3周年記念記事特集その10、最終回は「タイ情勢異論」です。
赤シャツ隊のデモに端を発した今年のバンコクの動乱は、
5月20日ごろ最悪の状況となりました。
しかし、朝の来ない夜はない、最悪期が過ぎつつあるなと
感じ、この記事を日本の友人に送りました。
結果的には、そのとおりになりました。
今後、このような無益な動乱は避けてほしいものですが、
立憲君主制の将来が不安なタイ王国のこと、
こういった利権争いは、また出てくるのでしょうか。
以下は、5月20日の記事です。
ーーーーーーーーーー
タイの混乱は、放火など暴徒化し、
昨夜からチェンマイにも外出禁止令が敷かれ、
収拾がつかなくなってきているように見えます。
日本でもテレビで報道されているのでさぞご心配でしょう。
混乱が長引くかと心配されていますが、
これは少数意見ですが、今回の事態はいよいよ終盤に入ったとも見られます。
もちろん、これは異論でしょうし、
今後混乱が長期化する可能性もあります。
皆さま、それぞれお考えください。
タイではデモ隊の一部が暴徒化し、
バンコクの主要建物に放火するなど、
混乱が一層強まっているように見えます。
このため、ここ北タイのチェンマイも含む1都23県に、
昨夜は「外出禁止令」が敷かれるまでにいたりました。
さらに混乱が続くようですと、「戒厳令」が出される可能性もあるでしょう。
日本のテレビでもタイの騒動は大きく報道されていますので、御心配でしょうが、
私見(異論?)では、いよいよ最終段階に入ってきたかとも見られます。
06年9月クーデターでタクシン元首相が追放されて以来、
ここ2-3年繰り返されてきた現政権のPAD(黄シャツ隊)と
タクシン派UDD(赤シャツ隊)の政権争いは、
今回を含めて、これで黄色の3勝0敗となったようです。
08年タクシン派の政権下での黄シャツ隊による11月空港封鎖までいった第1戦は、
12月の憲法裁判所による与党への解党命令で、黄シャツが勝ち、
現アビシット民主党政権ができました。
これに対する赤シャツ隊の反撃は、
翌09年2-4月にバンコク市内で展開されましたが、
市民のブーイングを浴びる結果となり、撤収されました。
今年3月からここまでの再挑戦は、長期の混乱となりましたが、
結局事態が深刻化し、赤シャツ隊のリーダーは解散を宣言するに至りました。
赤シャツ隊よりも黄シャツ隊のソンティやチャムロンといった隠れたリーダーたちの結束、作戦が
一枚上手だったのでしょうか。
赤シャツ隊も、下院解散、総選挙を早期にやれば、はやめに政権を奪回できるとの思惑から、
即時解散、選挙を求めました。
今回、いったんアビシット側から6ヶ月後の選挙実施を約束させたのですが、
これでは赤シャツ内の急進派がおさまりませんでした。
その後、急進派少将の暗殺、内部での動揺、リーダーたちの投降となりました。
歴史に“たられば”はありませんが、あそこでおさまっていれば、
いちおうデモの効果があり、11月選挙での勝利が見えたのかもしれません。
赤シャツ隊の混乱から、政府はその後この約束を撤回、
さらに話し合いも拒否するほどの優位に転換してしまいました。
大勢はほぼ決まったと思われます。
リーダー達がすでに投降したのですから。
不満な連中は、あとはうさばらしというか、やつあたりで、放火など暴徒化していますが、
あとは時間の問題でしょう。
これにより、赤シャツ隊は、空港封鎖という暴挙を演じた黄シャツ隊よりも、
一層市民の支持を得られなくなるでしょう。
赤シャツ隊の支持基盤であるここ北タイでも、
先月のソン・クラーンの折りは、赤シャツ隊のトラックは歓呼の声で送られていましたが、
今やチェンラーイにいるSさんによりますと、ブーイングだそうです。
タイの騒動は、階級闘争ではないでしょう。
農民や貧民へタクシンが施した政策は、民主党政権下でも受け継がれています。
タイでは政治はビジネスの色が濃いので、政権、利権争いです。
市民もここ2-3年の混乱にいいかげんいやになってきているでしょう。
立憲君主国タイ。
憲法は日常茶飯事のように変えられますので、
王様の健康がすぐれない今、
今後選挙で民意が反映されても、政権争いは続きそうです。
もちろん今後の予断は許されませんが、
ぜひセンセーショナルに流されず、
落ち着く先を、日本からも、ぜひ見守ってください。