最初枢軸側日本に付いた)。
「英軍を助けてくれれば、戦後、タイ領からの離脱を手助けする」と。
1943年の“紳士協定”である。


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しかし、戦後、この約束は反故にされる。
文書のない口約束であり、しかも英国中枢の意思とは別の
現地の司令官との約束だったからと。
タイ領内のマレー人は、イギリスに裏切られたかっこうになる。



戦勝国側についたのに、イスラム・マレー人がその後も南タイ領から
離脱できなかった大きな背景は、戦後の東南アジアにおける
共産勢力の拡大があった。


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これを抑えるために、タイはマレーと対共産という協調路線を取り、
南タイのイスラム圏に対するマレーシアからの吸引は抑えられた。
もともと、マレーは連邦スルタン国家であり、首都クアラルンプールの
タイ深南部に対する意識は、マレー北部の州のそれに比べれば薄い。



1957年のマレーシア独立後、60年代~70年代と
タイ深南部でも自主独立の機運が盛り上がり、
武装組織も複数できて、分離独立運動が活発化した。
しかし、80年代以降は、タイ政府の軍を核にした処々の懐柔政策により、
安定していった。



これを壊したのが、2000年代初頭首相になったタクシン政権だった。
治安権限を軍から自分の出身である警察に切り替え、強硬策で
深南部に臨んだため、治安は悪化したといわれる。
イスラム過激派と結び付けたり、麻薬撲滅と絡めたりして
イスラム住民の反発を買った。



2000年代に日常茶飯事だった暴動が、
ここ数年、2016年以降、少なくなってきている。
死者数だけ見ても、以前の年平均545人以上から、
2016年116人、2017~18年も減少と、減ってきている。


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なぜか?
マレーシア政府も乗り出してきたことや、タイが
タクシン派から軍事政権になったことや、市内の検問が
厳しくなったことなどもあるが、
タクシン時代の挑発、強硬策のもたらした対立激化が
緩んできたからだろう。


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この先はわからないが、タイ政府もこの地への開発・投資を
活発化させる意向であり、2000年代の殺し合いは
当面下火になりそうだ。



タイの深南部の問題でその2は終わってしまった。
次回その3では、ハートヤイ、ソンクラーの現代を
記したい。


(その3に続く)




by ucci-h | 2019-08-14 20:12 | アジアのリゾート | Comments(0)
ハートヤイ、ソンクラー、リペ島、タイ南部への旅(1) タイの大都市比較

2019年8月はじめ、タイの深南部の入り口に位置する
ハートヤイ(日本ではハジャイと書かれることが多い)へ
行ってきた。


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ハートヤイは、チェンマイ(タイ北部)からバンコクをはさんで、
同じ距離ほど(ちょっぴり長い)南に行ったところにある。
チェンマイからバンコクまで直線距離で700km近くだが、
ハートヤイへは、バンコクからでも900kmあるという。

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合わせて1600kmほどの距離になるが、
日本列島で言えば、北海道の室蘭あたりから、
東京を経て、九州の佐賀市あたりまで行く計算だ。


もっとも、チェンマイからの飛行機でハートヤイまで
直通。2時間弱で行ってしまう。
ちょうど先月訪れたベトナムのダナンへ行くのと同じ時間で
行ける。



チェンマイもハートヤイもタイでは、
バンコクに次ぐ大きな都市のひとつに数えられるが、
実際どのくらいの人がいるのだろう?



タイの77の県のうち、主要県の人口ランキングを見ると、
首都バンコク府が突出して多い。

バンコク府だけで、現在推定900万人ほど。
近隣の5県を加えた首都圏となると、
1600万人と、タイ全土の現在の推定人口6900万人の
23%に及ぶ。

さらに経済規模で見ると、バンコク周辺部でタイ全土の
GDPの47%を占め、さらに拡大している。


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なお、首都圏の近隣5県とは、北から
パトゥムタニ、ノンタブリ、ナコンパトム、
サムートプラカン、サムートサコンの5県である。
いずれの県も人口は100万から200万人に及ぶ。


ややこしい県名だが、パトゥムやパトムは市、ブリは町。
タニは蓮の花、ナコンは最初、
海に面する2県のサムートは、太洋である。
プラカンは砦、サコンは湖だという。



バンコク府をタイの人口1位の府県とすれば、
2位、3位、4位、5位の県はどこだろう?


首都圏のその他の県では、
スワンナプーム空港のあるサムートプラカン県が210万人、
バンコク府の北のノンタブリ県が155万人、
さらに北のパトゥムタニ県が150万人、
首都の西方、第3の空港の予定されるナコンパトム県は110万人、
魚の街サムートサコン県は98万人ほどと多い。


なお、バンコクの東、パタヤ特別市(推定人口35万人)を
含むチョンブリ県(シラチャーなど30万人)も155万人を抱えるが
(やや北にある古都アユタヤ県は80万人ほど)、
ここはバンコク首都圏に近い。


バンコク首都圏を人口トップグループとすれば、
2位以下の地方の県はどこになるだろうか?



ここで候補に挙がってくるのが、
北のチェンマイ県、
北東部のナコンラチャシマ、ウドンタニ、コンケーン、ウボンラチャタニ
のイサーン(タイ北東部)のビッグ4。
南部のナコンシタマラート、ハートヤイ市を含むソンクラー県、となる。
現在の推定人口で探ってみよう。
地名によく出てくるナコンとは、サンスクリット語から来た市の意味である。



なお、市ではなく県単位で比べるのは、
チェンマイのように、市外が市に近く通勤圏になっているからである。

チェンマイ県全体では、175万人の人口になる。

チェンマイ県は、25の郡(アンプー)に分けられるが、
近隣の郡を含むチェンマイ都市圏だと、10年前は80万人ほどだったが、
今は115万人と100万人を超えるようだ。

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お堀の周辺の狭いチェンマイ市(ムワン)だけだと、25万人ほどだが、
例えば私の住むサンカンペーン郡(チェンマイの中心からわずか8km、8万人)
などを入れると、115万人ほどとなる。



チェンマイ県を175万人とすると、他の県はどうだろう?


人口200万人を超える第2位の県は、ナコンラチャシマ(コラート)である。
このイサーン地方への入り口の面積も最大の県は、人口260万人を超える。


第3位は、以外にもタイの東端、南ラオスと国境を接する
ウボンラチャタニである(バンコク首都圏を除く)。人口190万人。
第4位にも、東北部の大都市コンケーンが県人口180万人で入る。

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こう見てくると、イサーン地方(タイ東北部20県)は、
面積が広いだけでなく、人口も計2225万人と、
タイ総人口の3分の一を占める一大地方だとわかる。

もっとも経済は農業主体の貧しい地方が多く、
一人当たりの総生産額は、バンコク首都圏の6分の一しかない。
経済格差は広がっている。
各地への出稼ぎなどが多いわけだ。



そして、第5位に175万人のチェンマイが入ってくる。

第6位が、ラオスのビエンチャンに近いウドンタニで、
160万人。ウドンタニの意味は北方の町。ここもイサーンだが、
ベトナム戦争中、小パタヤとして米軍が駐在して賑わった街だ。

第7位には、フットボールが強い、ブリラム県。159万人。
ナコンラチャシマに近いここもイサーンだ。


第8位には、ナコンシタマラート(155万人)。ようやくタイ南部の県が出てきた。
今回行ったハートヤイのあるソンクラー県の北側の県。
かつて山田長政が左遷された南部の街だ。

第9位が、バンコクの東にあるチョンブリ、154万人。
第10位は、シーサケット、147万人。ウボンラチャタニの西側だ。
そして第11位が、今回行った人口142万人のソンクラー県となる。


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こう見てみると、バンコクを除いた10県のうち、
実に人口の多い6県が、タイ東北部、イサーンにある。
残る4県が、北のチェンマイ、中部のチョンブリ、
南のナコンシタマラートとソンクラー県ということになる。



チェンマイは第5位、ソンクラーは第11位となる。
繰り返すが、厳密な意味での都市圏の人口比較は難しい。
あえて都市圏単位で見れば、バンコクが900万人。
チェンマイが115万人。ナコンラチャシマも同程度だろう。
ウボンラチャタニの都市圏人口も100万に行くのだろう。
コンケーンの街も大きな町なので、これに近いだろう。


チェンマイ首都圏は、100万都市圏の一つで第2グループに
あるといってもいいのだろう。
ハートヤイはソンクラーと別の行政区分になるが、
合わせれば2つの町で60万人ほどになる。
100万人都市圏に次ぐタイ南部の中心地となる。


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ハートヤイのあるソンクラー県はちょっと変わっている。
県庁所在地は、人口の一番多いハートヤイではなく、海辺に近いソンクラーである。
ハートヤイ郡の人口は40万人。ソンクラー郡の18万人の倍以上ある。


ハートヤイは、「大きな浜」の意味である。
それなのに、ハートヤイは海辺から20kmも離れている。
海辺の町がソンクラーである。
もっとも、ハートは、浜ではなく、マハート(パンの木)がなまったものとの説がある。


ソンクラーという地名は、タイ正月のソンクランに似ている。
もっともタイ語で書けば、ソンクランは、クラがgraであるのに対し、
ソンクラーのクラは、khlaで違っている。ソンは一緒。



第一回目は、ソンクラー、ハートヤイへ入る前の
導入部として、タイの主要県の比較を行なった。
ソンクラー県は、5~6年前までは内紛の絶えなかった
深南部3県パタニー、ヤーラ、ナラティワットへの
入り口である。
深南部の危険度は減ったのだろうか?

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(その2に続く)


by ucci-h | 2019-08-10 00:34 | アジアのリゾート | Comments(0)
アジアの観光地ベストテンはどこ?

アジアの人気観光地のベストテンはどこか?
旅行サイトの「トリップアドバイザー」が
今年の分を発表した。

もっとも、このトリップアドバイザーというサイトは、
主に欧米旅行者が書き込んでいるので、
チェンマイのレストランの評価などもあまり参考にならないが・・・

いわば外国からの‘お上りさん’からの評価だが、
どういう所が有名なのか参考にはなる。
ベストテンは以下の通りだ。

1. カンボジアのアンコールワット
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2. インドのタージマハール
3. 中国の万里の長城
4. タイのワットポーの寝釈迦像
5. 日本の伏見稲荷大社
6. マレーシアK/Lのペトロナス・ツインタワー
7. ミャンマーはヤンゴンのシュエダゴン寺院
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8. ベトナム・ホーチミンのクチ・トンネル
9. タイ・バンコクの王宮
10. 日本の金閣寺
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みな、その国を代表するような大きな建造物なので
うなずけるが、ふたつほどちょっと毛色が変わっている。

日本の伏見稲荷大社が、日本で一番の
第5位に入っているのが、この春京都に行った時にも
知ったが、驚きだ。

真っ赤な鳥居が連続して続く光景が
外国人にビジュアル的に訴えるのだろうか?


また、ベトナムはベトコンの作った防御用
トンネルが入ってきた。ここは
ホーチミン観光の目玉になっており、
探検気分になれるのでたしかに面白い。

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by ucci-h | 2017-06-02 12:34 | アジアのリゾート | Comments(0)
スコータイで新たに発見したこと3つ
11月、古都スコータイの有名なロイカトーン(灯篭流し)は
終わったが、その前に、月初、スコータイへ行ってきた。



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スコータイはチェンマイから南へ300km。
4時間ほどで行ける。
スコータイの遺跡は、アユタヤ遺跡に比べ広々としており
好きである。



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今回行って、見つけたことが3つある。



@@@@@



ひとつは、チェンマイからの道路。
デンチャイ経由の東回りより、
タークへ向かう西側の道を行き、途中から山中を横切って
スコータイへ行ったほうが道もいいし、早い。
距離も少し短い。
帰りもこの道でチェンマイへ戻った。



二つ目。
暑季のはじまる3月の北タイは暑いだけでなく、
山焼きによるスモッグがすさまじい。
チェンマイの街から少し山に逃げても変わらない。



スコータイは山で囲まれておらず、
スモッグが少ないという。
来年の3月は、タイにいれば、スコータイの宿に
避難しよう。そう遠くはない。



@@@@@



最後に。
スコータイと言えば、チェンマイの川岸にある
「クエティオ・スコータイ」の米ソバ屋がおいしい。
ほのかなすっぱみが品よく何とも言えない。



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スコータイの街のレストランで地元の料理を
いろいろ食べてみた。
本場のクエティオは、やはり酸っぱみがあり、おいしかった。
クラトーン(流し舟)の形をした前菜もおいしい。
スコータイは食べ歩きにいい街である。



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by ucci-h | 2015-11-29 18:39 | アジアのリゾート | Comments(0)
あの最高峰キナバル山で地震災害が・・・・・
手元にヘッドランプがある。
90日ほど前に、未明にマレーシアのキナバル山(4095m)に
登頂したときに使ったものだ。


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 「東南アジア最高峰キナバル山登頂記(後編)」 2015-3-21
  http://uccih.exblog.jp/21648104/


そのキナバル山で2015年6月5日(金)午前7時15分ごろ
マグニチュード6.0の地震が発生し、最新の情報では、
これまでに日本人一人を含む16人が亡くなったという。


@@@@@


キナバル山は、小屋の宿泊定員の関係から、
一日の登山者の数を120人ほどに制限しているので、
ガイドも含め180人ほどが登っていたはずだ。


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午前7時過ぎといえば、登頂が早朝5時半ごろなので、
すでに登山者は下り始めていた時刻だ。
新たな登山者は、まだふもとだったはずだ。


キナバル山は、岩と石の山。
これをほぼ直登、下降していく。
登山道は狭いので、岩が後ろから落ちてきたら
なかなかよけきれない。


3ヶ月前には想像もしなかった災害だ。
シンガポールからの子供の団体がいたという。
被災された方々はなんともお気の毒だ。
お悔やみを申し上げたい。
by ucci-h | 2015-06-08 10:53 | アジアのリゾート | Comments(2)
東南アジア最高峰キナバル山(4095m)登頂記(後編)
キナバル登山は、富士山などと違って、
中腹3,200mの小屋の収容能力によって
一日の登山者数を制限している。
従って、小屋の予約が登山の必須条件となる。

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今は5つほど小屋があって、200人近くが泊まれる。
しかし、多くのベッドは現地の旅行代理店が早くから
押さえているようで、半年前から直接現地にメールしたり、
電話しても、なかなか宿泊の予約ができなかった。


代理店のパッケージ価格は、小屋の宿泊代に
街から現地への送迎代、ガイド代、入山許可料など
入れて、1泊2日で、一人だと1480リンギほど、5万円近くになる。
高額登山となる。


@@@@@


個人で手配するなら、どう積み上げても600リンギ(2万円)ほどにしか
ならないが、売り手市場で、現地の代理店などに多く落ちる仕掛けに
なっているようだ。


やむをえず、結局現地の代理店を使ったが、
その分安心ではあった。山登り以外にも登山手続きの
リスクを負うのはしんどかった。
往復の送り迎え(片道車で2時間)が個人専用車
だったことを考えれば、まあいいとしよう。


しかし、小屋については想定外だった。
5万円のパッケージだから個室だと思っていたら、
集団のドミトリーだった。
この点、パッケージの説明にはなかった。


@@@@@


ドミトリーの2段ベッドは、まるでハンモックのようで、体重で大きくへこむ。
まあ一晩だからいいが、夕方7時前に夕食の後、
朝2時起床に備えて、ベッドに入った。
寒いので、ビバークのように着込んで寝たのは良かったが、
ほとんど眠れなかった。


夜中の2時すぎ、軽く食事をすませ、ヘッドランプをつけて、登頂に出発。
小屋から頂上まで2.7km。標高差800mを登り、ご来光を仰ぐ。
平均斜度は17度を超える。
夜だから見えないが、頂上アタックは、広いグラナイト(花崗岩)の石板を登っていく。

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キリマンジャロ登頂の胸突き8丁は酸素の薄さに苦しめられたが、
ここキナバル山でも登山中の呼吸が苦しい。
呼吸の2拍子を、“呼吸吸”の3拍子に変えて、吸気を多くして凌いだ。
ちょうど創部60周年とかで、明治学院大学のサークル14人ほどの
学生が来ていたが、2~3人、高山病でやられていた。


@@@@@

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しかし、空が明るくなり始め、頂が見えてきても、なお岩の峰がそびえている。
結局、頂上まで4時間近くかかったか。
槍ヶ岳や甲斐駒ケ岳の岩の頂上に負けない厳しいピークから、
朝の陽が登ったところが見れた。360度の展望で、周りの山脈が眺められる。
しかし、頂上で横になれるような所はない。


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くだりは、一日で登山ゲートまで下ることになる。
キリマンジャロのときは、4日かけて登ったルートを一気に一日で
駆け下りたが、キナバル山の難所は、このくだりに待っていた。

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頂上からの岩山を途中すべりながら、ロープに捉まってくだる。
高度が下がっていくので、呼吸は心持楽になる。
7km地点のチェックポイントくらいまでは、楽勝の気分だった。


@@@@@

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ところが、6km地点の小屋群手前のくだり階段の連続あたりから、
足を下ろすのがしんどくなってきた。
小屋で休憩後、ゴールまで6kmのくだりとなる。
ガイドから、見かねて、スティック(レンタルの杖)を与えられる。

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6kmのくだりは、これまで経験したことがないほど脚に来た。
太もも前面の大腿四頭筋が痛むほど固くなり、膝の折り曲げを
助けられなくなった。
平地ならいいのだが、きついくだりの連続である。
脚を杖で叩きながら下った。


結局、スティックと階段の手すりにつかまりながら、
6kmのくだりを、8時間もかけて下った。
何とか明るいうちに、スタート・ポイントに着いた。
支えてくれたのは、意地だけである。
キナバル公園本部で、「登山証明書」を10リンギで買った。


車で夕方ホテルに戻り、翌朝にはコタ・キナバルを後にしたが、
太ももの痛みが引くには3日ほどかかった。
チェンマイにいるとゴルフの時ぐらいしか歩かず、車ばかりだ。
普段から山に登り、またスクワットをして、
足腰を鍛えておく必要性を感じたキナバル登山だった。

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(キナバル山登頂記おわり)
by ucci-h | 2015-03-21 21:06 | アジアのリゾート | Comments(2)
東南アジア最高峰キナバル山(4095m)登頂記(前編)
東南アジアの最高峰と言われるボルネオ島
マレーシアのコタ・キナバルにあるキナバル山、4095m。


2015年3月上旬に5泊6日の日程で
キナバル登山を果たしてきた。

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4000mを超える高峰登山は、アフリカのキリマンジャロ(5895m)登山
(頂上が火口のコンゴのニーラゴンゴ火山3470mにも登ったなあ)
以来だが、数えてみたらなんと45年ぶりの高峰登山だった
(歳がばれそうだ)。


@@@@@


キリマンジャロが南緯3度、キナバル山が北緯6度、いずれも
赤道上に近い南国の高山である。


登る前に一番悩んだのは服装。
一泊するラバン・ラタ・ハット(標高3272m)までは、昼間歩き続けるので
熱帯の昼間、汗もかくし暑いはずである。頂上アタックは夜中だし寒いはずだ。
半ズボンに長ソックス、半袖シャツで登った。
これは正解。半そでシャツは汗でびっしょりになった。


案内には、「キナバル山は登山ルートもよく整備してありますので、
初心者でも楽に登山を楽しめます」と謳っているが、イメージより
きついコースが続くルートだった。
植物を眺めながら楽しく登山というイメージではなかった。

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@@@@@


朝9時過ぎに「ティンポホン」登山ゲート(標高1867m)を出発。
宿泊小屋まで6kmの行程だが、この間標高差1400m登ることになる。
平均斜度は13.5度。白馬栂池高原最上部をまっすぐ登り続ける傾斜となる。

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このキナバル山の登山コースは、南斜面をほぼ直線に登るようになっている。
尾根道を歩くとか、山腹をトラバースするなどは、ほとんどない。
もっぱら直線的に、最初は木の階段、後半は石の階段を登り続けることになる。
神社の階段を何千メートルも登るようなものだ。

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@@@@@


山登りに備えて、自転車こぎや、コタキナバルの来てからも
街歩きなどで足を鍛えたつもりだが、斜度のきつい山道を足を上げ続けるのは
しんどいものだ。
最初は休みも入れて、1キロ平均40分(時速1.5km)もかければ、
ふつう5~6時間と言うが、4時間ほどで小屋までつくだろうと高をくくったが、
そうは行かなかった。


やはり、3000m(5.0km地点)を過ぎると、呼吸が苦しくなる。
酸素が足りない感じだ。
キリマンジャロの最後の登頂(4~5千mのアタック)のときも
高山病の症状に悩まされたが、3000mを超えると
酸素の圧力も下界の3分の2ほどに下がるようだ。

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結局、最後の1kmに難儀をし、
小屋に着いたのは、2~3時どころか、5時になっていた。
ああ、しんど。明日の頂上アタックが思いやられる。

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(後編に続く)
by ucci-h | 2015-03-20 12:14 | アジアのリゾート | Comments(2)
  

北タイのチェンマイをベースにメコン、アセアンの経済、見所、食べ物を日本と比較して紹介します。ただし投資をアドバイスするものではありません。コメント記入は題字をクリック下さい。
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